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表紙  シルクロード大走破 風の旅 旅程  北緯40°どこまでも西へ
旅行記  馬閑人 西方見聞録
1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 ) 2 中国U ( 新疆ウイグル自治区)
3 カザフスタン ・ キルギスT 4 キルギス ・ カザフスタンU
5 ウズベキスタンT 6 ウズベキスタンU
7 トルクメニスタン 8 イランT
9 イランU 10 トルコT
11 トルコU  (は現在地です)
イラン 最後の夜は マクー で
明日はいよいよ
ト、トルコ だぁ !!!!!
このドライバー氏とも明日でお別れだ。
アゼルバイジャンで殉教したキリスト12使徒の一人、
タダイを祀る教会。 68年建立。
現在の建物は17世紀に再建されたもの。
だだっ広い丘陵地帯の中から、建物が忽然と現れる。
毎年7月にアルメニア人巡礼者が集まって、にぎわうそうだが、
それ以外はおとずれる人も少ない、という。
でも、私達のほかにバスが1台来ていたヨ。
イランといえば、名産は数あれど、ペルシャ絨毯にとどめを刺すでしょう。
今回の旅行で、、私はペルシャ絨毯に一切の関心を示しませんでした。 
3年間、日本人学校に勤めた兄貴が、、程度のよいペルシャ絨毯をたくさん持ち帰っているので、
私が逆立ちしても太刀打ちできないと、諦めが先に立った理由によります。
ただ、イランに2週間も居て、絨毯に関する記述が何もないのは片手落ちなので、
日本で、ペルシャ絨毯を扱っている方をご紹介します。
MEHRAN (メヘラン) さんです。   http://homepage3.nifty.com/mehran/Index.htm
ご紹介するだけで、私は責任を負いませんから念のため (笑)
マクーに行く前に

聖タデウス教会 (黒の教会)
ザンジャンからタブリーズへ向かう途中、今回の旅行で初めてトンネルをくぐった。
キャブード寺院 (ブルーモスク)

15世紀中期の建立で、、青タイルの装飾が美しく
ブルーモスクの愛称がある。
数度の地震で、今は無残な姿をさらしている。
タブリーズ
ローマ時代の橋。
ゴンバデ・スルタニエ

テヘランからザンジャンへ向かう途中で立ち寄った
巨大なモスク。
14世紀の建立で。痛みが激しく、モスクの内も外も
足場を組んで修復の真っ最中だった。
シルクロード大走破で見かけた中・長距離のバスのほとんどが
ボンネットを開けて走っている。車の能力を超えて突っ走るためだろう。
テヘランでは、博物館めぐりにほとんどの時間を割いた。
イラン考古学博物館、 ガラス博物館、 宝石博物館、 絨毯博物館。
驚嘆、感嘆の連続だったけど、写真の掲載は、いつか、その気になったときまでお預け。 先に進みましょう!

地下鉄駅
テヘランも交通渋滞はひどい。 割り込む車が多い。 縦横無尽に走り回るバイクも多い。 
車の流れを縫って道を横断する歩行者は、横断歩道を渡る歩行者よりも多い、と思う。
バスターミナル
イランの国鉄 二階建ての客車
新婚のカップルを乗せる車
イランのバスには乗降口が前と真ん中に2箇所ある。
男性は前半分に、女性は後ろ半分に乗る。
恋人は真ん中の乗降口付近に立っている。 なんということ!
渋滞した道で、乗り合いバスと併走した。
抜いたり、抜かれたりするたびに
二人の若者が微笑みかけてきた。
テヘランに限らず、
中央アジアでもしょっちゅうだったが。
それでは、テヘランと、テヘランから西へ、トルコに至る旅日記を続けます。
次のページに記載する部分
ペルセポリス
次のページは
西方見聞録 イラン U
こちら です
マシャド
セムナン
        の部分は次のページになります。
マクー
ザンジャン
サブセバール
テヘラン
イスファハン
このページは、下の図の        の部分についての旅行記です。
ヤズド
このページに記載する部分
シラーズ
マシャド から テヘラン まで進んだ 「シルクロード大走破・イラン編」 は、テヘラン から南に転じ、
09/14 に空路で シラーズ まで飛びました。
以後、ペルセポリス 〜 ヤズド 〜 イスファハン と観光を続けて、09/19 に テヘランに帰ってまいりました。
それ以降は マクー を経て、いよいよお酒の飲める トルコ への国境越えとなります
タブリーズ
ホテルから南 テヘラン大学方向
ホテルから北 メラット・タワー方向
お断り と ご案内
ホテルは LALEH HOTEL 。 昔は INTER CONTINENTAL HOTEL といった。 思い出すかな、兄貴は。
ベージュの、生活の息吹を感じさせない高層住宅が数キロ並んで建っている。
わずかな切れ目から、旅客機の尾翼が見えた。 メフラーバード空港だ。
初渡航がテヘラン赴任だった兄の家族は、どんな気持ちであの空港に降り立ったのだろう。
長い歳月に街はすっかり変わっているだろうが、街角の写真を少しでも多く撮ろう。
街角を吹きぬける風は、昔も今も変わっていないだろうから。
30余年前。 実兄が家族を連れてこの街に赴任した。日本人学校の教師としての任期は3年。
甥が小4、姪が1年生になるときだった。
学生で東京に居た私は、兄の一家を羽田で見送り、帰国を羽田で迎えた。
あれから30年。その間に、私に優しかった義姉は亡くなり、兄も私も歳をとった。
イランではイスラム革命が起き、政治も社会も変わった。 酒も飲めない国になった、嗚呼。
30年の星霜を経て、いま、弟の私がテヘランの地に立とうとしている。
かつて兄が見たであろう風景が、車窓を流れる。 一つでも見逃すまいと、目を凝らして眺める。
テヘランの北に連なるアルボルズ山脈は霞んで見えない。
乱暴(に思える)運転で、年式の古い車が、20円 / g というガソリン代に任せて走り回っているのだろう。
シルクロード 大走破 風の旅   「星霜30年 テヘランに吹く風」
大帝国ペルシャの由緒ある街々の中で、テヘランは比較的新しい街だ。
街の骨格は、オイルマネーによる繁栄と専制のパフラヴィー朝の時代に形成された。
中央アジアの、ソ連時代を色濃く残して特徴のない街に通じるものがある。
人口は全イランの1割以上を占めて700万人に届こうとしている、西アジアで最大の街だ。
大都市・テヘランも、シルクロード大走破では節目となる大都会に過ぎないのだが、
私には一つの感慨があった。
エマーム・ホメイニ師の墓
撮影は自由だが、
シャッターを押してもこうなる。
テヘラン 入り
マシャドからテヘランに入るには、市の南東方向から入る。 エマーム・ホメイニ廟がある。
今ではシーア派の最も重要な聖地になっている。
ハマム (トルコ風呂)
セムナンの街では
かつてのハマムが
博物館になっていた
隊商宿の中庭 (カメラに収まらない程広い!)
サブセバールからセムナンに向かう途中で、巨大な隊商宿(キャラバンサライ)跡 に立ち寄った。
ホテルに改造する、とかで、1/6 位のスペースで工事が行われていた。 それくらい広大な建物なのだ。
「カナート」とは、砂漠や乾燥地域での水供給システムの一つ。
日本語では「横井戸式地下水灌漑体系」と表現する。
仕組みは、
水のある山麓地帯に最初の深い第1 井(母井:マダル・チャー)
を掘り、そこの帯水層から取った水を暗渠で導水し、
灌漑地の近くで地表に出すのがカナート。
暗渠で導水するのに、地下から一直線に横には掘れないので、
多数の竪抗の井戸を続けて掘って、それらをつないでいく。
中央アジアでは竪抗は地表に露出しているが、
イランでは写真のような覆いで保護している。
イランでワインが飲めるなら、
日本から携えてきたのに!
ネェ、丸藤さん。
成田を発つときからタバコをやめていたが、
禁酒のイランでは水タバコを吸った。
林檎の味とかいろいろある。 20円くらい。
中央アジアでもそうだが、
イランの人は、とにかくチャイ(紅茶) を多く飲む。
酒がないから仕方ないか。
カナート (これは地表での設備)
チャイハナ(喫茶店)で
「ルバイヤート」 ? 
その名を国産ワインで知っていた。
山梨の丸藤葡萄酒の商標名だ。
日夏耿之介が気に入ったワインに
「ルバイヤート」 と命名した、と
聞いたことがある。
ルバイヤート  過去を思わず未来を怖れず,ただ「この一瞬を愉しめ」と
哲学的刹那主義を強調し,生きることの嗟嘆や懐疑,苦悶,望み,憧れを,
平明な言葉・流麗な文体で歌った四行詩の数々.
11世紀ペルシアの科学者オマル・ハイヤームのこれらの詩は,
形式の簡潔な美しさと内容の豊かさからペルシア詩の最も美しい作品として
広く愛読されている.
オマル・ハイヤーム廟

マシャドからサブセバールへの
途中にある。 イスラム圏では
珍しい近代的な廟。

オマル・ハイヤームの詩は
「ルバイヤート」 と呼ばる。
マシャドの中心にハマムがある。
シーア派8代目イマーム(指導者・統率者)であるレザーの聖墓を中心とした宗教施設の複合体をハマムと呼ぶ。
戒律の厳しい国だから、その聖地に立ち入るとなれば相応の用意がいる。
異教徒で、外国人の女性が、まず、その洗礼を受ける。 顔以外出せないのだから、夏の観光は地獄だろう。
入口ではX線のゲートをくぐる。 荷物は全て預ける。 勿論、カメラも。 だから、マシャドでは入口で撮ったこの写真しかない。
イランで最も名高いこの巡礼地を目指して、
イラン各地から、また、近隣諸国からの巡礼者が
引きもきらない。
家族を詰め込んだ自家用車、満席の貸し切りバスと
実にたくさんすれ違い、また併走した。
近隣の街中の公園は、巡礼者の食事場所であり
野営地であり、街道沿いのモスクは公衆トイレである。
簡易テント (無償貸出し?) を張り、小型ガスボンベで
調理する様はさながらピクニックのように見える。
彼らに、先を急ぐ気配はなく、時間はゆっくり流れている。
マシャド

マシャドは、イラン・イスラム共和国にとって、
首都・テヘランよりも重要な街かもしれない。
マシュハデ・モガッダスというこの街の別称は
「聖なる殉教地」 の意味を持つ。
マシャドはイスラム教シーア派の最も重要な聖地である。
とまれ、いよいよ中央アジアとサヨナラで、今日からは、イラン だ。
2週間、アルコールとも
‥‥‥。
トルクメニスタンからイランへの国境越えは、時間はかかったものの、トラブルもなくスムースだった。
2グループに分かれて緩衝地帯を通り抜けたが、添乗員氏は後ろの車。
入管の手前、橋を渡ったところで全員のパスポートを提出し、パスポートなしで事務所に着いた時は少し不安だった。
どんな事務処理をしているのか知る由もないが、パスポートが戻されるまでに時間がかかったこと!
このページはの区間の旅行記です
西方見聞録 8  イランT   マシャド〜テヘラン  テヘラン〜マクー   
                             2005/09/10〜09/13 09/19〜09/20

09/10
  マシャド(観光) (
陸路) ニーシャプール (陸路) サブセバール(泊)
09/11  サブセバール (
陸路) ミヤンダシュト (陸路) セムナン(泊)
09/12  セムナン(観光) (
陸路) テヘラン(泊)
09/13  テヘラン(午前:休養、午後:観光、泊)
09/14  テヘラン(観光) {
空路) シラーズ(泊)
        この間、シラーズ、ペルセポリス、ヤズド、イスファハン を観光します 次ページ
09/19  イスファハン (
陸路) テヘラン(泊)
09/20  テヘラン (
陸路) タブリーズ(観光、泊)
10/21  タブリーズ (
陸路) マクー(観光、泊)
は現在地です)
目 次
イラン T
G

表  紙  シルクロード大走破 風の旅       旅  程  北緯40°どこまでも西へ

旅行記  馬閑人 西方見聞録
        1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 )  「ゴビ灘をわたる風」
        2 
中国U ( 新疆ウイグル自治区  「白楊溝廃寺に吹く風」 他
        3 
カザフスタン ・ キルギスT  「中国 ・ カザフ国境に澱む風」 他
        4 キルギス ・ カザフスタンU  「古戦場の長閑な風」
        5 ウズベキスタンT (サマルカンド ・ ブハラ)  「ティムールの門 の風」
        6 
ウズベキスタンU (ヒワ)  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
        7 トルクメニスタン  「旅先にまで娑婆の風」
        8 イランT (テヘラン)  「星霜30年、テヘランに吹く風」
        9 イランU (ペルセポリス ・ イスファハン)  「ペルセポリスの暑い風」
        10 
トルコT (カッパドキア)  「アナトリア高原の風」
        11 
トルコU (イスタンブール)  「海峡の街で いい気分の風」 

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