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ぎゃるりー
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二階堂酒造の会社・工場は 大分県速見郡日出町 にあります。
別府湾に望んだ、国東半島の付け根の町です。
日出 といえば、私の伯父が 国鉄・日出駅 の駅長をしていました。
LOMG LONG AGO ですが、何かしら、縁 って、あるものですね。
今度、国東半島の 臼石鼻灯台を訪ねるときに、日出に立ち寄ってみよう、と思います。

‥‥そして、行ってきました。
工場の敷地に併設された美術館も見て来ました。 
創業者のコレクションである日本画が中心でしたが、いやはや、酒造業って儲かるんだナァ‥‥ (いや、失礼!)
一連の凝ったCMも 「なるほど!」 と肯いた私です。


二階堂酒造のHPに掲載されている写真をこのページに転載するのは無理だろう、と、
ダメモトでお願いしたら、意外にも、OKが出ました。
( CM担当の アイエージェンシー さんが、二階堂酒造の社長さんから直接の承諾です)
「叩け、されば開かれん」 です。 私はいつも、何をしても、人に助けられます。
数ある焼酎の中で、二階堂は好きな銘柄でしたが、ますます好きになりました(笑)
家業での消費にも拍車をかけましょう。 事実、美味い焼酎ですから。 皆様も、どうぞ。
白州灯台は、大分むぎ焼酎・二階堂 のTVCMに使われています。  
熱烈なファンを持っている一連のCMは こちら です。 白州灯台が登場するのは 「詩人の島」編 です。
灯台めぐりを始めて半年目の私が、このタイミングで白州灯台を訪れることができたのは、素直に喜ぶべきだ。
顕彰会のA氏には、来年も参加させていただきたいとお願いしてきた。
「白州灯台清掃ツアー」 が私の年間スケジュールに組み込まれるとすれば、無上の喜びというほかない。
本音を言えば、今年は、白州灯台に渡りたくて清掃に参加した。
写真は100枚も撮った。 灯塔を撫でて叩いて私流の儀式も済んだ。
来年は、単純に、清掃のためだけに参加させていただこう。 灯台には 「1年間達者でナ」と言って別れた。
燈台の多くが、建設時には大変な困難を乗り越えている。
初点灯にこぎつけてからは、死後となりつつある 「燈台守」 が大変な苦労を伴って灯りを点し続けた。
個々の灯台にまつわる苦労話は枚挙にいとまないが、
岩松翁という先覚者の固い信念と、崇高な願いが、灯台建設の原動力となった白州灯台は、稀有の存在だ。
その遺徳を慕って、顕彰会が灯台を大切に護っている。 これもまた素晴らしい。
6月3日(今日)付けの読売新聞北九州版に、「先輩の業績を学ぶ」 という見出しで地元の小学校の記事が載っていた。
何もない 踊り場
ソーラーシステム
急で、狭くて、頭をぶつける階段
北緯 33°58' 49", 東経 130°47' 39"
白黒塗装 塔形 下部石造 上部鉄造
第6等 単閃白光 毎4秒に1閃光
光度 800 カンデラ
光達距離 12.5海里
地上〜頂部:16.7m、水面〜灯火:16m
初点灯 明治6年9月1日
2006/06/03
「岩松助左衛門翁顕彰会 白州灯台清掃ツアー」 に参加して

‥‥そして、大間埼灯台は、2010年5月5日、訪問を果たしました ♪

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「あの灯台へ、いつか‥‥」 シリーズは、
通常の手段では行くことのできない灯台を取り上げています。
白州灯台に続いて、 水の子島灯台(豊後水道) 神子元島灯台(伊豆下田沖) 
大間埼灯台(下北半島) 等を候補に挙げていますが、
さぁ、生きてるうちに行けるでしょうか。

平成19年は、関西方面からのマイミクさんと参加したが、折悪く東風が吹いて船が着岸眼できず中止。
20年は清掃することができたが、21年は海が荒れて、チャーターした漁船5隻は中間点で引き返した。
4回試みて2回は中止。
白州灯台が玄界灘の荒海に孤立していることを、こんなことで実感するとは‥‥。 嗚呼。



















西から
北から (正面)
東から
南から
来年、また来る それまで達者で!
開錠 開けゴマ!
小倉長浜港の船溜り
巡視艇も出動
いよいよ接岸
上陸 !
白州灯台を管理する若松海上保安部に出向いたら、
灯台建設の先覚者 ・ 岩松助左衛門 を顕彰する会が、年に1回、灯台を清掃すると教えられた。
早速、顕彰会のA氏に電話して清掃活動への参加を願い出た。 快諾をいただいた。
白州に上陸するには海保の許可がいるそうで、瀬渡しで近づけても上陸はできない。
到底、灯台に登ることなど夢のまた夢。 ところが、清掃活動に参加すると灯台に登れる!という。
「幻の灯台」 2基目が解決した。
葡萄舎から至近の距離にある 満珠島灯台 は長府の沖に浮かぶ無人島で、船がなければ行けない。
先達のHPを見ても、ほとんどは対岸の部埼灯台から望遠で写した写真だ。 私にとっては「幻の灯台」 だ。
土地の人間として、望遠で済ませるわけには行かない。 すると、ワイン仲間が、釣り船を手配してくれた。
これで 「幻の灯台」 の1基は解決した。
昨年末、室戸岬灯台を訪れて、突如として灯台ファンになった私は
まず、山口県北浦のふるさとの灯台と、海峡の街・下関に住んでいる縁で関門海峡の灯台を回り始めた。
灯台めぐりを続ける過程で、行きたくても行けない灯台が3基あることが分かった。
満珠島灯台 (長府沖) 白州灯台 (玄界灘) 水の子島灯台 (豊後水道) の3基で、無人の島や州に立つ灯台だ。
小倉城内にある ← の塔は、岩松助左衛門が設計した白州灯台を模したものだ。
塔の高さ9m。 台の広さ25u となっている。
白州付近で難破する船の救助に出動し、その惨状に灯台建設の大望を抱いた。
翌年、白州灯篭台築立願書を藩に提出、彼の熱意に20日で許可が下りた。
彼は私財をなげうち、寝食を忘れ東奔西走したが、
明治5年、燈台の完成を見ないで病没。
しかし、その半年後、政府の手で念願の仮点灯が実現した。
白州は小倉から16.2km、響灘の荒波に洗われる小さな岩礁である。
西海一の魔の海と船頭たちに恐れられ、付近の暗礁では遭難する者数知れず、
多くの人命が失われた。
白州灯台建設の功労者・岩松助左衛門は1804年長浜に生まれ、
1821年に庄屋になり、
1861年、58歳で小倉藩の海上御用掛難破船支配役を命ぜられた。
岩松助左衛門 物語 (写真左下の案内板より)
北九州市小倉北区長浜町の 「岩松助左衛門翁顕彰会」 の皆さんが、岩松翁の遺徳を偲んで唄う歌だ。
歌の題は 「あゝ白州灯台」  作詞は 中村幸夫、福島一見 とある。
顕彰会の皆さんが年に一回白州に上陸して、灯台の周辺を清掃する日があって、今年は6月3日、今日だった。
市外からの参加は、私と、清掃活動を聞いて富山県から駆けつけた Sさんご夫妻の3人。
ちなみに、Sさんご夫妻は、日本の灯台50選 を片っ端から訪問して既に43基!
これから佐多岬まで5基を回って、残るは五島の大瀬埼灯台と、男女群島の女島灯台だけとか!脱帽だ。
沖の六連に 日が落ちて
海原はるかに 照らす灯は
男一代 岩松の
燃える心が 今も尚
船路に生きる 白州灯台
企救(きく)の長濱 美保の瀬の
西にかすんだ 島二つ
あれは女島が 白島か
怒涛に暮れる 玄海の
岩場に建てる 白州灯台
寄せる男波は 雷(いかずち)か
岩に砕けて 玉と散る
しぶき背に受け 岩松が
幾年積んだ 岩と石
昔を語る 白州灯台
潮の干満にもよるが、5分も歩けば一周できる白砂の州に、
(国土地理院地形図によれば) 海抜4m の砂の丘がある。
ささやかな慰霊の碑が祀られている。 西国一の海の難所といわれた、
白州周辺の海域で命を失った人たちの慰霊碑だ。
線香を手向け、60人あまりが車座になって黙祷を捧げる。
そして合唱する。 男らしい、演歌っぽい歌だ。
歌詞の 「白州灯台」 は 「しらすとう」 と唄う。 私なら 「しらすのひ」 だが。

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