テヘランから空路シラーズに飛び、ペルセポリス、ヤズド、イスファハンと回る旅行も、
テヘランに帰り着いて終了です。
テヘランから先、トルコ国境までは、前のページ後半に記載しています。
次のページはトルコです。
ヴァーンク教会
マスジェデ型の建築に、キリスト教系の
装飾を施して、不思議な世界。
マスジェデ・ジャーメ
イスファハンで最も古いマスジェデ。
再建、増改築を繰り返し、柱も不揃い。
「40本の柱」 という名の宮殿だが実際の柱は20本
残りの20本は水面に映る。
ハージュー橋 アッバース2世のためのテラスもある
エマーム広場
チェヘル・ソトゥーン宮殿
エマーム広場をモスクや宮殿、バザールが取り囲む。
「エスファハーンは世界の半分」 とは、この広場のためにある。
イスファハンのシンボル スィー・オ・セ橋。 スイー・オ・セは33の意
橋上部のアーチが33あるから。長さ300m 幅14m 車両の進入禁止
ホテルから橋までは歩いて3分。日の出を見に行った。
↓ KOWSAR HOTEL
イスファハン
イラン高原で最大の川、ザーヤンデの中流に位置する古都。
16世紀後半に、サファヴィ朝のアッバース1世がこの地を首都と定めてから、経済、工業、芸術が花開いた。
17世紀、ヨーロッパからの商人や使節が、 「イスファハンは世界の半分」 と称えた街。
ゾロアスター教の
シンボルマーク
バードギール (風採り塔)
ゾロアスター教寺院
マスジェデ・ジャーメ イランで最も高いミナーレ
ゾロアスター教は、火、水、土を神聖なものとするから、火葬や土葬を嫌う。
そのため、遺体を鳥達が食い尽くして自然に返す 「鳥葬」 の方法をとった。
ヤズドの町外れの50m ほどの丘に、鳥葬の塔が2つ並んでいる。 「沈黙の塔」と呼ばれる。
「地球の歩き方」 には、手前の高い塔に登れ、と書いてあったが、
ダメな現地ガイドは奥の低いほうに上った。 理由にもならない理由を述べて。
大体においてこのガイドは人を食っている。
記憶にあるだけで6回、昼食は2人で一人前の料理を分けて食べろ、と言った。
確かに、参加者は年配の方がが多く、食べ残したり、一番若い私も禁酒が続いて食欲が減退していた。
しかし、大金を払って参加している私達に、「一人前を2人で食べろ」 はないだろう! 半人前扱いだ!
アンケートには書いたが、こんな現地旅行社をのさばらせていては、西遊旅行さんの名に傷がつく。
沈黙の塔
沈黙の塔 (内部)
キュロス大王の墓
宮殿跡
ヤズド
ヤズドはイランの中央に位置する典型的な砂漠都市。 この街を西洋人として最初に訪れたのはマルコ・ポーロ だ。
街並みには、バードギール(風採り塔)がそびえる。 何もなかった時代、風だけが暑さをしのぐ方法だったのだろう。
ヤズドは、今なお残る ゾロアスター教(拝火教)の町として知られる。
ペルセポリス観光の後に、
アケメネス朝歴代の大王が眠るナグシェ・ロスタム、 ササーン朝のレリーフが残るナグシェ・ラジャブ
を訪れたが、ペルセポリスを見た後では感激も感動もなかった。 割愛。
バサル・ガダエ
BC546年、キュロス大王によって作られたアケメネス朝の最初の首都跡。
  E 飲酒は悪への始まりで、飲酒する者は悪事を簡単に起こす。
  F 飲酒すると繁華街に出かけ、妻や恋人などを憂えさせる。
  G 飲酒する者は80回の鞭打ちを受けるべきで、
     この世で受けなくても、あの世で父親と相手の見ている前で地獄の火を浴びつつ、鞭打ちされる。
  H 飲酒すれば、良い行いや願い事が40日間受け付けられず、天国への扉が閉じられる。
  I 飲酒すれば良いことをしようとする意識を失う。
笑いながら読んだ人、読んでから笑った人は地獄に堕ちるでしょう。 私は(すでに)地獄へ堕ちているけど。
だって、コーラやファンタを飲みながら食べる料理って、美味しい? 美味しいという人の味覚を、私は疑う。
イランの料理には調味料としての酒も使わないのは当然のこと。
酒を徹底的に禁じることで、伝統的なイラン料理の美味しさを失くした、可哀想なイランの人たち。 合掌。、
イスラムにおける禁酒の理由を 笑えば、宗教への冒涜になるから 笑わずに読んでいただきたい。
  @ 飲酒で、気が狂ったようになり、子供に笑われる材料となる。
  A 飲酒は正気を失い、また、お金をも失う。
  B 飲酒で、親友との喧嘩を起こし、互いに憎みあう。
  C 飲酒で、アッラーの神を忘れ、お祈りすらも忘れる。
  D 飲酒は他人との性交を容易に起こさせ、また、飲酒により、自覚無しに離婚を言い渡してしまう。
  
また、天国へ行けない人として次の3種類の人がある。
  @ 酒を飲む人
  A 人間関係を断つ人
  B 黒魔術を信じる人
禁酒国・イランでも酒は飲める、という。 ブラックマーケットで密輸酒や密造酒は手に入る、という。
外交官特権のある人たちはおおっぴらに飲んでいる、という。
郷に入れば郷に従う私は、完全に酒と無縁の世界にいた。 2度とイランには来ないぞ!と叫びながら。
禁酒のイランに入ってからも、自由に飲めたそれ以前も、自分では変わっていないと思うのだけど、
周囲の皆さんが 「変わったネ」 とおっしゃる。 変わったとすれば食事が美味しくなくなったのは事実だ。
イラン料理のせいだと思っていたが‥‥。 (主観的には、イランの料理を美味しいと思わない)
食事は旅行の楽しみ。 その食事が楽しくなくなると、旅行自体が色あせてくる。セピア色だ。
ケーキ入刀
ペルセポリスのすばらしい造形を見たというのに‥‥。、これからイスファハンに行くというのに‥‥。
この、半分しらけた気持ちは何だ。
誕生日を迎えてから、イランを抜けるまでの1週間は辛かった。
私はアルコール依存症だったのカナ?
ペルセポリス観光を終えて、シラーズのホテルに帰り着き、
屋外の庭で夕食が始まった。添乗員氏が、ケーキを手配してくれた。
皆さんがお祝いの歌を歌ってくれた。
特別に配られたのは、山本山の緑茶パックと文明堂の羊羹!
長生きはするもんだ。 アルコールのない誕生パーティーなど、得がたい経験ができる。 嗚呼。
厳格なイスラム教徒のイランでは、飲酒が禁じられている。
イスラム以前のアラブ諸国では飲酒していた。 しかし、イスラム教になって、
飲酒による悪影響を考慮して禁酒となった。
イランで酒は販売されていない。 ホテルやレストランでも。
旅行前からそのことは知っていたし、覚悟もしていた。
修養だと思ったり、素直に体のためにいいと思った。
それなのに、イランで1週間が経過する頃、誕生日を迎えて
イランの禁酒を憎むようになった。
私は、アルコールに依存していると思わないが、アルコールと深い仲になっている身だから、
旅行中も、昼はビール、夜はビールと他のお酒、という日々を送ってきた。
天山北路では冷えていないビールに腹を立て、
中央アジアに入って、待ってましたと飛びついた馬乳酒に驚き、失望し、落胆し、
代わりに飲んだストレートのウオッカに胃をやられ、
ことアルコールに関してはいい思いをしないままイランに入った。。
門柱のレリーフ
デジカメに興味を持ったのか
付きまとって離れないお嬢ちゃん
帰り際に記念写真を クセルクセス門の前で
シルクロード大走破 風の旅   「イランのセピア色の風」
双頭の鷲像
門柱のレリーフ こんなのがあちこちに
東階段
牡牛(敵)を襲うライオン(王) これもあちこちにある
黒大理石を使ったダレイオス1世の 「冬の宮殿」
謁見の間
百柱の間
ペルセポリスの入口 (大階段)
クセルクセスの門
門柱のレリーフ
ペルセポリス
     ギリシャ語 ペルセポリス (ペルシャ人の都)
     ペルシャ語 タフテ・ジャムシード (伝説上の王・ジャムシードの玉座)
     建築着手  BC512年 ダレイオス1世(アケメネス朝ペルシャ)
     建築完成  クセルクセス1世(ダレイオス1世の息子)
     用途     アケメネス朝の宗教的な都。 (行政上の首都は別にあった)
     陥落     BC331年 アレキサンダー大王
   

周囲は整備されて公園になっている。
ということは、イランの公園が例外なくそうであるように、
ここもご多分に漏れず、巡礼者たちの宿泊場所になっている。
簡易テントが並んで、そこかしこに日常が持ち込まれている。
一つのテントがやけに騒々しい。 男と女の怒声も聞こえる。
時折、テントが大きく揺れ動く。
人々がニヤニヤしながら周りを取り巻いている。
察するところ、痴話喧嘩か。
クルアーン(コーラン)門

シラーズの玄関。
ペルセポリスやシラーズに出かけるとき、帰ってきたとき、
旅人を見守る門
「洗イマスカ?」 と聞いてきたた。 やけくそだけど 「いえす」
所要時間20分。 「はうまっち?」 「300エンデス」 丸坊主に手をやりながら苦笑した。
丸坊主と伸び揃ってきた髭では格好がつかないから、折りたたんでポケットに入る登山帽を買った。
「はうまっち」 「150エンデス」  また、苦笑した。 首から上、〆て450円なり!
キャリーム・ハーン城塞
バーザーレ・ヴァキール
2ヶ月の長旅。 途中で散髪はできないだろうとあきらめていた。
出発の2日前に散髪をし、思いっきり短く刈ってもらった。
シラーズに到着したときは5週間が経過していた。
あと3週間はきついなァ、と思いながら歩いていると
理髪店が目に入った。
話の種に入ってみるか。
長さを親指と人差し指で指示した。
「うん」 といいながら、刈り始めたが最初から終わりまでバリカン。
しかも、ぱらぱらと落ちてくる髪の毛はやたら長い。
しまった、あの長さは刈り取る長さをいったのか! もう後の祭り。
見事な丸坊主が出来上がった!
シラーズ大学
シラーズでの2日目はペルセポリス観光で、帰ってきてからシラーズの市内観光だった。
私は、前日にエラム公園に行っていたので単独行動をとった。 一つの思惑もあったのだが。
シラーズには日が高いうちに到着したが、その日の観光はなし。
ホテルから20〜30分のエラム公園まで歩いて出かけた。
シラーズ大学(名門校) も近くにあって、この街の文教エリアになるのだろう。
エラム庭園
ワイン用葡萄のシラー種は、この地が原産だという。
南仏のシラーと、オーストラリアのシラーズとは
似て非なるものだが、どちらも美味い。
(葡萄ではなく、ワインの話だが)
ならば、原産地のワインは?
原産地も何もあったものじゃない。
イランは禁酒国になってしまったのだから。 アハハ。
愚かなことよ!
シラーズ

テヘランの南600km、標高1600m のシラーズは
気候は穏やか、緑豊かな街だ。
アケメネス朝勃興の地であり、薔薇の都であり、
イランの4大詩人のうち2人を輩出した土地柄でもある。
このページはの区間の旅行記です
西方見聞録 イランU  テヘラン〜シラーズ〜ペルセポリス〜ヤズド〜イスファハン〜テヘラン
                                         2005/09/14〜09/19

09/14  テヘラン (
空路) シラーズ(泊)
09/15  シラーズ (
陸路) ペルセポリス (陸路) シラーズ(泊)
09/16  シラーズ (
陸路) バサルガダエ (陸路) ヤズド(泊)
09/17  ヤズド(観光) (
陸路) イスファハン(泊)
09/18  イスファハン(
観光、泊)
09/19  イスファハン (
陸路) コム (陸路) テヘラン(泊)
は現在地です)
目 次
イラン U
H
H
TOP PAGE SITE MAP
表紙  シルクロード大走破 風の旅 旅程  北緯40°どこまでも西へ
旅行記  馬閑人 西方見聞録
1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 ) 2 中国U ( 新疆ウイグル自治区)
3 カザフスタン ・ キルギスT 4 キルギス ・ カザフスタンU
5 ウズベキスタンT 6 ウズベキスタンU
7 トルクメニスタン 8 イランT
9 イランU 10 トルコT
11 トルコU  (は現在地です)

表  紙  シルクロード大走破 風の旅       旅  程  北緯40°どこまでも西へ

旅行記  馬閑人 西方見聞録
        1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 )  「ゴビ灘をわたる風」
        2 
中国U ( 新疆ウイグル自治区  「白楊溝廃寺に吹く風」 他
        3 
カザフスタン ・ キルギスT  「中国 ・ カザフ国境に澱む風」 他
        4 キルギス ・ カザフスタンU  「古戦場の長閑な風」
        5 ウズベキスタンT (サマルカンド ・ ブハラ)  「ティムールの門 の風」
        6 
ウズベキスタンU (ヒワ)  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
        7 トルクメニスタン  「旅先にまで娑婆の風」
        8 イランT (テヘラン)  「星霜30年、テヘランに吹く風」
        9 イランU (ペルセポリス ・ イスファハン)  「ペルセポリスの暑い風」
        10 
トルコT (カッパドキア)  「アナトリア高原の風」
        11 
トルコU (イスタンブール)  「海峡の街で いい気分の風」 

inserted by FC2 system