今回のカッパドキアで狙っていたのは、熱気球からの観光。
雄大な景色を上空から眺めてみたい。 前回の旅行を終えてから、ずーっと夢だった。
現地ガイドの説明では、45分コースで130ドル。 でも実際は130ユーロを請求され、
米ドルで160ドル支払った。 私達のツアーからは3人だけの個人参加だったので添乗員氏はいない。
その対応は私が全て行う羽目に。 他のお二方は私の苦労も知らずに悠長にコーヒータイム!嗚呼。
フライトは早朝の出発のみ。 安全のためらしい。
風は弱かった (と思う)。 風と気球はほぼ同じ速度で動くのだから、風を感じたらおかしいはずだ。
載ってみて、やはり、圧巻だった。 当たり前だが、視点がまるっきり違う。
また、私達(10人)の気球が先頭を切って飛んだので、これまた嬉しいことだった.
空から見たカッパドキア
カッパドキアを訪れるのは2回目だ。
前回の観光は上っ面をなでるに過ぎなかったから、観光ポイントに重複は少なかった。。
嬉しかったのは、地下都市を訪れた時のこと。
予定していた地下都市が停電で、入場できない! やむなく別の地下都市に回ったのだが、
予定通りだと前回と同じ地下都市だったのだからなんという幸運! 正義は勝つ、のか。
そんな、想定外の出来事も手伝って、ほとんどの場所が初めての観光だった。
ボアズカレのホテル ASIKOGLU はバスタブもない、プチホテルだったが、好感の持てるホテルだった。
庭でビールを飲む私の横に植わっているのは林檎だが、夜来の雨の後、庭には無数の林檎が落ちていた。
朝食には、シッカリと、料理の1品になっていた。
ハットゥシャシの聖地 ヤズルカヤ 12神の行進
ヒッタイト王国の首都 ハットゥシャシ
ボアズカレ
BC25世紀。 この地に住み着いていたのは、初めて鉄器を使用したヒッタイト人である。
BC18世紀には、ヒッタイトの王がボアズカレに王城を築いた。 いまはわずかに石組みが残る。
歩いて 見た カッパドキア
アナトリア高原の東端は平地でも標高2000m を越える。
エルズルムで泊まったのはスキー場に建つリゾートホテルだった。
そんな高地から2000km かけて、海抜0m 、ボスポラス海峡のイスタンブールまで
駆け下りるのが今回のトルコの旅程だ。時は9月下旬。吹く風は、もう、秋の風だ。
シルクロード 大走破 風の旅   「アナトリア高原の風」
テヘランからトルコ国境まで、エルブルズ山脈の縁を進んだ道は、
トルコに入ってなだらかなアナトリア高原へと続いた。
「高原」といっても島国日本の高原と違って、
日本がすっぽりと収まるほどの高原だから、まるっきりスケールが違う。
オスマン朝末期のトルコを植民地化から
救い、共和国を樹立したケマルが
一時期政庁をおいた建物。
初代大統領 ムスタファ・ケマルは
アタチュルク (トルコの父」 と呼ばれ、
敬愛を集めている。」
男の子達に
気をつけっ! 休め!
を教えたら、すぐに覚えた。
シヴァス
ウル・ジャミィ
1229年の建立
見所は門の細かい装飾。
病院として使われていた部屋も中にある。
ディヴリィ への道
幾重もの山を越える道が鉄道と並行するようになった。
沿線に兵士の姿を多く見かけるようになった。
私達のバスが通り過ぎた後で、
線路に仕掛けられた爆発物が発見された、という。
ソグド人ゲリラの仕業らしい。
一番安全だと思っていたトルコでもこの有様。!
チフテ・ミナーレ →
元は神学校。
内部の美しかったレリーフは
占領したロシアが持ち帰った。
昼食に立ち寄ったレストランはピザ屋さん。
この長〜イピザが1人前。
イランと違って、
トルコでは昼食の量がキチンと1人前になった。
現地旅行社の違い?
← ヤクティエ・メドレッセ (神学校)
ミナーレには縄目文様が
彫り込まれている。
1310年の建立で、
エルズルムでもっとも有名な建造物。
東部アナトリア最大の都市。

トルコ東部の要衝で
セルジューク朝の遺構も多い。
標高は1853m
街の中心を馬車が進む。
おおらかというべきか。
こういう光景はとても嬉しい。
レンガの塔に、せんべい状のフンを貼り付ける。
貴重な燃料だ。
エルズルム
銃を持ち歩くのは何のため?
広い敷地に建てられた宮殿の
部屋数は350以上!
100年かけて1784年に完成
東部アナトリア クルド人の集落が点在している
17世紀にこの地を治めた
クルド人の知事 イサク・パシャ
の宮殿。。
イサク・パシャ宮殿
郊外の山中に、「ノアの箱舟の遺物」 という、珍奇な地形がある。
展望台から見下ろしていたら、子供が飛び跳ねて走り回っている。
程なくして、ハッと気付くとそばまで来ていた。 驚く速さ。
山の中で育った私も、ガキの頃はそうだった。
夕方のアララット山
朝日が当たるアララット山 (ホテルから)
国境を越えて、チャドルを放り投げる女性陣
左 ; 大アララット 5165m  右 ; 小アララット 3896m
ホテルには正午に着いた。
街で酒屋を見つけ、
(蛇の道はヘビ、すぐに見つける)
添乗員氏を呼んで、ノ・ン・ダ!
ホテルの隣はモスク。
昼の礼拝が始まる時刻で、
礼拝を呼びかけるアザーンが
浪々と流れる。 テープらしいが。
アザーンを聞きながら飲むなんて、
なんと、トルコはいい国!
ドゥバヤジット
アララット山

トルコ国境が近づいてくると、
アララット山が姿を現す。
ノアの箱舟伝説で出てくる名山だ。
そんなこと、私にはどうだっていい。
一刻も早くこの山を見たかった。
この山の麓から トルコが始まる。
政教分離、戒律の緩やかな トルコが!
西欧社会に仲間入りしたい トルコが!
自由に飲める トルコが!
国境万歳! トルコ万歳!
忌まわしい中国・カザフスタンの国境越えから始まって、
何度パスポートを提出したことだろう。
イラン・トルコ国境では、なんと心うきうき、心弾んでパスポートを用意したことだろう!
前の晩、女性陣から、「あと ン時間の辛抱ネ」 とからかわれた。
その女性陣にしたって、あと ン時間でチャドルから解放されるのだ!
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西方見聞録 トルコ T  マクー〜エルズルム〜カッパドキア〜ボアズカレ  2005/09/23〜09/28

09/23
  マクー (
陸路国境越え) ドゥバヤジット(観光、泊)
09/24  ドゥバヤジット (
陸路) エルズルム(観光」、泊)
09/25  エルズルム (
陸路) ディヴリィ (陸路) シヴァス(泊)
09/26  シヴァス (
陸路) ウチヒサール(カッパドキア観光、泊)
09/27  ウチヒサール(カッパドキア観光、泊)
09/28  ウチヒサール (
陸路) ボアズカレ(観光、泊)

表  紙  シルクロード大走破 風の旅       旅  程  北緯40°どこまでも西へ

旅行記  馬閑人 西方見聞録
        1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 )  「ゴビ灘をわたる風」
        2 
中国U ( 新疆ウイグル自治区  「白楊溝廃寺に吹く風」 他
        3 
カザフスタン ・ キルギスT  「中国 ・ カザフ国境に澱む風」 他
        4 キルギス ・ カザフスタンU  「古戦場の長閑な風」
        5 ウズベキスタンT (サマルカンド ・ ブハラ)  「ティムールの門 の風」
        6 
ウズベキスタンU (ヒワ)  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
        7 トルクメニスタン  「旅先にまで娑婆の風」
        8 イランT (テヘラン)  「星霜30年、テヘランに吹く風」
        9 イランU (ペルセポリス ・ イスファハン)  「ペルセポリスの暑い風」
        10 
トルコT (カッパドキア)  「アナトリア高原の風」
        11 
トルコU (イスタンブール)  「海峡の街で いい気分の風」 

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表紙  シルクロード大走破 風の旅 旅程  北緯40°どこまでも西へ
旅行記  馬閑人 西方見聞録
1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 ) 2 中国U ( 新疆ウイグル自治区)
3 カザフスタン ・ キルギスT 4 キルギス ・ カザフスタンU
5 ウズベキスタンT 6 ウズベキスタンU
7 トルクメニスタン 8 イランT
9 イランU 10 トルコT
11 トルコU  (は現在地です)
目 次
は現在地です)
トルコ T
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