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さたみさき とうだい
佐多岬燈台
南大隅町佐多岬
さつま ながさきはな とうだい
薩摩長崎鼻灯台
指宿市山川町

燈台紀行・九州 沖縄

ひさき とうだい
火埼灯台
肝付町内之浦火崎
北緯 31°09' 12", 東経 130°35' 23"
白色 塔形 コンクリート造(タイル貼)
等明暗白光 明3秒暗3秒
光度 8,500カンデラ
光達距離 14海里 (約26km)
地上〜頂部:10.7m、水面〜灯火:20.7m
初点灯 昭和32年12月
灯台までの歩道は土産物店街を通り抜けるのだが、これといった坂道もないのにやたら疲れた。
2泊3日の強行軍が、ボディブローのように効いてきたのかも知れない。
灯台を訪れてから、待望の砂蒸し温泉に入った。
身も心もホッとしたら、これから先、坊津の灯台まで行く気力が途端に萎えた。
鹿児島まで一般道、そこから九州道で下関まで、S.A.にも、P..A.にも寄らずに帰った。
熊本からは、強い雨に変わって、スピードは出せなかった。
指宿16時30分。 下関22時。 11基の灯台めぐりは終わった。
指宿に渡る理由は、長崎鼻灯台を訪ねること、開聞岳を眺めること、天然砂蒸し温泉に入ること。
だが、灯台ファンとしては口が曲がっても言えないが、砂蒸し温泉 を体験するのがひそかな夢だった。
フェリーから眺める開聞岳はかすんでいて、長崎鼻まで近づいても、山頂は雲の中。
最後まで山容の全てを見せてはくれなかった。
フェリーの出航まで1時間待たされたが、大回りを考えれば何のことはない。
港の近くのレストランで、早くて安くて美味いものは何? と聞いたら アラ炊き定食だと言う。
それを注文して、アラ炊きだけを単品で追加注文する。
美味い。 根占は カンパチの産地だという。 港の外では養殖をしているのだろう、筏が浮いている。
佐多岬を後にして北上、地図を逆さにしなくて済むだけ気は楽だ。
車は、錦江湾をはさんだ対岸の指宿を目指している。
地図を見れば、指宿への最短距離の 根占 からフェリーがあるのだが、最近は廃止されたとのこと。
そうなると垂水から桜島のそばを通って鹿児島に渡るしかない。
ずいぶんと大回りになるナァ、と思いながら走っていると、
なんと、根占から山川へのフェリーが復活した、とのこと。 天佑、我にあり!
        (但し、このフェリーの就航は未確定要素が多いので、事前に確認が必要)
北緯 30°59' 19", 東経 130°39' 42"
白色 塔形 鉄筋コンクリート造
3等大型 郡閃白光 毎16秒に2閃光
光度 800,000 カンデラ
光達距離 21.5海里(約39km)
地上〜頂部:12.6m、水面〜灯火:68m
初点灯 明治4年10月18日
九州本土最南端。名にしおう、絶景を見た。
   黒潮の 海にのぼりて あまつ日は 佐多岬をひねもすてらす  (川田順)
駐車場に車を停めて、歩き始めたら薄日が射して来た。 麦藁帽子が役に立った。
神社で引いたお御籤は末吉。
   吹き荒れし あらしもいつかおさまりて 軒端に来鳴く うぐいすの声
日も射して来た。 うぐいすも鳴いている。 次第に良いこともあろう。
そんなことは、灯台ファンになったときから分かっていることなのに、
がむしゃらに車を走らせて、イザ、燈台が近づいてくると、なんとなく無念なのだ。
「岬ファン」 である前に 「灯台ファン」 である私の、ここがビミョーなところだ。
ロードパークの終点、駐車場に着く前に小さな突端で右カーブを回ったら、突然、海を隔てて灯台が眼に飛び込んできた。
写真で見慣れた、大輪島に立つ佐多岬灯台だ。
南緯31度を越えて、ついに、来た!
都井岬で、一瞬間だけ顔を出した太陽が、その後は雲に隠れたままのせいだろうか?
そうじゃない。 私には分かっている。
佐多岬灯台は、岬の先端に立っているのでは、ない。
岬の先端の岩礁 ・ 大輪島の頂上に建っている。 歩いては行けない。
初点プレートも写せなければ、灯塔の壁を撫でて、叩いて、「ご苦労さん」 と語りかける、私の、いつもの儀式ができないじゃないか。
車は南へ南へと大隈半島の中央部を縦断して、はるか遠くまで来たもんだ、の感が強い。 佐多岬がいよいよ近づいてきた。
佐多岬灯台といえば、江戸条約に基づいて建てられた8基の燈台の一つだ。 初代は明治4年10月18日が初点灯だ。
太平洋戦争で破壊され、昭和25年に再建された灯台とはいえ、由緒ある灯台で、今回の灯台めぐりの白眉だ。
その灯台にこれから行こう、というのに、なぜか気持ちの高揚がイマイチなのだ。
佐多岬は九州本土最南端に位置する。
昨日訪れた豊後鶴御崎は九州の最東端で、最北端の門司崎は下関の対岸だから、これで、最西端を残すのみとなった。
これも、灯台めぐりがなせる業で、灯台ファンでなければ、果たして岬の先端まで行っただろうか。
北緯 31°16' 40", 東経 131°07' 59"
白色 塔形
等明暗白光 明3秒暗3秒
光度 5,000カンデラ (13M)
光達距離 20海里
地上〜頂部:10.5m、水面〜灯火:63m
初点灯 昭和45年3月
都井岬灯台と佐多岬燈台という、スター級の灯台を訪問しながら立ち寄れば、
そのかわいらしさはいよいよ際立つのだが、灯台に、規模や灯質の差はあっても、灯台の重要さに差はない。
足元がやわらかい斜面を滑らないように気をつけてたどり着いた瞬間の喜びは、また格別だ。
前日、その日のうちに都井岬までたどり着きたい一心から、日南海岸のいくつかの灯台を素通りしてきたので、
小さい灯台だが、火埼灯台訪問は欠かしたくなかった。
そのために、かなりの時間を費やし、車幅すれすれの道を心細くたどらなければならなかった。
蘇鉄の自生地には鳥居と祠があって、小さな灯台が立っていた。
都井岬から佐多岬まで、どのルートを選ぶかは判断に迷うところだ。
内之浦町には宇宙空間観測所があることは知っていたが、火崎の先端に 火埼灯台があると知れば、
ロケットよりも灯台に立ち寄るために、ルートはおのずから決まってくる。
これまでに訪れた 岬の灯台 のほとんど全てがそうだったが、
内之浦の町から火崎の先端まで、地図の上では簡単だが、実際に走ってみると距離は想像を超えて長い。
北緯 31°21' 49.91", 東経 131°20' 53.15"
白色 八角形 コンクリート造
第3等大型 閃白光 毎15秒に1閃光
光度 1,300,000カンデラ
光達距離 37.5海里(約70km)
地上〜頂部:15.30m、水面〜灯火:255m
初点灯 昭和4年12月22日
期待していた朝日は、雲に覆われてどこから昇るのかも分からなかったが、
一瞬間だけ顔をのぞかせた。 いい写真にはならなかった。 この厚い雲は佐多岬まで続いた。
不法侵入者を歓迎するかのように、蜂の一種だろうか、やたら図体の大きいのが8匹、私の周りから離れない。
思い通りの写真が撮れなかったのは、蜂のせいだ。
蜂が怖くて退散したら灯台ファンの沽券にかかわるから、果敢にシャッターを押し続けた。
都井岬灯台は、全国に14基ある 「のぼれる灯台」 の一つだから見学者も多かろうが、この蜂
には大騒ぎをするだろう。
朝6時起床が私の日常だから、5時に目覚まし時計をセットするのは いと易いことだ。
北緯31度付近の夜は、寝袋を必要としないほどで、ガラスで囲まれた車の中は目覚まし時計も必要としなかった。
灯台の灯りは、まだ旋回を続けている。
勿論、人影はない。 昨夜お借りした土産物屋の脚立をまた拝借して塀を乗り越えた。
昨夕、鵜戸埼灯台から都井岬に向かう途中で、日南市を通過した。
これから先にコンビニの一軒くらいはあるだろう、と車を走らせたら、ついに都井岬まで店はなかった。
一旦灯台前の駐車場について、串間市までビールと食べ物を買いに走った。
往復の40q は苦痛だったが、空腹には代えられないし、何よりも、灯台を眺めながらの一泊には代えられない。
狭い運転席で、缶ビールとかっぱえびせん、裂きイカ、おむすび3個の晩餐は惨めだけど、
なに、どんな役者にも勝る 灯台の、規則正しい燈光の旋回がある。 最高のディナーショーを特等席で独り占めできた.。
都井埼灯台2
火埼灯台
薩摩長崎鼻灯台
※ 都井岬灯台1 は
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佐多岬灯台
といみさき とうだい
都井岬灯台 2
串間市都井岬
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