沿岸小型の部類だろうが、堂々たる灯塔だ。
灯台周辺は公園になっている。 公園だから、灯台のそばまで車が入る。 便利な灯台だ。
灯台がある集落は松ヶ崎と呼ばれ 「松ヶ崎御番所跡」
の看板を掲げた小屋がある。
鴻ノ瀬鼻は、越後の角田岬と対峙して、海上最短の地点にあるから、見張り番が詰めたのだろう。
古代から北陸道の終点で、かつては佐渡の国津として、幾多の流人がこの地から佐渡に上陸したという。
流人として、日蓮や観世元清(世阿弥) も鴻ノ瀬から山を越えて国仲に向かっている。
佐渡の歴史を物語る地点だが、今は波の音と潮風だけだ。
佐渡島の周回道路は海岸線に沿い、
灯台は海岸線から近いから、総じて遠方からでも所在を確認できる。
ただし、登り口が周回道路から近いかどうかは別問題だ。
A
C 沢崎鼻灯台
地形図には、灯台に至る小径の記載もないので、
近くの郵便局で登り口を聞いたら、知り合いのお宅に電話してくれた。
知り合いのお宅まで行くと女子高生が待っていて、灯台まで道案内してくれた。
民家に挟まれて登り口の表示はあるが、
一人でフラッと行ったのでは分かりにくいだろう。
灯台の近くに浜集落の墓地があり、道はしっかりしていた。
小佐渡の灯台
プロの森田敏隆氏の写真集には、私の今回の訪問灯台から2基が選ばれているが、そのうちの1基が沢崎鼻灯台だ。
森田氏が撮ったアングルまで行くには20mの崖を降りなければならない。
崖を登らなければ灯台に到達できないのであれば意地でも登るが、写真1枚を撮るために崖を下って、また登る余裕がなかった。
その日その日で訪問する灯台の計画があって、それが達成できると計算できた時に、
初めて時間的な余裕が生じるのだ。
私の場合。
佐渡島の灯台めぐりをしながら、この日、私の頭にあったのは、いつでも、どこでも、両津発新潟行きの佐渡汽船最終便の時刻だった。
沢崎鼻灯台は、本土の直江津から佐渡の小木に向かう船が第一目標として目印にする位置にあるから、大型の灯台で立派だ。
珍しく、団体バスの観光客と出くわした。
もっとも、観光客のお目当ては周囲の海岸風景らしくて、添乗員がいみじくも言った。
「ちょうど手ごろな灯台がありますから、記念に写真を撮りましょう」
‥‥嗚呼。
この、沢崎鼻灯台だけがお目当てではないが、佐渡の灯台を訪ねて本州の端から来た男の傍らで 「手ごろな灯台」 かぁ‥‥。
@ 姫埼灯台
観光客が喜ぶこんな景色は佐渡のぐるりがみんなそうだ
A 城ヶ鼻灯台
佐渡島
@
B 鴻ノ瀬鼻灯台
新潟港を6時に出航する佐渡汽船の始発便 「おけさ丸」
は、
折からの時化で5分遅れて、8時35分に両津港に着いた。
凪いだ海を渡るときでも、姫埼灯台を見つけると嬉しいものだろうが、
時化た海では、姫埼灯台までたどり着くことが、計り知れない安堵を乗客に与える。
米粒か、豆粒ほどにしか見えない白い灯塔の、何と大きな存在であることよ!
この灯台は佐渡島の玄関先を守るだけではない。 現存する日本最古の鉄造灯台の肩書も持つ。
佐渡市が建てた案内板には、
「国際航路標識協会から世界の灯台百選に選ばれ‥‥(略)‥‥文化遺産として永久保存が決定している」 とある。
恵まれた灯台なのだ。
灯台に隣接したペンションには、山陽小野田市から来たというご夫婦が泊まっていて、
灯台巡回車 「定宿号」
の下関ナンバーを見て話しかけてきた。
お話では、一晩中、灯火の点滅が間近に見られた、と。 灯台ファンでもなかなかできないことを!
B
C
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