ボゴダ峰 5445m

進めど進めど変わらない景色。
車窓の右は地平線。
左は延々と天山山脈。
ウルムチに近づいて、
ひときわ目立つ秀峰が!
天山山脈の東の盟主・ポゴダ峰。
日ごろの心がけか、
たった一度だけ姿を現した。
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表紙  シルクロード大走破 風の旅 旅程  北緯40°どこまでも西へ
旅行記  馬閑人 西方見聞録
1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 ) 2 中国U ( 新疆ウイグル自治区)
3 カザフスタン ・ キルギスT 4 キルギス ・ カザフスタンU
5 ウズベキスタンT 6 ウズベキスタンU
7 トルクメニスタン 8 イランT
9 イランU 10 トルコT
11 トルコU  (は現在地です)
私達はボゴダ山脈の北を走りましたが、
山脈の南にはトルファンがあります。
葡萄の特産地 トルファンでは葡萄祭りが行われている時期です
残念ですが、また、いつの日にか訪れることができれば‥‥。
ポプラ並木の向こうは葡萄畑です。(敦煌近郊で、写真右)
どこを走っていても、どんな栽培方法でも、
葡萄畑だけはすぐに眼に入ります(笑)
酔臥沙場君莫笑 古来征戦幾人帰
ハミから、ウルムチ、チンホー、イーニンと天山北路を進んできました。
遥か遠くまで来たな、を実感します。
太古以来、辺境に遣わされた防人たちも、同じ道を数十倍の日数をかけて
たどり着いたことでしょう。
還れる保証がなかった彼らの嘆きが聞こえてきそうです。
葡萄美酒夜光杯 欲飲琵琶馬上催
敦煌は夜光杯の産地として有名です。 
でも、 長旅の緒に就いたばかりだから、
かさばるもの、重いもの、壊れるものの購入を避けました。
↑ サイラム・ノール

チンホー(精河) からイーニン(伊寧)に向かう途中にある。
「北疆の真珠」 と呼ばれている。
東西20km、南北30km の塩湖である。
海水ほど辛くはない。

← イり川

中国西北端の街・イーニンは、南を天山山脈、
北をポロホロ山脈、コルキャン両山脈に挟まれて、
降水量が多い。
豊な水を集めて流れるのがイリ川である。 大河だ。
橋の上、橋のたもと、河原は市民の憩いの場だ。
家畜と一緒の生活だから、ゲルのそばにも家畜はつながれている。
牛、馬、羊、やぎの糞が、除けて通るさえ難しいほど散乱している。
蝿も多い。調理場の鍋のミルクには蝿がたかっている。
朝一番、私達の訪問に、ベッドを片付け、子供には服を着させ、
旅行者の要求に応じてカメラの前でポーズを作る。
私達の訪問を驚きもしない。
もう、慣れっこになっているのか。 もう、ビジネスなのか。
バリコンでもまた「地球の歩き方」に載っていない「大河故城」へ
行く途中、カザフ遊牧民のゲル(包)を訪れた。。
設営と撤収を頻繁に行うのだから、生活備品は単純そのもの。
合理性をとことん追求したらこうなるのだ、というお手本。
生活をするに、必要にして最小限度の備品で構成されている。
プライバシーや衛生は必要ないのか? あってはいけないのか?
そんなウルムチにも救いはある。
バザールと、それに付随した夜空の下のレストラン。
レストランと言うよりもオープンカフェ。
「刀削麺」 など、名人コック だけのなせる技?
いえいえ、爺さんも、おばちゃんも誰でもがやってます。
日本のTVの番組にだまされていました。
昼食はほとんど街中や街道沿いの食堂だった。 添乗員氏が麺が好きだったから?
確かに麺類は美味い。 具は炒めたた肉や野菜。それを煮込んでぶっ掛けて食べる「ラグ麺」 は忘れがたい。
調理場までお邪魔したお礼に写真を、と言ったら、家族がみんな出てきた。
  ウルムチ (烏魯木斉)
  ウルムチは世界で最も海から遠い内陸に位置する街、として知られる。
  省として中国最大の面積を持つ、新疆ウイグル自治区の首府である。人口175万。
  晴天が続いて降水量は少ないが、
  周囲には万年雪をいただいた峰々があり、雪解け水で水不足はない。
  中国の王朝と遊牧民のあいだで攻防が繰り返された歴史を持つ。
  19世紀以降、ロシアの東進が始まると軍事拠点としての性格が強まった。
  現在、中国の西域開発の拠点として発展を続けている。
シルクロード 大走破 風の旅  「遊牧民のゲルを取り巻く風」
パリコン〜ジムサル間にある 大河故城
昔は大河だったろうに、いまは細々と流れていた
仏寺遺跡はチョロチョロと流れる小川の対岸にある。
廃寺となったのは、イスラムのせいではなく、水の枯渇だという。
放置された年月で、わずかな残骸を残して、周囲の土と同化している。
日干し煉瓦を積み、泥で固めた建物は、風雪で土に還る。
かっては、1km四方の威容を誇った寺院が‥‥。
寺の盛衰を見つめて吹き続けた風は今日も吹いている。
ゴビ灘をわたる乾いた風の心地よさに、忘れていた暑さを思い出した。。
「いま、何度?」 首からぶら下げた温度計を見て添乗員氏 「34度」。
内陸の暑さと、乾いた風は、物悲しさを呼び起こさないのだろうか。
騾馬車に戻ってつぶやいた。 「アバヨ」。 本当は去りがたかったのに。
仏寺遺跡に行く、と告げたら、驢馬(ろば)車で行け、ということになった。
どんな方法で連絡を取ったかは知らない。 普及目覚しいケータイだろうか。
時間に頓着しない寒村で、20分もたった頃、驢馬車が集まってきた。
1台、騾馬(らば)車がいる。 3台に分譲することになった。
私は騾馬車に乗った。 驢馬よりも騾馬のほうがたくましいと思ったから。
車といっても、瓜やスイカを運ぶ荷車だから、乗り心地の悪いことこの上ない。
30分も揺られて、1台のロバ車が 往復で20元(300円弱)。
シルクロード 大走破 風の旅  「白楊溝仏寺遺跡を吹く風」
ハミから1時間半。バスは、運転手も知らない白楊溝村を目指している。
村はずれに、仏教遺跡があるという。 「地球の歩き方」 にも載っていない。
バスを止めて道を尋ねること3度、4度。 やっとたどり着いた。
村の中心には食料品店が1軒。 棚に並んだ品数は数えるほどしかない。
昼の10時過ぎなのに、店の前には働き盛りの男が6・7人座り込んでいる。
このページはの区間の旅行記です
  ハミ (哈蜜)
  伊吾と呼ばれたハミ (哈蜜) は、新疆の東端に広がるハミ地区の中心地である。
  人口52万。
  ハミの語源の一つとして、古代ウイグル語の khamil (大きな門) がある。
  中央アジアへ続く、天山北路の入口として繁栄したこの街にふさわしい名前だ。
  ハミ瓜 の名はイランでも通用する。

表  紙  シルクロード大走破 風の旅       旅  程  北緯40°どこまでも西へ

旅行記  馬閑人 西方見聞録
        1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 )  「ゴビ灘をわたる風」
        2 
中国U ( 新疆ウイグル自治区  「白楊溝廃寺に吹く風」 他
        3 
カザフスタン ・ キルギスT  「中国 ・ カザフ国境に澱む風」 他
        4 キルギス ・ カザフスタンU  「古戦場の長閑な風」
        5 ウズベキスタンT (サマルカンド ・ ブハラ)  「ティムールの門 の風」
        6 
ウズベキスタンU (ヒワ)  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
        7 トルクメニスタン  「旅先にまで娑婆の風」
        8 イランT (テヘラン)  「星霜30年、テヘランに吹く風」
        9 イランU (ペルセポリス ・ イスファハン)  「ペルセポリスの暑い風」
        10 
トルコT (カッパドキア)  「アナトリア高原の風」
        11 
トルコU (イスタンブール)  「海峡の街で いい気分の風」 

目   次
は現在地です)
A
中国 U
西方見聞録 2 中国 ハミ(哈蜜)〜ウルムチ(烏魯木斉)〜イーニン(伊寧)  2005/08/18 〜 22

08/18
  ハミ(哈蜜)観光 (
陸路)  白楊溝仏寺 ハミ市内  (陸路) パリコン(巴里坤)(泊))
08/19  パリコン(巴里坤) (
陸路) ジムサル(吉木薩尓)(観光 ・ 泊)
08/20  ジムサル(吉木薩尓) (
陸路) ウルムチ(烏魯木斉)(観光 ・ 泊)
08/21  ウルムチ(烏魯木斉) (
陸路) チンホー(精河)(泊)
08/22  チンホー(精河) (
陸路) サイラム・ノール (陸路) イーニン(伊寧)(泊)
A
ウルムチ (烏魯木斉)

この街が、西域開発の拠点であることは認めよう。
躍進を象徴する近代化に誇りを持つのもいい。
しかし、
シルクロードにあこがれて、はるばる訪れた旅行者の
夢を完全に打ち砕く町になってしまっている。
これを嘆くのは旅行者のわがままなのだろうか?
星星峡

なんとロマンチックな地名!
甘粛省と新疆ウイグル自治区の境界。検問所で
警官がバスの中までチェックに乗り込んできた。
新疆ウイグル自治区に入ると、とたんに
アラビア語に似たウイグル語標記が併記される。

ガソリンスタンドのトイレに入って、
「何も見るな、何も考えるな」 を初体験した。
これ以降、トイレ休憩は青空の下、と決める。
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