2010年2月。
山陰海岸の灯台で、行き忘れた灯台たちを訪れました。
網代埼灯台、長尾鼻灯台、立神灯台、大岬灯台、馬島灯台 などです。
記録は、次ページです。 燈台紀行 山陰海岸A
北緯 34°45' 05", 東経 131°52' 04"
白色 塔形 コンクリート造
等明暗白光 明3秒暗3秒
光度
8,500カンデラ
光達距離 16.5海里 (約30km)
地上〜頂部:10.36m、水面〜灯火:34.4m
初点灯 昭和29年3月
昭和54年9月 改築
山口県内なら、どんな小さな灯台も訪問して来たが、 島根県や他県ではどうでもいいや、という気持ちがある。
魚待鼻灯台も、パスしようという気持ちと、通り道だから立ち寄るか、の気持ちが交錯した。
国道沿いの交番は留守で、隣の郵便局で道を聞いた。
地元でも、灯台への道を明確に教えてくれる人はすくない。 窓口の女性もそうだったが、彼女はいい人を知っていた。
たまたま、郵便局で何かの手続きをしていた男性に話を繋いでくれた。
その男性は、口で説明して要領を得ないと見るや、手続きを中断して、「俺の車について来い」。
曲がった道を先導すること5分。
駐車するスペースまで探してくれた。 こんな、親切な方もいるんだ。
昨日来の悪天候は、魚待鼻で好転した。
いい人が住む街だから、か。
車を停めてから灯台までは遠かったが、足は軽かった。
北緯 34°58' 24", 東経 132°09' 18"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白光 毎10秒に1閃光
光度
900,000カンデラ
光達距離 22海里 (約40km)
地上〜頂部:15.71m、水面〜灯火:72.5m
初点灯
昭和49年3月16日
出雲の海岸線に比べると石見の海岸線は単調に思える。 そのことは、同時に大型の灯台が無い、ということだ。
石見海浜公園という長い砂浜の一角の岩山は格好の灯台適地なのだろう。 石見大崎鼻灯台。
ローカルにしては立派な、私が知る限り、日御碕灯台から角島灯台までの間で、最も大きい灯台だ。
この大崎鼻灯台。
私がバイブルにしている山谷氏のHP「日本の灯台」では、 「熊が目撃されて立ち入り禁止」とある。
数年の経過で情況は変ったのだろうが、灯台めぐりに危険はついて回る。
日本全国の灯台を回った先達は、灯台めぐりで怖いものは熊とハブ、だと仰っている。
ゆのつこうひがしぼうはてい とうだい
大田市温泉津温泉 |
灯台にたどり着いたのは、午前6時40分。
見上げると、1秒おきに点滅する燈光があった。
あわててカメラを構えた瞬間、点滅が消え、
それ以後、灯りはは点らなかった。
消灯の時間だった。到着がもう3秒早ければ‥‥
北緯 35°05' 42", 東経 132°20' 28"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白赤光 毎2秒に1閃光
光度
6,000カンデラ
光達距離 20海里
地上〜頂部:10.3m、水面〜灯火:68m
初点灯 昭和23年4月
平成4年3月 改築
昨夜は灯台巡回車で眠ったから、今夜はまともなところで寝たい。
などと思いながら出雲から石見に入って宿を探すとなると、
真っ先に浮かぶのは温泉津温泉だ。
「ゆのつ」 という言葉の響きもいいし、 「温泉津温泉」 と漢字で書くのも洒落ている。
温泉津にも灯台があることは知っていたが、詳しい資料を持参していない。
宿の主人から、港の先の城跡に燈台がある、との情報だけで
朝6時に宿を出た。
朝食は7時半からなので、それまでに探して、登ってくるつもりだ。 文字通り「朝飯前」
だ。
20分も歩けば、灯台がありそうな場所に出た。 階段は急だった。 見晴らしも悪かった。
北緯 35°25' 51", 東経 132°37' 54"
白色 円形 石造 [White, Tower, Stone]
第1等 複合群閃白赤互光 毎20秒に白2閃光に赤1閃光
光度 460,000カンデラ
光達距離 21海里(約38km)
地上〜頂部:43.7m、水面〜灯火:63m
初点灯 明治36年4月1日
余部埼灯台という、日本一の高さと光達距離を誇る灯台を訪ねた今日のとどめは、出雲日御碕灯台。
燈塔の高さ日本一、だ。
確かに高い。
高すぎてカメラに収まらない。 見上げれば迫力満点の燈塔で、日本人の石積み技術の極致だ。
京大の振動実験では微動だにせず、石積みにに寸分の狂いも生じていなかったらしい。
3300余基ある日本の灯台を代表する1基に相違ない。
カメラをフツーに構えて、フツーにレンズに収まる地点から眺めれば、 美しい灯台だと思う。
ただ、バランスからいえば、私は角島灯台に軍配を上げる。
全国に14基ある、登れる(一般公開している)灯台の一つだから登った。
登るためには4時までに到着したかったのだが、
出雲日御碕は4時半まで開放していた。急ぐことは無かったのだ。
(社)燈光会の女性職員が二人勤務していて、いろいろなお話を伺ったが、
燈塔から離れるとき、初点プレートを撮ろうとしたら入口に、無い!
聞けば、 腐食が進んだため、屋内に移してガラスの覆いをしたのだ、という。。
それはそれで一方法だが、 これが下関市長だったら、すぐに新しいプレートを用意してそこに自分の名前を書き込むだろうに。
北九州の市長なら、絶対にそうする。 あの、白州灯台に無様なプレートを貼りつけた前科がある。
↑ 美保関灯台には
地ノ御前島照射灯も
併設されている
美保関を訪れるのは2回目だ。 前回は、美保関神社に御参りし、関の五本松を見て帰った。
あの頃は、美保関灯台なんて眼中になかったのだから、面白い。
余部埼灯台で降り始めた雨は止んでいたが、傘は手放せない。
青空がなければ、海も青くない。
せっかくのロケーションだが、冬の山陰に来た、と思うしかない。
美保関灯台は、経ヶ岬灯台と同等のクラスなのだろう。 初点は美保関が1ヵ月半早い。
旧吏員退息所は払い下げられて、食堂と資料館になっている。
玄関に逓信省のマーク 「〒」 が浮き彫りになっているのは何故だろう。
余部から鳥取を過ぎて白兎海岸の道の駅から少し走ると、長尾鼻灯台という、鳥取県では数少ない灯台がある。
道の駅で遅い朝食をとり、満腹感で気が緩み、立ち寄るのを忘れた。
いずれにしても、今日の予定は、午後4時までに出雲日御碕灯台に着いて日本一の燈塔に登ることだから、
長尾鼻灯台への立ち寄りは割愛される運命にあったのかもしれない。
海ノ中道を大きくした弓ヶ浜半島を進んで、境水道大橋を渡れば島根半島。
しかし、不思議なことに日本海と中海を繋ぐ境水道は100%海水だろうに 「1級河川・斐伊川」とある。
ラッパ状河口のジロンド川だって、100%海水だと思うが、川と呼ぶのだから、海岸線までが川なのだろう。
その海岸線には、境港防波堤灯台 (写真の右) と、境港第2防波堤灯台 (同・左)が立っている。
防波堤灯台としては立派なもので、さすが、山陰第一の港だ。
長尾鼻灯台をパスしたから、罪滅ぼしに鳥取県の2つの灯台を撮っておいた。
北緯 35°33' 51", 東経 133°19' 40"
白色 円形 石造
LB-M60 単閃白光 毎12秒に1閃光
光度 460,000カンデラ
光達距離 23.5海里(約44km)
地上〜頂部:14.0m、水面〜灯火:82.91m
初点灯
明治31年11月8日
灯台への道から眺めた 余部鉄橋 高さ41.2m (日本一)
北緯 35°39' 49", 東経 134°32' 32"
白色塔形 コンクリート造
第3等大型フレネル式
単閃白光 毎15秒に1閃光
光度 920,000 カンデラ
光達距離 39.5 海里(約73km)
地上〜頂部:13.91m、水面〜灯火:284.1m
初点灯 昭和26年 3月25日
昭和60年 改築
今は 「あまるべ」 を 「余部」 と書くが、私には昔の 「餘部」 が懐かしい。
私の認識の中で 「あまるべ」
は、鉄橋の高さ日本一、としてある。
今回、余部を訪れたのが、 間もなく取り壊される日本一の鉄橋を見るためではなく、
日本で一番高い場所にある灯台を訪れるため、というのだから、 人の関心、趣味、興味の対象も変れば変るもんだ。
昨年の暮れまで、余部に日本一(高所)の灯台があり、当然、光達距離も日本一の灯台があるなんて知らなかった。
それどころか、余部に灯台があることさえ知らなかった。
東から余部に入ると、まず、日本一のの鉄橋の下をくぐる。
余部鉄橋では、何十年に一度という強風の日に列車を渡らせ、事故に遭った。
明らかな人災だと思われるが、鉄橋を造り変えるらしい。
鉄橋を造り変えても、人による管理がキチンと行われないと、事故の再発は防げまい、と素人ながら思うのだが。
鉄橋の下に朝市が出ていて、年配のオジサンに道を確かめる。
親切に教えてくれた道を約2km進んで行くと御崎という平家の落人集落がある。
灯台建設の難工事には、この集落の住人がたいそうな協力をしたという。
そこからさらに600m坂を上り詰めたら、そこはもう灯台の真横。
日本で一番高い灯台に、車で難なくたどり着けるのだからありがたい灯台だ。
私がHPとブログで取り上げる灯台には全て灯台のデータを書き添えるが、
余部埼灯台で、燈火の光達距離と、水面から燈火までの高さを書くとき、
自分のことのように誇らしくなるから不思議だ。
余部埼灯台は、日本で初めて予備電源装置を自動制御方式とした灯台としても、灯台史年表にその名をとどめる。
北緯 35°46' 24", 東経 135°13' 36"
白色 塔形 石造
第1等 群閃白光、毎20秒に3閃光
光度
770,000カンデラ
光達距離 29.5海里
地上〜頂部:12.42m、水面〜灯火:148.0m
初点灯 明治31年12月25日
灯台めぐりを続けていて、フト思う。 灯台を訪れる時間って、いつが一番いいんだろう?
島や岬の景色として灯台の美しさを見るなら昼間だが、灯台の機能は、夜間や悪天候時に最も発揮される。
燈光の規則正しい点滅や、群閃発光が漆黒の闇で躍るのを見るなら夜、だ。
駆け足で、一日に3〜4基の灯台めぐりをする身では、
昼も夜も一つの灯台を眺めて過ごすわけにはいかない。
灯台が昼と夜の顔を見せてくれる日没時と、日の出の瞬間にお目当ての灯台に居合わせることはめったにない。
南九州の都井岬に夜着いて、灯台の麓で朝を迎えたことがあったが、丹後の経ヶ岬でそれが再現された。
下関を発ったのが朝10時と遅かったから、中国道、舞鶴若狭自動車道、綾部宮津道路と飛ばしたけれど、
宮津に着いたら、宮津の先、丹後半島の先端が崩壊して通行止め。 西側の京丹後市から迂回しなければならない。
計算では、経ヶ岬灯台の日没に間に合う予定だったが、取らぬ狸の皮算用。 秋の夕日はつるべ落とし。
灯台の麓にある広い駐車場に車を停め、ヘッドライトをつけ、護身用の棒を持って坂道を登った。
広い駐車場に見合うだけの訪問者が居るのか、道は広く整備されているが、知らない夜道はなんとも気味が悪い。
10分も登れば灯台にたどり着くはず、という思いだけが私を元気付ける。
山道が平坦になるとしばらくして燈光が眼に入る。
レンズは角島灯台と同じ第1等。 何よりも、毎20秒に3閃光という群閃白光がいい。
3枚のフレネル式レンズが並んで、反対側は黒い帯。
群閃の仕組みがわかった。
麓のレストハウスまで降りて、そこの駐車場に車を停める。 室戸岬灯台の麓、最御崎寺の駐車場と似た雰囲気だ。
あの時は潮騒に包まれて眠ったが、この夜は虫の声に包まれて眠る。
朝は5時半に行動開始。
日の出は無理にしても、朝の灯台をカメラに収めておこう。
5m上には広い平坦地があるのに、灯台の建物は狭い敷地に立っている。
風格のある灯台だが、敷地の狭さが写真写りを悪くしている。
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2010年2月。 山陰海岸の灯台で、行き忘れた灯台たちを訪れました。
網代埼灯台、長尾鼻灯台、立神灯台、大岬灯台、馬島灯台 などです。
記録は、次ページです。 燈台紀行 山陰海岸A