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この小文に、「―――娑婆の風」 とタイトルをつけたのは、実は、他に書きたいことがあったからです。
その内容は腹に据えかねることです。
が、どう考えても 「あの馬鹿」 をのさばらせて、これ以上、小市民の旅行の喜びを台無しにさせたくありませんから、
はっきりと 「あの馬鹿」 が特定できる形で一部始終を書いてやろうと思います。
複数の国を訪問するようなツアーには 「あの馬鹿」 が参加する可能性が高くなります。
正式申し込みの前に 「あの馬鹿」 が参加していないことを確認するようにお勧めします。
HPのルールにもとる手段だと思いますし、知性と理性の馬閑人らしからぬやり方ですが、それでも書かずに居られません。
勿論、読みたくない方は読まずに素通りなさってください。
旅行は 「非日常」 のようだが、旅先での日々は決して非日常ではない。
骨身を惜しまず、かいがいしく介抱なさった奇特な御仁も、予定通り完治していれば絶賛の美談で終わったはず。
2ヶ月近い長旅は、日常をそっくりそのまま持ち込んだようなものだ。
U氏から帰国後いただいたご連絡に、「今回の怪我や病気に負けず、今後も世界を旅する」とあった。 せめてもの慰め。
U氏を運ぶトルクメニスタンの救急車
スルタン・サンジャールはセルジュク朝の最盛期の王
1140建立でモンゴルの破壊や地震にも耐えた
トルクメニスタンでの現地ガイド ズムラート さんと
シルクロード 大走破 風の旅  「旅先にまで娑婆の風」 @
シルクロード大走破は、マニアックな旅のように思われがちだが、
旅行期間が異常に長い、という側面を否定はしないが、
一般募集のフツーのツアーと何ら変わるところはない。
成田空港で顔を合わせて、どんな人が参加しているのか初めて分かる。
今回は総勢9名。 男性6名、女性3名である。 私が最年少。
そりゃ、そうでしょう。
働き盛りが2ヶ月も仕事をほっぽり出してツアーに参加できるわけがない。
9名の参加者が全て顔をそろえたのは西安での夜食に近い夕食だった。
そのとき初めて、同行者でアルコールを嗜むのは、
西安で合流した U氏と私、そして添乗員氏の3名と判明。
酒飲みは3人しか居ないから、必然的に、食事のたびに3人は近くの席に。
その U氏が、ブハラで足首を捻挫をした。 出発21日目だ。
捻挫そのものは3・4日もすれば治っただろうが、同行者に面倒見のいい御仁がいらして、漢方の手当てを施された。
足首に塗布した薬(?)が強烈過ぎたのか、皮膚がただれてしまい、捻挫は治っても歩くに歩けない。
マリにたどり着いて救急病院へ。
その後、U氏はイランの国内観光(1週間)をキャンセルしてホテルに居残りをされた。
バスを降りて観光するときも、ほとんどはバスに居残り。 イスタンブールに着いても満足に歩けないままだった。
キズ・カラ (乙女の城) 乙女の城、とは聞こえはいいが、
歴代のスルタンが奴隷の娘をはべらせて、飲めや歌えの
大騒ぎをしただけのこと
スルタン・サンジャール廟
メルブ遺跡  

カってはシルクロード随一の規模を誇ったオアシス都市。          
セルジュク朝時代(11〜12世紀) に最盛期を迎え、
「高貴なるメルブ」 とそばれ、イスラム世界屈指の都だった。
「ワイン醸造所」 の跡、と言われても何がなんだか分からないが、ワイン馬鹿として、写真を撮っておいた
アナウ遺跡  15世紀頃の城塞都市跡。 色鮮やかな青タイルのモスクは1948年の地震で崩壊した。
           地元の人の信仰が絶えないらしく、訪れた時にも居た。
ニサ遺跡  BC.3世紀から500年にわたって栄えたパルティア帝国の首都
「王の間」 の柱
特徴のある縁取りは自分でつけるのだろうか。
バザールには無数の色柄が並んでいた。
アラル海を枯渇させる元凶 ・ カラクム運河によって、
トルクメニスタンでも綿花の栽培は盛んである。
ここでも摘み取りの真っ最中だった。
バスが止まると、やはりみんな集まってきた。
ウズベキスタンと異なり
ここでは年配の人たちばかりだった。
だから、
一緒に並んでの写真は撮らなかった。
国立博物館仁いた小学生
せがまれて、10回はシャッターを押した。
バザールでもまた出会って、今度はハイタッチ。 いい子達だ。
駅前にて
この類のバスは
中央アジアでは当たり前
もっと年季の入ったバスは
ゴマンと走っている
D マリのホテルは駅の前。 旅行ガイドにはマリで一番のホテル。
  交通至便、とある。
  私だったら、「シルクロードを旅している、と実感できるホテル」 と書く。
   いままでが良すぎただけナンダ。
  選りにも選って、このホテルに2連泊!
  駅が近いのは私の最も好むところで、朝な夕な駅に出かけた。
  朝、夜行列車が止まっていたけれど、20分以上動く気配がない。
  売店もなければ、売り子も居ない駅で。
ニヤゾフ大統領閣下
C 街道沿いの検問がやたら多い。 30分も走れば次の検問に引っかかる。
  検問所にたむろする兵士の数が多いこと!
  永世中立国だから軍人が暇なのだろう。   通行者はいい迷惑だけど。
B 天然ガスなどの地下資源が豊富で、中央アジアでは裕福な国らしい。
  首都・アシュハバードの官庁。金融機関が集中する地区は、
  軒並み超近代的なビルが建ち並ぶ。  成金趣味だ、軽薄だ、と酷評したら、
  この国の近代化を賞賛している添乗員氏の機嫌が悪かった。
  テカテカの官庁ビルに隣接して、
  旧ソ連時代の古色蒼然とした三層アパートが連なっている。
A タシャウズの空港にはトイレがない。
  男性は空港の近くで、女性は遥か遠くまで‥‥。
トルクメニスタン あれこれ
@ トルクメニスタンのニヤゾフ大統領は終身大統領である。
   国民の支持は絶大で、そのせいか
  大きい建物の壁、野外の広告塔には大統領の肖像が乱立している。
  あごに手を当てている図柄がおいのは、彼の好みか。。
  あまり感心しないポーズが、そこかしこにあると少しウンザリする。
だだっ広い廃墟に、ポツンポツンと建造物が残っている。 これはこれで 「らしく」ていい。
ホラズム王国 (中央アジアをモンゴルと二分した) の遺跡は1000箇所以上あるという。
アムダリア川が流路を変えるたびに、古い街を捨て、新しく街を作ったのだろう。
300日は雲一つ出ない、という土地に、乾いた風が嬉しかった。
ケトルグ・ティムール・ミナレット 67m 中央アジアで一番高い
隊商宿 (キャラバンサライ) の門
ウルゲンチ(ヒワ) からアシュハバードに行くには
同じ道をブハラまで引き返すか、カラクム砂漠を横断するしかない。
カラクム砂漠を横断するには4輪駆動車が必要で、空路アシュハバードまで飛ぶことになっていた。
シルクロード大走破で、唯一陸路が続かない区間だ。
ウルゲンチからトルクメニスタンのタシャウズまで陸路で国境を越えた。
飛行機が飛ぶのは夜で、それまでホラズム王国の都だったクニャ・ウルゲンチを訪れた。
このページはの区間の旅行記です

表  紙  シルクロード大走破 風の旅       旅  程  北緯40°どこまでも西へ

旅行記  馬閑人 西方見聞録
        1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 )  「ゴビ灘をわたる風」
        2 
中国U ( 新疆ウイグル自治区  「白楊溝廃寺に吹く風」 他
        3 
カザフスタン ・ キルギスT  「中国 ・ カザフ国境に澱む風」 他
        4 キルギス ・ カザフスタンU  「古戦場の長閑な風」
        5 ウズベキスタンT (サマルカンド ・ ブハラ)  「ティムールの門 の風」
        6 
ウズベキスタンU (ヒワ)  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
        7 トルクメニスタン  「旅先にまで娑婆の風」
        8 イランT (テヘラン)  「星霜30年、テヘランに吹く風」
        9 イランU (ペルセポリス ・ イスファハン)  「ペルセポリスの暑い風」
        10 
トルコT (カッパドキア)  「アナトリア高原の風」
        11 
トルコU (イスタンブール)  「海峡の街で いい気分の風」 

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表紙  シルクロード大走破 風の旅 旅程  北緯40°どこまでも西へ
旅行記  馬閑人 西方見聞録
1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 ) 2 中国U ( 新疆ウイグル自治区)
3 カザフスタン ・ キルギスT 4 キルギス ・ カザフスタンU
5 ウズベキスタンT 6 ウズベキスタンU
7 トルクメニスタン 8 イランT
9 イランU 10 トルコT
11 トルコU  (は現在地です)
は現在地です)
目 次
トルクメニスタン
西方見聞録 7 トルクメニスタン  ヒワ〜アシュハバード〜マリ(メルブ)〜マシャド
                                          2005/09/06〜09/10

09/06  ウルゲンチ(ヒワ) (
陸路国境越え) タシュウズ(観光) (空路) アシュハバード(泊)
09/07  アシュハバード(観光) (
陸路) ニサ (陸路) マリ(泊)
09/08  マリ (
陸路) メルブ (陸路) マリ(泊)
09/09  マリ (
陸路国境越え) マシャド(泊)    
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