この話を聞いて私が改めたこと。
ホテルでの枕銭を
1米ドル紙幣から、現地通貨で半額にしたこと。
だって、綿花畑の娘さんたちの労働と賃金と
ホテルのチップとでは差がありすぎるから。
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表紙  シルクロード大走破 風の旅 旅程  北緯40°どこまでも西へ
旅行記  馬閑人 西方見聞録
1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 ) 2 中国U ( 新疆ウイグル自治区)
3 カザフスタン ・ キルギスT 4 キルギス ・ カザフスタンU
5 ウズベキスタンT 6 ウズベキスタンU
7 トルクメニスタン 8 イランT
9 イランU 10 トルコT
11 トルコU  (は現在地です)

娘さんたちの1日のノルマは 120kg だという。
1kg が 44スム。 120kg で5280スム。
日本円に換算して、500円と少し。
これが日当だ。
綿花の枝の中に手を突っ込む作業で手袋はしているが
指先を出しているから、傷が絶えないようだ。。
爪を見ると、農作業に不釣合いなペインティングをしている!
そうか。 未だ若い娘さん達なんだ!
なにか、複雑な思いに駆られた。
中央アジアの人々は、老若男女を問わず、
どこで会う人も例外なしに人懐っこい。
視線が合って、手を振れば必ず手を振って応える。
カメラを向ければ、「撮ってくれ」 としゃしゃり出る。
   (これには例外があるので要注意)
デジカメは未だ普及していなくて、
自分の映像をすぐに見れる事にとても驚く。
見て、そして納得する。
綿花の摘み取りは、多人数を投入しての労働集約型だ。
広い畑に農婦が散らばって綿花を摘み取っている。
畑の作物は、とうもろこしや、砂糖大根、そして綿花。
中国では綿花の摘み取りには未だ早かったが、
バス旅行を続けながら月日がたってみると
畑に白いものが目立ち始め、ウズベキスタンでは
綿花摘み取りの最盛期を迎えていた。
辛い労働の報酬が、この賃金。
なのに、写真に写るときのこの笑顔。
娘さんたちと肩を組んで写真を撮った。
肩を抱き寄せたら、
上着越しに、下着の肩紐が手に触れた。
年甲斐もなく、動悸がした。
綿花摘みを見たいという私の希望に、添乗員氏が応えた。
街道でバスを止めると、畑に散らばっていた農婦が
いっせいに腰を上げた。 好奇心でバスを眺めているらしい。
畑には一人の責任者(男性)のほかは全て女性。
責任者が合図すると、遠くの農婦もみんな集まってきた。
「日本からの観光客が農作業を見たいといっている」
てなことを伝えたらしい。
カメラを向けると摘み取りを実演してくれる。
実演しながらカメラ目線だから、恐れ入る。
敦煌を発ってからずう〜っと、車窓に広がるのは漠野ばかり。
突如として畑が広がり、民家が密集する。
時として、民家の密集が都市に変わることもある。
シルクロードは圧倒的に広い漠野のなかで、水が供給される
範囲に限定された人間社会が孤立して点在している世界だ。
シルクロード 大走破 風の旅  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
ヒワの内城(イチャン・カラ) には東西南北に門がある。
その東門 (バルバン・ダルヴァザ門)
いまはバザールだが、かつては 「奴隷の門」 と呼ばれた。
この門の近くにある奴隷市場では、19世紀後半まで
奴隷の売買が続いていた、という。
絨毯用に染色された糸は、壁に投げつけて乾かす。
結婚式を挙げた二人
割礼の儀式を迎える二人
絨毯を織る二人
カルタミナル
「短いミナル」 の意。
1852年に着工して、未完成のまま。
109m の高さの計画だったが、26m で中断した。
基礎部分の直径から、80m は可能だという。
漠野の中の一軒家 (ドライブイン)
川をバックに現地ガイドの タヒール さんと
  ヒワ
  この街そのものが博物館といわれているのは、伝統的なオアシス都市の景観がそっくり保存されているから。
  もともとブハラに比べても小さい街で、
  16世紀に都が置かれても、街は旧市街(イチャン・カラ) の内側に収まっていた。
  18世紀末、ロシアとの交易が活発になり隆盛を極めると、富裕層は競ってモスクや宮殿を建築した。
  狭い空間に大規模で壮麗な建築群がひしめき合う様相を呈して今に至っている。
漠野のド真ん中にも湧き水がある
キジルクム砂漠 ・ アムダリア川 ウルゲンチ(ヒワ)への道
行けども行けども見飽きた漠野
アレキサンダー大王も渡ったという
アムダリア川が見えた!
ブハラにて
神学校(メドレセ) も、隊商宿(キャラバンサライ) も、広い中庭を取り囲むように建物が建っている。
それらの建物が土産物屋などになっているが、ブハラでは民族衣装のファッションショーが行われていた。
中央アジアの女性の衣装は色彩豊かで、デザインも大胆だ。 現地の女性が着飾ったときは(今でも) こんなものだ。
サマルカンドの街角で

表  紙  シルクロード大走破 風の旅       旅  程  北緯40°どこまでも西へ

旅行記  馬閑人 西方見聞録
        1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 )  「ゴビ灘をわたる風」
        2 
中国U ( 新疆ウイグル自治区  「白楊溝廃寺に吹く風」 他
        3 
カザフスタン ・ キルギスT  「中国 ・ カザフ国境に澱む風」 他
        4 キルギス ・ カザフスタンU  「古戦場の長閑な風」
        5 ウズベキスタンT (サマルカンド ・ ブハラ)  「ティムールの門 の風」
        6 
ウズベキスタンU (ヒワ)  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
        7 トルクメニスタン  「旅先にまで娑婆の風」
        8 イランT (テヘラン)  「星霜30年、テヘランに吹く風」
        9 イランU (ペルセポリス ・ イスファハン)  「ペルセポリスの暑い風」
        10 
トルコT (カッパドキア)  「アナトリア高原の風」
        11 
トルコU (イスタンブール)  「海峡の街で いい気分の風」 

イスラーム・フッジャ・ミナレッセ
45m の高さを持ち
ヒワで一番高いミナレット
最上層からの眺めは
さすがにすばらしい
は現在地です)
このページはの区間の旅行記です
目 次
西方見聞録 6 ウズベキスタンU  タシケント〜サマルカンド〜ブハラ〜ウルゲンチ
                                                   2005/08/31〜09/05

08/31  タシケント (陸路) サマルカンド(観光、泊)
09/01  サマルカンド (
陸路) タジキスタン国境往復 (陸路) サマルカンド(観光、泊)
09/02  サマルカンド (
陸路) シャフリサブス (陸路) ブハラ(泊)
09/03  ブハラ (観光、泊)
09/04  ブハラ (
陸路) ウルゲンチ(泊)
09/05  ウルゲンチ 陸路 ヒワ観光 ウルゲンチ(泊) 
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