バザール
カザフスタン→キルギス→カザフスタン再入国
8日間お世話になった、現地ガイドの アセル さん(女性)
ドバイバー(2人)、バスとお別れ。
いよいよウズベキスタンへ国境越えだ。
  タシケント
  子供の頃見た地図帳で、ソ連の中央にひときわ大きい都市の記号があった。
  今、人口210万を超える、ウズベキスタンの首都タシケントだ。
  街の歴史はBC2世紀までさかのぼり、11世紀には 「石の町」 とよばれ、中国の歴史書にも登場する。
  18世紀にはロシアの支配下に置かれ、中央アジア全体の植民地経営の拠点となった。
  街は旧市街と新市街に二分される。 66年の大地震後にソ連式の建築で個性をなくした新市街に対して、
  旧市街にはシルクロードの面影が色濃く残っている。
トルケスタン
人口7万人の小さい街だが、この町が有名なのは
イスラム教神秘主義者ホジャ・アフメッド・ヤサウィー
の霊廟があるから。
オトラル

オトラルは紀元前1世紀から18世紀まで、東西交易の要衝として栄えた。
1210年,ホラズム帝国のムハンマドがオトラルを占領し,部下のイナルジュクを知事に任じたが、
1218年,モンゴル帝国が派遣した隊商を略奪し(オトラル事件),チンギス・ハンの西方遠征の契機をつくることになった。
オトラルは,チャガタイ、オゴタイ両皇子の率いる軍に攻囲され,数カ月抵抗したが陥落し,イナルジュクは処刑された。
オトラルは,ティムールが中国遠征の途上,この地で病没したことでも知られる。
いまは18世紀時代の遺構が土に覆われ、発掘作業が続けられている。
タラス川(下流方向)
タラス川(上流方向)
中国からタラスまで、現代の交通手段でさえ長旅を強いられる。
当時の人馬がこの地まで進軍して来るだけでも命がけなのに、8世紀の半ばに両軍合せて10万の兵士が動いた!
人間って、空恐ろしいことをやり遂げるものだ。
今、タラス川は水量を減らして細々と流れている。
往時を語るものは何もない。 石碑一つ、看板一つないのは、見事というべきか。
河原では愛車を洗っている人がいる。 土手にはじゅうたんが干してある。
極めつけは、どこかで草を食んで来たのだろう、 帰牛の群れが橋一杯になって渡り始めたこと!
そのとき歴史が動いたのに、ロマンのひとかけらもない、なんと長閑な。
シルクロード 大走破 風の旅  「古戦場の長閑な風」
唐からの遠征軍3万と、アッバース朝主導のアラブ混成軍7万が、中央アジアの覇権をかけて
タラス川が流れる平原で会戦したのは751年。
唐軍に加わっていた遊牧民の寝返りで、唐軍は壊滅したと伝えられている。
この戦いを境に、中央アジアはイスラムの支配するところとなった。
唐軍の捕虜に製紙職人が居て、サマルカンドに製紙工場を建て、以後、イスラム世界に製紙法がもたらされた。
戦いの側面がどんなに評価されようと、かり出された兵士はたまったものじゃない。いつの世も。
朝日に輝く銀嶺 昨日の雨は初雪になったのだろうか
この町は19世紀後半にできた町で、
歴史を感じさせるものは少ない。
国立歴史博物館の 裏庭には、
昔懐かしいレーニン像がひっそりと
立っている。
歴史に乏しい町にある歴史。

前庭では衛兵の交代
1時間ごとに行われていた。
冬季は30分ごとだと言う。

10月に雨が降り、11月には雪になり、
春3月までマイナス20度、というのが
ひと山超えたアルマトイだから、
山国キルギスはもっと寒いはずだ。
ビシュケク

イシク・クルからビシュケクまで一日中、雨。
気温は14度か15度。 バスには暖房が入る始末。
まだ、8月の下旬だというのに、街行く人の服装も、
防寒具と半袖がゴチャ混ぜという奇天烈さ。
オイ、オイ、といいながら首都・ビシュケクに着いた。
ホテルで迎えた翌朝。裏庭越しに、
キルギス・アラ・トーの北斜面が!
このキルギス・アラ・トーは街道沿いに、次から次へと
山群が現れて、とうとう、カザフスタンのタラスまで続いた
7世紀には、玄奘(三蔵法師) も
インドに向かう途中立ち寄った、という。
10世紀末には、遊牧国家カラ・ハーン朝の
都が置かれたところ。
当時はバラサグンと呼ばれたが、
滅ぼしたのはモンゴル。
シルクロードでは、何度、玄奘三蔵の名と
「モンゴルに滅ぼされた」 と聞かされたことか。
遺跡は200m 四方。
キリスト教会や、仏教寺院の跡が
残されているが、
全ては土に戻りつつある。。
トクマク遺跡
ブナラの塔
11世紀の建造で、
当時は45m の高さを誇っていた、そうな。
現在は24m 。 登った。
イシク・クルからキルギスの首都・ビシュケクに向かう途中、トクマクの遺跡を訪れた。
イシク・クル湖畔の町チョルパン・アタの街道沿いでは、
湖で獲れる鱒の燻製を売っていた。
珍しそうに手に取って、アレがいい、これがいい
などと騒いでいると、買う気があるのかと
おばさんは懸命になったが、ヒヤカシでゴメンナサイ。
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表  紙  シルクロード大走破 風の旅       旅  程  北緯40°どこまでも西へ

旅行記  馬閑人 西方見聞録
        1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 )  「ゴビ灘をわたる風」
        2 
中国U ( 新疆ウイグル自治区  「白楊溝廃寺に吹く風」 他
        3 
カザフスタン ・ キルギスT  「中国 ・ カザフ国境に澱む風」 他
        4 キルギス ・ カザフスタンU  「古戦場の長閑な風」
        5 ウズベキスタンT (サマルカンド ・ ブハラ)  「ティムールの門 の風」
        6 
ウズベキスタンU (ヒワ)  「綿花畑の乙女にそよぐ風」
        7 トルクメニスタン  「旅先にまで娑婆の風」
        8 イランT (テヘラン)  「星霜30年、テヘランに吹く風」
        9 イランU (ペルセポリス ・ イスファハン)  「ペルセポリスの暑い風」
        10 
トルコT (カッパドキア)  「アナトリア高原の風」
        11 
トルコU (イスタンブール)  「海峡の街で いい気分の風」 

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表紙  シルクロード大走破 風の旅 旅程  北緯40°どこまでも西へ
旅行記  馬閑人 西方見聞録
1 中国T ( 西安 ・ 敦煌 ) 2 中国U ( 新疆ウイグル自治区)
3 カザフスタン ・ キルギスT 4 キルギス ・ カザフスタンU
5 ウズベキスタンT 6 ウズベキスタンU
7 トルクメニスタン 8 イランT
9 イランU 10 トルコT
11 トルコU  (は現在地です)
は現在地です)
目   次
カザフスタン
キルギス U
西方見聞録 4 キルギス ・ カザフスタンT   イシク・クル〜ビシュケク〜タシケント  
                                        2005/08/27〜08/30

08/27  イシク・クル (陸路) トクマク (陸路) ビシュケク(泊)
08/28  ビシュケク (
陸路、国境越え) タラス川 (陸路) タラス(泊)
08/29  タラス (
陸路) トルケスタン(観光、泊)
08/30  トルケスタン (
陸路) オトラル遺跡 (陸路、国境越え) タシケント(観光、泊)

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