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北緯 26°51' 48", 東経 128°15' 00"
白色塔形 コンクリート造

単閃白光 毎6秒に1閃光
光度 13,500カンデラ
光達距離 22海里
地上〜灯火10.5m、水面〜灯火:70m
初点灯 昭和36年7月
だって、
私の灯台めぐりは
初点プレートを写す旅
なのだ (笑)
人様にお見せする作品
ではない、と言いながら
掲載する初点プレート
初点プレートを写すまで、苦にはならないが、灯台の敷地で明るくなるのを待った。
灯台の敷地で時間を待つには、かなり高い塀と扉を越えなければならない。
よじ登り、飛び降りたら尻もちをついた。 灯台めぐりから、老兵は消え去るのみ、か。嗚呼。
結局、初点プレートの写真は、人様にお見せするような作品ではなかった。 敷地で待った時間はなんだったのか!
カーナビは、国道58号から灯台に進入する分岐近くまで案内してくれるが、暗い道で確たる保証はない。
最後の決断を促すのは 「灯台勘」 だけだ。 迷わずに灯台に到着したが 「灯台下暗し」に強い味方はヘッドライトだ。
事前に、辺戸岬灯台の写真は見ていたから、別段落胆はしないが、
沖縄本島最北端の海を照らす灯台としては、やや小ぶりすぎる灯塔我ヘッドライトに浮かんだ。
この日は4時半に目覚めたから、名護ビーチ近くのホテルを5時前には出発していた、と思う。
いわゆる、辺戸岬とは遠く離れた 「辺戸岬灯台」 には6時頃ついた。
4月初旬、朝6時の下関は明るいが、20分の時差がある沖縄はまだ暗い。
国道58号の前方海側に灯りの点滅が見えた。 未明の道で灯台を訪ねるとき、灯火は陸上交通者にもありがたい。
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へどみさき とうだい
辺戸岬灯台
国頭村
北緯 26°42′7″ 東径 128°00′6″
白色塔形 コンクリート造
等明暗白光 明3秒暗3秒
光達距離 13海里
地上〜頂部 11m  水面〜灯火53m
初点灯 昭和50年3月
古宇利大橋
古宇利島灯台も沖縄本島と橋で結ばれた 「島の灯台」 だ。 古宇利島には、3つの橋をわたる念の入りようだ。
まず奥武橋を渡って奥武島、次に屋我地大橋を渡って屋我地島、最後の古宇利大橋を渡る。
島に渡れば、東回りでも西回りでも大差ない。 東回りで進めば 「→ 古宇利灯台」の表示があって分かりやすい。
私は西回りで進んで 「灯台勘」 が必要だった。 灯台の近くまで車の進入可。
北緯 26°38' 39", 東経 127°51' 26"
白色塔形 コンクリート造
等明暗白光 明3秒暗3秒
光度 8,500カンデラ
光達距離 14海里
地上〜頂部11.5m、水面〜灯火20m
初点灯 昭和51年3月31日
瀬底ビーチから 伊江島 (左 )と 水納島 (右)
貝類を採取に来ていた親子に聞いても灯台など知らない、という。
思い余って工事現場の人たちに聞いた。 一人が 「あるよ。オレは行った事があるよ」という。
私が探しあぐねた砂浜を、もう50mも進んでいれば、灯台は雑木林と砂浜の境にひっそりと佇んでいたのに。
言うまでもないことだが、砂浜を進むよりは、砂浜に沿った雑木林の中を進んだほうが歩行は楽だ。
瀬底島へは、本部港から瀬底大橋を渡る。 灯台の近くまでは簡単だ。 そこからが問題だ。
国土地理院の地形図で灯台へ至る道をシュミレーションして出かけた私は、ハタと戸惑った。
あるべきはずのゴルフ場が、ホテルと思われる建物に変わりつつある大工事の真っ最中だった。
それでも、工事現場を瀬底ビーチに抜ける道はあった。 海岸に出た。 砂浜の何処を見ても灯台らしきものはない。
沖縄の海岸線を走ると、離島にかかる橋、入り江をショートカットする橋の多さに驚く。
また、それらの橋が立派で美しいのにも驚く。
島民や住民の生活がそれで豊かになり、便利になれば、とやかく言うことではないが、
(失礼ながら) 沖縄独自の税収では無理で、地域を慰撫するために国庫から出た建設費のような気がするが‥‥。
北緯 26°42' 30",
東経 127°52' 43"

白色塔形 コンクリート造
単閃白光 毎5秒に1閃光
光度 770カンデラ
光達距離 13海里
地上〜頂部:12m、
水面〜灯火:17m

初点灯 昭和28年7月
対岸への最短距離
必ずしも
最適な渡渉点にあらず
波打ち際は遠いが
絶えず、不気味だった
(島の東側)
逆光で黒く見えるが
実際は白い刃をむき出した
隆起さんご礁
復路の干潟
(島の西側)
伊江島遠望
浜辺ですれ違った人は 「早く行かないと、波が来るぞ」 と脅すし、夢中で進んだ。
備瀬崎灯台には何度でも行きたいが、東側の海岸は二度と行きたくない。
帰路にたどった西側は平坦な海食台が広がっていて、こちらを進むのが正解だったのだ。
大潮のとき、潮が引き始めたら4時間は大丈夫だろう。 西側ならビーチサンダルでも歩ける。
時間的に、気持ち的に余裕を持って、リベンジしたい灯台だ。 こんどは西側を往復して。
ここで、また大失敗。 灯台の小島に渡るには渡ったが、島には登り口がなかった。 ただ単に見つけそこなったのか。
近くに人がいる東側を進んだが、波の浸食を受けた隆起さんご礁の海岸は、刃をむき出しの岩だらけ。
岩から岩に飛び移るのに、うかつにも軍手を用意していなかったから、手は傷だらけ。
ご自慢のヨネックスのウォーキングシューズは傷だらけ。 良くぞ、これだけの代償ですんだ。
誰がなんと言おうと、私が第1日目に用意したエネルギーのすべては
海が割れた大潮の干潮時に備瀬埼灯台を訪問することに傾注していたから、那覇に着いてすぐに高速道を突っ走った。
ところが初歩的なミスで、小一時間、那覇市内で無駄な回り道ををした。
備瀬埼に着いたのは予定をはるかにオーバーした3時半。 それでも、海は割れていた。
灯台めぐりの計画を練るときに、不確定要素が多くて、実際に現地で動いて見なければ話にならない部分がある。
北海道では、通行時間に制限のある知床横断道路が、一番のネックだった。
沖縄では、干潮のときだけ歩いて渡れる備瀬埼灯台が、タイミングがあうかどうかが、一番の関心事だった。
訪問したのは、おりよく、大潮の時期だった。 しかし、大潮のときの時間的な余裕の情報はない。
北緯 26°26' 14", 東経 127°42' 56"
白色円形 鉄筋コンクリート造
90cm LB灯器 群閃白光 毎14秒をへだて6秒間に2閃光
光度 59万カンデラ
光達距離  17.5海里(約32km)
地上〜頂部:30.6m、水面〜灯火:40m
初点灯 昭和49年3月30日
ただ、階段は5段上ると踊り場があり、それの繰り返しが灯室まで続く。 灯台によくある螺旋階段と趣は異なる。
登りと降りの混雑は避けられそうだ。 階段を登りつめて回廊から見下ろして眺める景色はいい。
灯台は断崖に近く、東側に2kmも続く30mの断崖は見事だ。
西側は比較的平坦で、遠浅の海が広がり、大潮の時期で潮干狩りを楽しむ人も多く見受けられた。
沖縄本島では唯一観光客が訪れる灯台だが、私が訪れた火曜日は観光客もまばらだった。
観光客がまばらなら、灯台に登る人も少なくて、登れる灯台で回廊に群がる人影がないのは嬉しい事だ。
灯塔の形状は、好みによって分かれるが、味気ないのっぽの灯台だ。
記念品として売っている 「灯台バッチ」 を買い求めたが、様になる写真を撮りにくい灯台なのだろう。味気ない。
何の必要があるのかは知らないけれど、爆音を轟かせて戦闘機や軍用機が離着陸する嘉手納基地をかすめて、
神社の鳥居を模した、下品なトリイステーションの入口を過ぎれば、残波岬は近い。
道なりに進めば突端が残波岬で、手前に建つロイヤルホテルの屋上に灯火を据え付ければ安上がりに済みそうな
そんな場所に、30mの灯塔を持つ残波岬灯台は立っている。

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