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表紙  シルクロード大走破 風の旅 旅程  北緯40°どこまでも西へ
旅行記  馬閑人 西方見聞録
1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 ) 2 中国U ( 新疆ウイグル自治区)
3 カザフスタン ・ キルギスT 4 キルギス ・ カザフスタンU
5 ウズベキスタンT 6 ウズベキスタンU
7 トルクメニスタン 8 イランT
9 イランU 10 トルコT
11 トルコU  (は現在地です)
旅行に出発するまでは、旅行記のスタイルをいろいろと考えていました。
旅行を終えてみると、写真だけで1500枚。
写してすぐに削除したものをあわせれば2000回はシャッターを切っています。
旅行記を編集しようと思っても、写真も資料も、あまりに多すぎて、
何をどこから手を付ければいいのか分かりません。
とりあえず、旅程に沿って、写真を並べてみました。
旅行前にイメージしたものとは、ずいぶんとかけ離れた旅行記になってしまいました。
不本意ですが、しばらくこの形で訂正、削除、加筆を行います。
最後までお読みくださいましてありがとうございます。
自分なりに、より高い完成度を目指して更新を重ねますので、
折に触れて、また覗きにお越しください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。 ありがとうございます。  2005/11/08 葡萄舎人
シルクロード 大走破も終わりに近づいた頃、
メンバーの方々と、たどってきた旅路を振り返ることが多かった。
それらのひとコマひとコマは、
そのときすでに、1ヶ月半も前の出来事になっていた。
この旅行記を公開し終えた11月。 中央アジアの国々、街々は氷点下だ。
街ですれ違った人懐っこい大人も子供も、
頬を赤くして小走りで街中を、ポプラ並木の下を歩いているのだろうか。
元気に生きて、幸せになれヨッ!
もう一つ、私が幸運だったのは、買いこんでできたお酒を、一人でこっそりと飲まなかったこと。
そばに添乗員氏が居なければ、フロントとのやり取りはできなかった。
今回の旅行は、「あの馬鹿」 がいて面白くなかったけれど、最後の最後に、♪セブンイレブンいい気分♪ だった。
ちなみに、今回の旅行に際して、私はパスポートを6枚コピーした。 
スーツケース、手荷物バッグ、財布、 考えられるところには全てコピーを入れていた。
(いつもはスーツケースと旅行鞄だけ)
セブンイレブンの店長が、財布のコピーを見て私を日本人だと確認し、日本人ならヒルトン泊まりと判断したのだろう。
もちろん、セブンイレブンには3日間の滞在中毎日通った。
お礼に10ドル紙幣を渡そうとした私もミミッチイが、どうしても受け取ろうとしない。
ならば、と、丁重にお礼を言って店を出た。お礼、たって 「さんきゅう ベりぃまっち」しか言えなかったけど。
外国で、置き忘れた財布がそのまま手元に戻ってくる。 こんな奇跡もありうるんだ!
いままでにも増して、トルコが、トルコ人が、セブンイレブンが好きになったのは言うまでも無い。
添乗員氏、なにやら話し終えて、 「あなた、財布、ありますか?」  
ズボンのポケットに手をやった。 「ナ、ナ、無い!」 「店にあるそうです」 二人してすっ飛んで行った。
英語にならない英語でやり取りした店長が、にやりと笑いながら財布を手渡してくれた。
イスタンブールで最後の買い物をするために、財布には50ドル紙幣が10枚、福沢諭吉が5枚入っていた、ノダ。
添乗員氏は、パジャマに着替えていたが、呼べば、着替えてすぐ来る。
ビールを2缶空けたところで電話が鳴った。 フロントからだ。 「Mr. △□※☆ ゴニョ ゴニョ チンプンカンプン』
いつもの私なら、「じゃぱにーず すぴーく ぷりーず」 で埒が明かなければ受話器を置くところだが、
いまは添乗員氏がいる。 「電話、代わって聞いてよ 。 何を言ってるか分からん」
こんな出費が3日も続いてはたまらないので、買出しに出かけた。 ホテルから5分も歩けばセブンイレブンがある。
トルコリラ (2年前はやたらゼロが並んでいたが、いまの新紙幣はすっきりしている)の持ち合わせが少ないので
店長に 「どる、OK?」 「モチロン、OKデス」 「赤わいん、どれがいいですか?」 「コレ、デショウ」 「OK」 てな調子。
で、ドルで支払って、ホテルに帰り、添乗員氏を呼びに行った。 2人分のビールとワインを買っていたから。
イスタンブールでの3連泊。 ホテルは ヒルトン だった。 素人受けする、日本人好みのホテルだ。
設備、セキュリティ、料理、申し分ない。
ただ、アルコールがべらぼうに高い。 ビンボー人の私だけがそう思うのかもしれないが。
ビールをジョッキ1杯と、トルコの国民酒ラクを1杯で4000円! これが相場かしら。
ドライバー氏 (空港で)
日本庭園の所在地だったか
庭園の名称かは忘れたが
キーワードは
Balta Limando (バルタ・リマンド)
です。
現地ガイド アイディン さん
シルクロード 大走破 風の旅   「海峡の街で “いい気分” の風」
下関とイスタンブールは友好都市の関係にあります。 1年半前、
イスタンブールに日本庭園を造園するプロジェクトがあり、責任者として現地に赴かれたのが、高校の先輩 F氏です。
今回の旅行に際しては、F氏のノートパソコンをお借りして、メモ帳代わりに重宝しました。 持つべきは先輩です。

F氏から、日本庭園の場所をアバウトでお聞きして出かけました。
手がかりは、第2ボスポラス大橋のたもと。 ヨーロッパ側。 黒海寄り。 これだけです。
行ってきました。 見てきました。 団体行動が始まる前の早朝に。
私の話に、日本オタクの現地ガイドが興味を示し、同行してくれたのです。
F氏へのお土産は何も買いませんでしたが、数枚の写真をお礼に渡しました。
ドルマバフチェ宮殿
ユルドゥズ宮殿
海軍士官学校
ガラタ橋とガラタ塔
ドルマバフチェ・モスク
遊覧船に乗り込んだのは
エジプシャンバザール(香辛料市場)
の前から
オスマン軍が楽器で士気を鼓舞したのが
軍楽隊の始まりですって。
ブルーモスクは前回も悪天候だった。
乾燥地帯を旅してきた身には、この湿気が辛かった。
ボスポラス海峡クルーズ
イスタンブールの夜はふけて
バスはアジアを走って来て、ボスポラス大橋を渡った。
                     夕陽は雲の中だけど、ヨーロッパに沈もうとしている。
ブルサ〜イスタンブールの近道
マルマラ海のイズミット湾を、10隻のフェリーが満車になり次第出航。
時刻表はない様子。
そう判断したのは、海上を走っている船が合計8隻いるが、
間隔がばらばらだから。
ブルサ側のヤロワ港には、船を待つ車は居ないのに、
イスタンブール側のイェニカプ港には長蛇の列ができていた。
日本を出て、50日ぶりの海!
ベシネマ遺跡
ブルサ
アタチュルク廟
ゴルディオン アンカラからブルサに向かう途中で
「ミダス王と黄金」
「王様の耳はロバの耳」
で知られた ミダス王の墓(復元)

ミダス王はBC7世紀
フリギヤ王国の王。
詳しい解説は こちら
アンカラ
350人の団体とはバザールでも遭遇した。 (ほとんどが) 女性の取り巻きは黒を基調の服装で、
バザールでは、これがなんともアンバランスで、やけに目立っていた。
目立たないこちらは、店員から必要以上に声をかけられずにすんだけど。
殿下が訪問先で、なにやらヒョウキンなしぐさで振舞っている。 探検隊みたいな服装で。
(どこかの遺跡だろうが、トルコ語のニュースだからが分からない)
居合わせた現地人にインタヴューしていた。 どうせ 「どう思うか?」 程度の質問だろう。
現地人は 「呆れた」。 少なくとも私にはそう読み取れた。 哀しい光景だった。
翌日の新聞には殿下の写真が載っていた。
左手親指の爪にはトルコ国旗が、右手薬指の爪には日本国旗がペイントされている。
腹をくくってお諌め申し上げる随員はいないのか、国際親善を、そんな安っぽい演出で表現している。
唖然としたのは、そのまた翌日のTVニュース。
柏朋会がトルコの遺跡発掘に資金を提供している(それは素晴らしい)とかで、
一族郎党、シンパを (350人も!) 引き連れてトルコに乗り込んだらしい。
なるほど、路地裏の警官パトロールはその警護だったのか。
博物館入口には、大使館か宮内庁から遣わされた女性だろう、尊大にキッと前を見据えて立っている。
後で分かったことだが、「柏」 は 「柏朋会」 のことだった。
「柏朋会」 とは、 「ヒ○の殿下」 の異名をとる三笠宮寛仁さまが会長を務める福祉団体で、
殿下は自らを 「とど」 と名乗っていらっしゃるようだ。
ヒョウキンさを発揮し、親近感を増すためなら構わないが、それは内輪だけにして欲しい。
アンカラを訪れれば、アタチュルク廟を遠くから眺めて、アナトリア文明博物館に立ち寄るしかない。
博物館に近い、古い建物のレストランで昼食をとった。
車も入らない細い急な坂道を登っていったが、路地の裏まで警官がパトロールしている。
博物館の脇の坂道には団体バスが7台! 「柏」 とかかれた腕章の男が駆け回っている。
てっきり、千葉県の柏市から来た団体かと思った。
シルクロード 大走破 風の旅   「アンカラを席巻する“とど”の風」
トルコ共和国の首都・アンカラ は、新石器時代からの歴史を持つが、
人口 350万を越える大都市になったきっかけは、1923年にケマル・アタチュルクが
アンカラを首都と定めたからだ。 それまでは人口6万人の地方都市に過ぎなかった。
イスタンブールが西に偏りすぎていることと、防衛上の理由からだ、という。
アラジャホユック
このページはの区間の旅行記です
西方見聞録 トルコ U  ボアズカレ〜アンカラ〜ブルサ〜イスタンブール   2005/09/29〜10/04

09/29  ボアズカレ (
陸路) アンカラ(観光、泊)
09/30  アンカラ (
陸路) ブルサ
10/01  ブルサ(観光) (
陸路) (海路) イスタンブール
10/02  イスタンブール(観光、泊)
10/03  イスタンブール(観光、泊)
10/04  イスタンブール(観光) (
空路、機中泊)  

表  紙  シルクロード大走破 風の旅       旅  程  北緯40°どこまでも西へ

旅行記  馬閑人 西方見聞録
        1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 )  「ゴビ灘をわたる風」
        2 
中国U ( 新疆ウイグル自治区  「白楊溝廃寺に吹く風」 他
        3 
カザフスタン ・ キルギスT  「中国 ・ カザフ国境に澱む風」 他
        4 キルギス ・ カザフスタンU  「古戦場の長閑な風」
        5 ウズベキスタンT (サマルカンド ・ ブハラ)  「ティムールの門 の風」
        6 
ウズベキスタンU (ヒワ)  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
        7 トルクメニスタン  「旅先にまで娑婆の風」
        8 イランT (テヘラン)  「星霜30年、テヘランに吹く風」
        9 イランU (ペルセポリス ・ イスファハン)  「ペルセポリスの暑い風」
        10 
トルコT (カッパドキア)  「アナトリア高原の風」
        11 
トルコU (イスタンブール)  「海峡の街で いい気分の風」 

トルコ U
ウル・ジャミィ
iイェシル・テュルベ
ブルサのモスクには、屋内に
「清めの泉」 が設置してあるものが多い。
ブルサは
ウル山 (2543m、曇って見えなかった)
の麓に開けた、緑豊かな街。
1326年。セルジューク朝から
覇権を奪ったオスマン朝が
最初に首都と定めた街。
J
目  次
は現在地です)
J
ボアズカレの北、30km に青銅器時代の遺跡がある。
発掘調査をアンカラ大学が行っていた。
若い学生が現場監督で、
地元のおじさんたちが土を掘り出していた。
貴重な現金収入なのだろう。
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