翌日は晴天、沖縄で見た待望の青い空と海、白い灯台
最初に訪問したときは雨天、薄暮で、 点灯していた
沖縄本島の灯台めぐりが所定の目的どおりに遂行できたのは、訪問灯台の選択からアプローチのアドバイスまで、
沖縄在住の経歴をお持ちの、マイミク
・ Y氏の全面的なバックアップのおかげです。
また、思いもかけないリーズナブルな旅行費用で沖縄を訪問できたのは、マイミク・
J氏のおかげです。
沖縄の灯台めぐりを2ページの記録にまとめることができて、改めて感謝の意を捧げます。
お礼
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北緯 26°04' 31", 東経 127°40' 18"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白光 毎5秒に1閃光
光度 900,000カンデラ
光達距離 18.5海里(約34km)
地上〜灯火:14.9m、水面〜灯火47m
初点灯 昭和47年6月22日
平和之塔 から
沖縄本島最南端 荒崎
何処の灯台も、灯台はみんな寡黙で、時としてその存在すら周囲に気づかれずに佇む灯台もある。
激戦地だった沖縄の南端に立つ灯台だからなのか、喜屋武埼灯台も、広い敷地に建つ大型灯台でありながら、
存在のアピール度は低い。
海岸の崖から一歩も二歩も退いて、慎ましやかに立っている。
霧の北海道なら、腹に響く霧信号が似合うような灯台だ。
鎮魂の霧信号だけど。
沖縄本島の最南端は喜屋武岬ではなく、その東の荒崎だ。
海面から47mの高さにある灯火なら、最南端になくてもよい、という事か。
それとも、辺戸岬灯台が米軍の演習場を避けて最北端にないことと符合する
「何か」があるのか?
米軍がやりたい放題にやりまくってのさばっている沖縄だから、どんな超常現象も沖縄では超常現象ではない。
沖縄本島の南端は、太平洋戦争の激戦地だ。
国道331号を西から東に走りながら、途中で、ひめゆりの塔、健児の塔、平和祈念公園に立ち寄り、
尊い命の犠牲に合掌しながらの灯台めぐりとなった。
喜屋武岬には、喜屋武埼灯台の入口に平和之塔が建つ。
ここでも、合掌してからの灯台訪問だ。
北緯26°11′40″ 東径127°49′30″
白色塔形 コンクリート造
単閃白光 毎3秒に1閃光
光達距離 8海里
地上〜頂部 12m 水面〜灯火 35m
初点灯 昭和29年 平成8年1月改築
駐車料300円を払わずに済んだ安座真ビーチから
次の朝は、灯台の遠景を撮りたくて、安座真ビーチまで走った。
人工海浜のビーチは、大きい駐車場に駐車させるために、周辺一帯は全て駐車禁止!安座真ではなくてアザトイ!
駐車場の料金係の年老いたお母さんに、5分間の撮影時間の駐車をお願いした。快く、ではなかったがOKが出た。
知名埼灯台には若いお母さんと、老いたお母さんの思い出もある。
雨の夕刻、灯台の所在は分かったが、進入路に確信がもてず躊躇していた。
折り良く、子供をつれた若いお母さんが車を自宅前に停めていたので道を聞いた。
道順を説明するのがもどかしいらしく、「先導します」
と言って、一旦駐車場に入れていた車を引っ張り出した。
私にも分かるところまで先導し、登り口を指し示して、帰っていった。
ありがたくて、嬉しかった。
灯塔は、伊計島灯台のように上方がくびれたひょうたん型で、珍しくはない。
私がバイブルにしている HP 「日本の灯台」
の一覧表からも漏れているような、沿岸小型の灯台だ。
分類すればデザイン灯台のカテゴリーに入るだろう。
入口がある灯屋の屋根は見せ掛けの瓦葺きで、守り神のシーサーが載せてある。
2日目が雨の夕方だったから、晴れの昼間の知名埼灯台を見たいと思った、のではない。
この灯台には再訪を促すだけの理由があった。
理由は単純だ。
(ホテルがある那覇市から近いのは事実だが)
もう一度見たくなるほど、気に入った灯台だったから。
時間的に往復が可能な残波岬灯台や、喜屋武埼灯台ではなく、再訪したのは知名埼灯台だった。私的には。
沖縄本島の灯台めぐりで、唯一、2日目と3日目に二度訪れた灯台だ。
2日目は、辺戸岬〜喜屋武岬、伊計島〜残波岬と、沖縄本島を十文字に縦断し、横断した末にたどり着いた。
時刻は夕方の6時だった。
下関と20分の時差はあるものの、雨で空は暗かった。
3日目は雨の予報だったが東の空は明るく、晴れると確信したとき、知名埼灯台の再訪を決めた。
北緯 26°23' 42", 東経 127°59' 53"
白色塔形 コンクリート造
第5等 等明暗白赤光 明3秒 暗3秒
光度 13,000カンデラ
光達距離
18海里(約33km)
地上〜頂部:13.8m、水面〜灯火41m
初点灯 昭和52年3月28日
海中道路からの伊計島
ドアミラー越しに
赤光 (分弧) は 23度
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大雑把にくくれば、灯塔は白色塔形と表現されるだろうが、上方で胴がくびれたひょうたん型だ。
第5等のフレネルレンズを収めた等室のガラスは、一部分赤光に変わる仕様で2,5km沖合いのメングイ焦を照らす。
「等明暗白赤光」
の灯質は、いまは 「等明暗白光」 と呼ばれているが、浅瀬に向けて放つ赤い光は変わらない。
浅瀬 (や岩礁)
を照らして赤光を放つ灯台は、沖縄本島ではここだけだ。 (右の写真の橙色のフィルター)
そうは言っても、モンサンミッシェルに向かう道さながらに海中道路を進み、島々を渡って、
伊計島の突端で木立の上に顔をのぞかせた灯頂を見つけると嬉しくなるから現金なものだ。
伊計島の長方形に区画された農道は、どの道をたどっても灯台に行き着く。
しかし、開け放った窓から入り込む、
磯の香と畑の堆肥が混ざったような臭いはなんだ !? ここのリゾート施設は利用したくない。
申し訳ないが、ぶっちゃけた話、私の灯台訪問で指向灯はそれほど重要ではない。それでも、
あるはずのものが20日前に解体撤去されていた、という現実は、はるばる訪れた私を落胆させるに十分だ。
それに追い討ちをかけたのは、勝連埼灯台の訪問断念。
そんな気持ちで渡る海中道路は、本来なら楽しいはずが、心塞いで渡る仕儀となった。
mmmmmmmm
沖縄本島を蜂の胴みたいにくびれさせているのは
太平洋側の金武湾だ。
湾奥には火力発電所があり、多数の灯浮標が存在する。
その一つに金武中城港指向灯がある
(あった)
のだが、
3月末に解体撤去されていた。
私が訪れたときは更地になっていた。
訪問が20日遅れた、ということだ。
勝連埼灯台はホワイトビーチの米軍施設内にある。
事前の許可を取ろうにも、
弾薬庫を通り抜ける許可は果たして下りるだろうか。
沖縄に米軍基地が存在する口惜しさを
灯台めぐりで味わうとは! 訪問は断念した。
北緯26°32′2″ 東径128°05′3″
白色灯形 等明暗白光 明3秒暗3秒 光達距離 13海里
地上〜灯火 11m 水面〜灯火 25m
初点灯 昭和37年 平成2年3月改築
対向車がいない県道70号と国道331号を進むこと1時間半。
めぼしをつけた場所で音声案内が終わると、海側に延びる細道が2本。
1本はすぐに民家で行き止まり。
民家で確認し、引き返して別の1本をたどる。 車副はある。
くぼんでぬかるんだ箇所はあるが車腹はこすらない。
結果的には灯台まで車は入ったのだが、途中で停めて歩いた。 高墓埼、なんたって名前が悪いから (笑)
途中の悪路も印象が悪かったから。
杞憂だったけど。
灯台は、本土でよく見かける典型的な沿岸小型灯台だ。 小さな草花に囲まれて灯台も可憐だ。
北緯 26°44' 44", 東経 128°19' 34"
白色塔形 コンクリート造
単閃白光 毎10秒に1閃光
光度 900,000カンデラ
光達距離
24海里
地上〜灯火14.9m、水面〜灯火:87m
初点灯 昭和43年4月
昭和57年3月改築
ステンの扉の自画像
灯台下の安田ヶ島
安田漁港
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沖縄で一番辺鄙な場所にありながら、何かにつけて好感の持てる灯台だ。
訪れた灯台で、好き、嫌いの序列をつけるのは私の趣味ではないが、
今回の、沖縄本島の灯台めぐりで、北半分ではこの瀬嵩埼灯台、南半分では知名埼灯台が、気に入った灯台だ。
その判断基準はシャッターを押した回数に基づく。
カーナビの音声案内が終わったところで山に登る道があった。
シッカリした車道を登ればすぐに灯台だ。
辺戸岬灯台が名前ほどにはない貧弱さを補うように、瀬嵩埼灯台は堂々たる灯台だ。逆なら絵になるものを。
期待したとおり、朝7時は点灯している時間帯だった。
門標付きの、乗り越えるのに手ごろな塀と門扉、灯屋の扉は自画像を写すに手ごろなステンレス製。
辺戸岬灯台から辺戸岬に回って、沖縄本島最北端の景色を眺めた。
夜明けの海上に与論島は見えなかった。
先刻立ち寄った辺戸岬灯台の灯をはるか遠くに見やりながら岬を後にした。
このまま走れば瀬嵩埼灯台でも点灯した状態を眺められる、という期待と、やんばるの道の困難さを予想したから。
が、予想に反して、国道58号と県道70号はよく整備されていて、対向車は数えるほど、私のための道を楽しめた。
夕方6時、雨、点灯した知名埼灯台