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宮津黒埼灯台


いねこう
伊根港灯台
 1001
 北緯 35°39' 9", 東経 135°16' 9"
 白色 円塔形 コンクリート造

 単閃白光 毎4秒に1閃光
 光達 8海里
 地上〜頂部:10m、水面〜灯火52m
 初点 昭和30年5月

たがらすこうみょうじんはな

舟屋集落が尽きるところに灯台がある

灯台めぐりをしていて、なにが口惜しいって、灯台が見えるのに船がなくて行けない。 これほど口惜しいことはない。
島に渡ろうと思えば、瀬渡しか漁船をチャーターするしかない。 伊根港の港内に海上タクシーとは、地獄で仏、だ。
海から眺める舟屋集落とい言う観光ポイントがあるおかげだろう。
船が帰ってくるのを、岸壁で待つこと20分。  はやる気持ちで 「舟屋集落はどうでもいいから青島へ!」 と告げる。

ばくちみさき
博奕岬灯台
 1007 [F7258]
 北緯 35°32' 9", 東経 135°20' 5"
 白色 四角塔形 コンクリート造

 単閃白光 毎10秒に1閃光
 光達 19海里
 地上〜頂部:12m、水面〜灯火129m
 初点 大正14年3月1日

博奕岬―――。 その名称に興味がわく灯台だが、堂々たる灯台だ。
岬全体を自衛隊が占有している。 今は、施設は何もなくて時折演習をしている、とは地元の方の談。
山を越えて若狭湾に出て海岸沿いを進むと、ゲートとフェンスで先に進めない。
地形図には載っているのに、海岸沿いに進む山道も見つからない。
自衛隊のジープが走ったのであろう、滑り止めがついた立派なコンクリートの車道はあるのだが‥‥。
ゲートが閉じられているということは、中に、上に、誰も居ないということだが‥‥。
止むをえない、諦めて引き返した。  (と、ブログには書いておいた)
引き返したが、カメラには初点プレートも灯室のレンズも写っていた。 不思議だ。

たていしみさき
立石岬灯台
 1047 [F7246]
 北緯 35°45' 7", 東経 136°01' 1"
 白色 円塔形 石造

 単閃白光 毎10秒に1閃光
 光達 22海里
 地上〜頂部:8m、水面〜灯火122m
 初点 明治14年7月20日

明治14年、ブラントンが帰国した後に、日本人の技術で造られた灯台だ。
この灯台は敦賀市の誇りだったようで、市章にデザインされている。 市のHPでは市章のいわれとして、灯台を用いたことを、
「敦賀港最初の文明施設としての灯台を具現し、港湾都市としての将来への発展を意味しています」 とある。

塔高8mと小粒だが、海抜110mの山上ならこれで十分だ。
灯台入口に立てかけた竹の杖は、干飯埼灯台の崖で活躍した働き者だ。
しかし、痛む足を引きずって、よくぞ110mの山に登ったものだ。 見上げたもんだ。 屋根屋の褌だ (笑)

ところで、全国の灯台めぐりをしていて、登山を強いられる灯台で人と出会った事など滅多にないが、
立石埼では会ったのだ。

灯台に着くと灯台入口の扉が開いていた! 中を覗くと、改修工事の方がいた。 一人。
灯台ファンなら、当然、「中を見せてくれ」 「写真を撮らせてくれ」 「上まで登らせてくれ」 と頼む。
工事の方は、「危険だし、みだりに人を入れてはいけないと言われている」 との返事。
無理を押しとおして、この方の会社が海保から睨まれては可哀想だ。
中に入ることと、上まで登ることは断念して、入り口からチラッと中を覗いたら、
立石埼灯台は螺旋階段ではなくて垂直の梯子だ! なるほど、これなら危険だろう。
   (と、ブログにはには書いておいた)

工事の方が110mの山を登ってきたのは工事をするのが目的で、灯台の階段を上ろうとしている私を見張るためではない。
「写真を撮ったらすぐに降りますから」 と言いながら、工事の方に右手を挙げて拝んで、登った。
痛む足を引きずって登った立石埼灯台で、その頑張りに対して、灯台に登れるというご褒美が用意されていたのだろう。
今回の灯台めぐりで最大の、予期せぬ、嬉しい、幸運な出来事だった。

D


以上が6泊7日の 「荒凪灯台紀行」 のすべてだ。
人は、私の灯台めぐりを 「爆走だ」 という。 好きで走っているわけではないが、走るのが嫌いではない。
残された人生で、したいことがたくさんあるから、
今は、一日も早く日本列島4島の海岸線を回り終えて、訪れた灯台の初点プレートをカメラに収めたい‥‥と。
下関から、単独行で運転しながらの灯台めぐりは確かに疲れる。
疲れているのは、後半にさしかかると写真枚数が急に少なくなっているので分かる。
これからの予定は、伊豆、三浦、房総の3つの半島と、東北6県の灯台めぐりだ。
2010年までには達成して、次のテーマに取り組みたい。
ご覧下さって、ありがとうございます。


























A

三方と小浜の中間で見た灯台。
私が好きなロケーションだ。

E

伊根から宮津に向かって帰る時、
左前方に半島が突き出ている。
白い灯塔が見える。
地形図を見ると、岩の崖だ。
歩いて行く道も記載されてない。
訪れて見たい灯台だ。


伊根港灯台がある青島 ↓

伊根港カンジャガハナ灯台を眺めていたら、地元の人が青島を指さして、「あの島にも灯台がありますよ」 と。
それを聞けば行きたくなる。
しかし、下関よりも若狭湾の日没は30分早いにしても、まだ4時過ぎだというのに、曇天で、既に黄昏の雰囲気だ。
躊躇する暇はないから周りを見渡すと 「海上タクシー」 の看板が!

さんぼんまつはな


三本松鼻灯台

通行止めの車道を歩いて、
灯台まで150mの地点まで到達した。
しかし、海に降りる獣道さえ見つからなかったので
初点プレートを撮るのは断念。
かなり、「口惜しいですッ!」

押廻埼灯台

押廻埼灯台を訪問することは今回の 「荒凪灯台紀行」 の予定に入っていたが、干飯埼灯台で足を痛め、
それを押して110mの立石岬灯台に登り、220mの常神岬灯台に登った。
それでも行こうと思えば、片道2km、海抜150mの行程で、行けなくもなかったが断念した。
足さえ痛めてなかったら‥‥。 まぁ、1基くらい、思いを引きずる灯台があってもよかろう。

田烏港明神鼻灯台

工事の方が、その日の作業を終えて下山するのと、
私の下山は同じ時刻だった。
並んで歩きながら、干飯埼灯台での難儀した話をしたら、
「立石埼が済んだら、干飯埼の改修工事をしますよ」
ウッソー! だったら
工事用に取り付け道路から整備するってことじゃないか!
干飯埼の改修が済めば、簡単に行けるってことじゃないか!
今日の私の苦労はなんだったのか!

@

舞鶴灯台

@ 立石岬灯台

A 常神岬灯台

(海上保安学校 ・ 実習施設)

舞鶴には海上保安学校がある。 その敷地に、実習施設としての灯台がある。

海上保安学校と言えば、中学、高校と仲の良かった男が進学して、給料を貰いながら学んだ学校だ。
仲の良かったヤツが進学した学校を訪ねていればキリがないが、そこでは、灯台めぐりのお師匠さんも学んでいる。
私に、何かと面倒を見てくれたお師匠さんが亡くなって8カ月になる。
備讃瀬戸や関門海峡の海上交通センター (現・マーチス) の所長を務めた方だった。
校門から本館まで百数十mの道を、お師匠さんを偲んで歩いてみた。 
水路部灯台課で一生を終えたお師匠さんの出発点だ。 合掌


常神半島は佐田岬よりも細い(?)

あかぐりさき
赤礁埼灯台
 1036
 北緯 35°31' 5", 東経 135°40' 2"
 白地に赤横帯2本 瓢箪塔形 コンクリート造

 単閃赤光 毎4秒に1閃光
 光達 5海里
 地上〜頂部:10m、水面〜灯火23m
 初点 昭和42年12月

灯台の名称が赤礁埼、灯火が赤光、灯塔が白地に赤帯2本。 赤ずくめの灯台だ。
しかし、若狭湾で赤白縞模様の灯台と会えるとは!
大島半島の先端には大型の鋸埼灯台がある。 
行ってみたい灯台だが、大飯原発の敷地内にあるので訪問を断念せざるを得ない。 若狭湾には原発が多すぎる。
赤礁埼灯台はその代替だけど、小型ながら、赤でまとめた印象的な灯台だった。

灯台表に載ってない灯台
海上保安学校・舞鶴灯台


B 赤礁埼灯台

C 博奕岬灯台

C

D

伊根港カンジャガハナ灯台

B

E 伊根港灯台

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若狭湾の灯台

海上タクシー
私が灯台訪問を終えるのを待っている

青島は、かつては一つの島だった。 くびれた部分を切り通して養殖場にしたために、今は二つの島になっている。
養殖場の船着き場で海上タクシーに待っていてもらって、30mの山を駆け登った。 昨日、足を痛めたのはどこの誰だっけ?
カンジャガハナ灯台の畔で会ったおばさんは、「これよりももっと大きい灯台がある」 と言っていたが、似たようなものだ。
多少のガッカリ感は否めないが、口惜しい思いをしなくて済んだことと、
足を引きずってでも、小山を駈け登る意志と体力があったことを喜んでいる。

いねこう
伊根港カンジャガハナ灯台
 1002
 北緯 35°39' 9", 東経 135°17' 2"
 赤色 円塔形 コンクリート造

 連成不動単閃赤光 毎3秒に1閃光
 光達 7海里
 地上〜頂部:8.5m、水面〜灯火8.9m
 初点 昭和44年9月

2年前、経ヶ岬灯台から山陰の灯台めぐりをした時に、宮津から経ヶ岬に抜ける道で、奥丹後半島の山中を走ってしまった。
特徴のある舟屋集落の伊根を通らなかった事を後々まで悔いた。 今回こそは‥‥と立ち寄った。。

伊根の港は、湾口に青島があって防波堤の役目をしている。 防波堤が要らない港だから、防波堤はない。
カンジャガハナ灯台は見るからに防波堤灯台だが、名称に 「防波堤」 は付かない。
防波堤はなくても波静かだから舟屋集落の形態が生まれた。

「連成不動単閃」 とは、弱い灯りを点し続けて、数秒に1回閃光が光ることをいう。

つねかみみさき
常神岬灯台
 1041
 北緯 35°38' 2", 東経 135°49' 0"
 白色 円塔形 コンクリート造

 単閃白光 毎3秒に1閃光
 光達 14海里
 地上〜頂部:8。4m、水面〜灯火244m
 初点 昭和32年12月

灯台は常神半島の先端にあって、道路は半島西側の海岸線沿いだ。
朝早い時間だったからなのか、道の真ん中に猿の群れがいるのに出くわした。
半島には小漁港があるだけで通行量が極端に少ないから、道路でもわがもの顔だ。
いくつかカーブを曲がって二つ目の猿の群れと出会ったとき、何を血迷ったか、子猿が灯台巡回車にぶつかってきた。
ガツンと音がしたが、車に凹んでなかった。 でも、かなり痛かったろう。 猿の群れには往路で3回、復路で1回出会った。

灯台は230mの山頂にある。 歩いて登る山としては、今回の灯台めぐりで一番高い。
常神漁港の駐車場は海抜0mだから、正味230mの高さを登る。
谷筋を登りつめ、稜線に出たところで2頭の鹿がいた。 地元の人の話では猪もいるというから、常神では イノシカサル だ。
杖とナイフは持参したが、投げつけるのに適当な小石がごろごろした山道で嬉しかった。

常神岬灯台は、古い写真で見ると小さいながらも格好がいい灯台だ。
その後、灯器がLEDに変更された時点で灯篭が撤去されていて、デンとした灯塔の上にちっぽけな灯器が乗っている。
なんともチンケな灯台を見ることになってしまった。
だから、灯台めぐりは急がなければならないのだ。 全国の名のある灯台が無様な格好になる前に。

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