チョン・アクスー渓谷
鷹匠が愛想よく手袋を貸してくれた。
手にはめて、鷹を止まらせたら、
シッカリ料金を取られた。
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表紙  シルクロード大走破 風の旅 旅程  北緯40°どこまでも西へ
旅行記  馬閑人 西方見聞録
1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 ) 2 中国U ( 新疆ウイグル自治区)
3 カザフスタン ・ キルギスT 4 キルギス ・ カザフスタンU
5 ウズベキスタンT 6 ウズベキスタンU
7 トルクメニスタン 8 イランT
9 イランU 10 トルコT
11 トルコU  (は現在地です)
部屋に冷房は無い。冷房は要らない。8月下旬、夜の外気は16度。 
空気は乾燥している。夜、洗って手絞りで干したジーンズが、朝には乾いていた。山国らしく、天気の変わりようも早い。
朝6時20分に日の出を拝んで。25分に雨が降り出し、とても大きい虹が出た。
50分には雷鳴。雨足に加えて風も強まってきた。
この日の午前中はチョン・アクスー渓谷へハイキング。眺めのよいところで昼食。
この予定、どうなるか、と気をもんだところ、やはり山の天気はめまぐるしく変わった。小雨も、雷雨も、陽差しもあった。
とまれ、チョン・アクスー渓谷の散策を終えて、食事も終えて帰館。
天気は好転し、イシク・クル湖の湖畔へ。
湖水は冷たいが、キルギスの人には暖かいのだろう。砂浜があり、ビーチパラソルが立ち、碧い水の湖水浴に人が戯れている。
対岸にはテルスケイ・アラ・トー(天山の支脈)の山々が雪を頂いてそびえる。キルギスならではの光景だろう。
キルギスの国土の東側は、琵琶湖の9倍のイシク・クル湖がかなりの面積を占める。
イシク・クル湖といえば、かつて、玄奘三蔵がインドへの行き帰りに訪れた湖だ。
シルクロードに興味を持った井上靖が、訪れたいと願って、夢がかなわなかった湖だ。
旧ソ連時代には開放されなかった湖だったから 「幻の湖」 と呼ばれた湖だ。
湖畔のホテルは旧国営保養所の建物だ。
広大な敷地とプライベートビーチを持つ。党や政府の上層部がわが世の春を謳歌した場所だったろう。
キルギス独立後は「料理のまずいホテル」が旅行業者間の定評らしい。
かといって、他の民族のお嬢さんんはどうか、と言えば、
これまた、いい。
ロシア系ばかりが印象的だったが、それだからこそ、
レストランで見かけたウエイトレスに、日本的な雰囲気を
感じたときはホッとした。 カメラを向けたお嬢さんは、
写真写りよりも素顔はもっと日本的だった。
カザフスタン ・ キルギス 国境
国境の撮影は禁じられているが、
誤操作でシャッターに指が触れたのかも。
ここの出入国はスムース。
キルギスは親日国家で、ビザが要らない国はトルコと日本だけ、とか。
カザフスタンに入ると自動車の数が急に増えた。
数は多いが、よくもこれで走っている、、という年代物が多い。 三角窓のついた直線基調のスタイルだ。
道端で立ち往生した故障車や、ボンネットを開けた車、パンクした車も多い。
ソ連時代の車に混じって、右ハンドルが走っている。 日本からの中古車だ。 日産セフィーロが多かった。
中央アジアにソ連という楔が深く突き刺さっているのを感じる。
諸国に、民族意識の高揚は伝えられるところだが、
一気に米語と米ドルが横行するような気もして‥‥。
訪れたのは真夏。
おへそを出して、颯爽と歩く姿はロシア人が似つかわしい。
お嬢さん方の20年後の変形を知る由もないが、
いま目の前を歩くお嬢さんは確かに均整の取れたスタイルで、
顔立ちは、某テニス選手よりは遥かに整っている。
国境を越えたら、とたんに風景が変わった。
キルギスを 「東洋のスイス」 と言うそうな。
  イシク ・ クル湖
  玄奘(三蔵法師) が、インドへの行き帰りに立ち寄った湖。
  ソ連時代は外国人立ち入り禁止で、「天山山脈に隠された幻の湖」 だった。
  周囲700km 琵琶湖の9倍の大きさを持つ。
  海抜1600m はチチカカ湖に次ぐ高山湖第2位。 透明度はバイカル湖に次ぐ第2位。
  2位が好きな湖だ。
シルクロード 大走破 風の旅   「ロシアを引きずるアジアの風」
中央アジアの諸国は多民族国家である。
カザフスタンでは、カザフ人46%、ロシア人35%、ドイツ人6%、ウクライナ人5%が主なところで、
そのほかにたくさんの少数民族が居る。
20世紀に入って、ソ連の一部となり、首都がおかれたアルマトイではカザフ人とロシア人の比率が逆転する。
街中では大柄なロシア人が目を引くから、ロシア人の比率がもっと高いように感じる。
街道沿いの果物売り とにかく安い! スイカが50円。
旅行中、スイカと瓜は朝晩欠かさず食べた。
中央バザール
28人のバンフィロフ親衛部隊記念公園
利用した オトラルホテルは交通至便で、道を挟んでこの公園がある。
対ドイツ戦で18台の戦車を破壊したアルマトイの部隊を称えるもの。
中央のモニュメントに隣接してロシア正教会(センコフの聖堂)が建つ。
遊園地の建物のようだが、日干し煉瓦と土の家を見慣れてきた目には
なんとも新鮮に移った。
ホテルから5分も歩けば中央バザールがある。
体育館のような建物に、、食料品、家電、衣料、何でも売っている。
センコフの聖堂
キルギスの入管はコンテナのような建物。 (青い看板の陰)
軍服を着た係官の第一声は
「ニホンジン? ヨウコソ。 たばこをもってないか?」
中・カ国境の雲助運転手に比べたらかわいいおねだりだ。
荷物室が開かなければ話にならないので添乗員氏が折れた。
雲助運転手のにやりと笑った口元から金歯がキラリ。 あぁ、イヤだ。
これからの国境越えは、やっぱり飛行機にしよう。
私は数少ない体験から、国境での現地の人々を悪し様に書きなぐっていますが、
葡萄舎への出張料理で腕を振るってくれる敦煌の胡大厨師をはじめ、
大好きな中国人が大勢居ます。 今回の旅行でも、行く先々で、
愛すべき大勢の中央アジアの人々とめぐり逢い、すれ違いました。
困ったものだ、と思いながらも、天山北路の人々に敵意はありませんので、念のため。
  アルマトイ
  遊牧民の活動を別にすれば、ロシア統治下で砦が築かれた19世紀後半が街の起源。
  ソ連時代、カザフの首都として発展した。現在首都は移転しているが、経済、文化、学問の
  中心としての立場は変わっていない。 タシケントと並ぶ中央アジアの大都市。
  子供の頃の地図では アルマータ と記憶しているが、アルマトイとは 「りんごの里」 の意味。
  公用語のカザフ語よりもロシア語が幅を利かす街である。
  日本人捕虜の墓地があるからでもあるまいが、人々の顔つきは日本人に似ている。
秩序も何もない中国人、ウイグル人、カザフ人を割り込ませてなるものか!
スロープの上で爪先立つこと30分。
私の周りにはウイグル人の女学生の一団が居た。
身動きできない状態のおしくらまんじゅうが続くあいだ、多少はイイ思いをしたけれど。
柵の扉が開いてから出国まで、1時間半を要した!
国境には幅1km の緩衝地帯がある。 荷物を持って歩くわけにも行かないから、自動車を利用する。
        (前置き) カザフ人は、お金があると歯を全部金歯にするらしい。
        妙齢の女性がニッと笑うと金歯がずらり! あまり感心しないけど。
中国を出国すると、金歯を入れた運転手が客待ちをしている。
自動車には座席が6人分。 後ろ半分は改造して(?)荷物室になっている。
その1台に12人が乗るのだから、一番若い私は当然中腰の前かがみ。 ま、1kmだから我慢するか。
窮屈な思いでカザフスタンの入管に着いた。 1km のなんと遠くて長いこと!
ところが運転手が荷物室の扉を開けない。
聞けば、「もう20米ドルくれ」 とのたまう。 「冗談じゃない。 乗る前に20ドル渡したじゃないか」
「いいや、あれは乗る前、いまは乗ったあと」 などと訳の分からないことを言う。
このやり取りは添乗員氏と雲助運転手のあいだでなされたが、おおむね、こんな内容だったらしい。
入管の職員を呼んで事情を話したが埒があかないから、入管もグルだ。

玉村豊男氏はトルファンで飲んだビールを 「冷えてないのが
玉に瑕だが、それでも乾燥した気候にビールは実に美味い」
などとお書きになっているが、アレはうそだ。
氏が、本気で書いているとしたら、私は氏の味覚を疑う。
私も乾燥した気候を何日も旅行してきたが、
冷えていないビールを美味い!と思ったことなど一度もない。
国境越え
陸路での国境越えはパタゴニアで経験がある。
アルゼンチン→チリ はスムースだったが、チリ→アルゼンチン
はてこずった。
アルゼンチン入管のチリ人に対する嫌がらせだった。
ところで今回は。  まず出国。
ゲートの柵にはベニヤ板1枚分の出入り口がある。
開門と同時に300人あまりの出国者が扉に殺到する。
並んだ順番もへったくれもない。 割り込みは強引で、押し合いへしあい。 その状態が2・30分。
扉から管理事務所まで150m。 事務所の入口は会談4段分の高さにあり、小さなスロープになっている。
またまた、扉1枚の入口前で押し合いへし合い。
中国側 国境の町 ・ コルガス
突き当りが国境
敦煌までは良かった。 何が良かった? ビールが冷えていた。
ハミ(哈蜜)から天山北路の町々では、冷えたビールを置いて
いない、という日本人には考えられない異常さ!
注文したビールが冷えていないたびにガイドの 王 さんに
クレームをつけた。
日本の大学を卒業した、まじめな 王 さんは奔走してくれたが、
ホテルもレストランも冷えたビールを置いていないのだから
仕方がない。
シルクロード 大走破 風の旅   「中国・カザフスタン国境に澱む風」
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表  紙  シルクロード大走破 風の旅       旅  程  北緯40°どこまでも西へ

旅行記  馬閑人 西方見聞録
        1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 )  「ゴビ灘をわたる風」
        2 
中国U ( 新疆ウイグル自治区  「白楊溝廃寺に吹く風」 他
        3 
カザフスタン ・ キルギスT  「中国 ・ カザフ国境に澱む風」 他
        4 キルギス ・ カザフスタンU  「古戦場の長閑な風」
        5 ウズベキスタンT (サマルカンド ・ ブハラ)  「ティムールの門 の風」
        6 
ウズベキスタンU (ヒワ)  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
        7 トルクメニスタン  「旅先にまで娑婆の風」
        8 イランT (テヘラン)  「星霜30年、テヘランに吹く風」
        9 イランU (ペルセポリス ・ イスファハン)  「ペルセポリスの暑い風」
        10 
トルコT (カッパドキア)  「アナトリア高原の風」
        11 
トルコU (イスタンブール)  「海峡の街で いい気分の風」 

B
は現在地です)
目   次
イーニン(伊寧)から西へ90km も走れば、カザフスタンとの
国境の町 ・ コルガスに着く。
敦煌空港への出迎えから、12日間走り続けたバスと
ここでお別れ。現地ガイド氏やドライバーともお別れ。
ドライバー 黄さん↓
↓現地ガイド
  王 さん
カザフスタン
キルギス T
西方見聞録 3 カザフスタン イーニン(伊寧)〜国境〜アルマトイ〜イシク・クル
                                            2005/08/23 〜 26
08/23
  イーニン(伊寧) (
陸路国境越え) アルマトイ(泊)
08/24  アルマトイ (午前中・休養、午後・観光、泊)
08/25  アルマトイ (
陸路国境越え) イシク・クル(チョルパン・アタ)(泊)
08/26  チョルパン・アタ (
陸路) チョン・アクスー渓谷 (陸路) イシク・クル(チョルパン・アタ)(泊)

B
共和国広場 (旧 大統領府前の広場)
街並みはロシア風で、街の個性も特徴もない。
ただ、だだっ広いだけ。
土地は限りなく広いのだから、誰が都市計画をしてもこうなるだろう。

乾燥地帯に共通して言えることだけど、
土地の広さをうらやましがることはない。
いくら土地があっても水がなければ生きていけないのだから。
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