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ぎゃるりー
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葡萄舎がある下関から九州まで、関門トンネル人道を歩けば780mの距離です。
毎日、ウォーキングでトンネルを4往復しますから、日々、九州の土を4回踏んでいる馬閑人です。
そんな、身近な九州から飛行機で飛ぶ沖縄まで、九州沖縄の灯台を7ページにわたってご案内します。

燈台紀行・九州 沖縄 ページのご案内 
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つるみざき とうだい
鶴御埼灯台
佐伯市豊後鶴御崎

燈台紀行・九州 沖縄

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燈台紀行・九州沖縄
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黒潮灯台紀行 
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燈台紀行・山陰海岸 
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は現在地です 
とんだ とうだい
富田灯台
宮崎県新富町観音山

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うどさき とうだい
鵜戸埼灯台
日南市鵜戸崎






























ほそしま とうだい
細島灯台
日向市日向岬馬ヶ背
関埼灯台 (地蔵崎)
北緯 31°38' 44", 東経 131°28' 05"
白色 塔形 コンクリート造
群明暗白光 明3秒暗1秒明1秒暗1秒
光度 6,100カンデラ
光達距離 13海里(約24km)
地上〜頂部:12m、水面〜灯火:45m
初点灯 昭和42年3月28日
今日の行程では宮崎市まで入れればいい、と思っていたが、 ひたすら走ったおかげで、日南海岸まで来てしまった。
すると、欲が出るから、都井岬まで足を延ばせたら‥‥、となる。
そうなると、鵜戸埼灯台は単なる通過点になる。 鵜戸神宮への参詣はパスせざるを得ない。
とにかく灯台へ。
鵜戸神宮の駐車場の手前から海岸線を走ると、あっけないほど簡単に灯台前に着く。
鵜戸神宮の参道にふさわしく、周囲の景観にマッチするように設計された石灯籠型の灯塔だ、と案内板にある。
頂上の擬宝珠が灯器になっている。
伊豆大島にはアンコ像の燈台があり、川奈にはゴルフボールの灯台、小田原の波止場には小田原提灯の灯台。
これらをデザイン灯台、と呼ぶらしいが、私は、灯台は灯台らしいのがいい。好みの問題だろうが。
鵜戸埼の石灯籠型の燈台が、灯台ファンになった私が見た最初のデザイン灯台だったことは記憶に留まるだろう。
そういえば、下関の 「あるかぽーと防波堤」 にも賑々しい燈台があるが。
九州山地の一番山深い椎葉、西米良から流れ出す一ツ瀬川は大量の土砂を運び、
日向灘に打ち寄せる波は新富町の河口付近に大きな砂州を形成する。
その砂州から平地が広がり、1km程はなれた場所に、 「鬼付女峰」 という、なんとも怖い名前の丘がある。 標高58m。
ブルゴーニュのワインが好きな方ならすぐに思い浮かぶだろうが、地形図で見る限り、「コルトンの丘」 の形状だ。
今回の灯台めぐりからすれば、パスしても良いような小さい灯台だが、丘の形状が気に入って寄り道をした。
車で丘を一周したが、上り口らしきものが2箇所ある。 私は石段を選んだ。 これが間違いの始まり。
中腹の祠で石段は途切れた。 後はがむしゃらに 「藪こぎ」。 ふるさとの低山歩きで何度も藪をこいだ経験が生きた。
しかし、茨の多い藪だった。 土地の人は 「観音山」 と呼ぶらしい。 たくさんの石像が並んで、公園になっている。
私がこれまでに接してきた宮崎県人は数少ないが、総体としての宮崎の県民性に一つの思い込みがあった。
自分を主張せず、周囲にあわせて、物静か‥‥。 このたび、日向路(10号線)を北から南まで走って、認識を変えた。
最初に断っておくが、それは他愛もないことで、宮崎県人を悪く言うつもりは全く、ない。
日向灘沿岸には航路標識が乏しく、細島灯台と戸崎鼻灯台の中間地点として、「日向のコルトンの丘」を選んだ、という。
国道10号は単調な路線だ。起伏も、曲折も少ない。 交通量も少ない(日曜だから?)。
道路の改良が進みつつあるのか、登坂車線や片側2車線の区間も多い。
片側2車線の区間で、走行車線には 「ゆずり車線」 の標識まであるのだが、ゆずり車線を走る車は、まず、いない。
みんな、追い越し車線を1列になって走っている。 ついでに言えば、登坂車線を走る車もいない。
日程上、先を急ぐ私は、ゆずり車線と登坂車線を走りきることで、相当数の車を追い抜いた。
ゆずり車線は、「私のために譲ってくれる車線」 だったのだろうか。
そこで、眼に飛び込んできたのが、「馬ヶ背灯台」 という案内板。
馬ヶ背灯台、聞いたことはないが、「灯台」 という字に、ハンドルは自然に反応する。
次に出てきた案内看板はと診れば、 「日向岬灯台」。
肝心の、「細島灯台」 という文字にお目にかからないまま走らせていると、やたら立派な燈台が眼に入ってきた。
この際、灯台なら何でもいい。 行け!
双眼鏡は 水の子島灯台を捉えている 行きたい
燈台の周辺は土地のレジャースポットになっているのだろう、、ゲートボール大会をはじめ、行楽客が多い。
灯台がある山の周回道路はハイキングコースだが、誰に聞いても、「この灯台が 細島灯台」 と言う人は一人もいない。
灯台の敷地は展望公園になっていて、入り口に燈光会の看板が立っている。
読めば、「細島灯台」。
私の勝手な判断だが、地元の方は 「馬ヶ背灯台」 と呼び、日向市の観光課は「日向岬灯台」 を使い、
海上保安庁は 「細島灯台」 を採用している、らしい。 ややこしい話だ。
尚、細島灯台の初点灯は昭和16年だが、
明治43年5月10日には、宮崎県が管理する灯台として、小さなレンガ造りで航海安全の灯を点している。
柱状節理の断崖 ・ 馬ヶ背を訪れる人は多いが、灯台を訪れる人は少ない。 いい灯台なのに。
鶴御埼灯台の佐伯市から10号線を南下して、延岡を過ぎ、日向市までの遠いこと!
やっとのことで日向に入り、ホッとしたのが運の尽きで、道に迷った。
地理学を専攻した者としての面子で、カーナビの助けをかたくなに拒んできたが、そろそろ購入を考えるか。
道に迷い込みながらも、目的の場所に近づいている確信はあった。
豊後鶴御崎は九州の最東端だ。
戦争中は砲台が築かれ、要塞になっていた場所だ。
灯台は戦後25年を経て建てられている。 新しい灯台だ。
灯台に隣接して展望台がある。 
展望案内図の真ん中に水の子島灯台が記されている。
その方向を眺めても、海霧にさえぎられて何も見えない。
北緯 32°55' 47", 東経 132°05' 08"
白色 円形 コンクリート造
無等 閃白光 毎8秒に1閃光
光度 900,000カンデラ
光達距離 33.5海里(約62km)
地上〜頂部:14.5m、水面〜灯火:197m
初点灯 昭和56年3月25日
展望台につき物の双眼鏡があったので、覗いた。
ボンヤリと、しかし紛れもなく白黒縞模様の水の子島灯台が岩にそそり立っている!
夢に見た灯台だ。 いつまでも、何度も、覗いた。 まぶたに刻み込んだ。
故障なのか、サービスなのか、双眼鏡はいつまでも閉じなかった。
♪ 高く掲げた 大漁旗を
待っているだろ 紅椿
松浦港は もうすぐ近い
ありがとう 黒潮の幸よ
豊後 鶴御崎 男の港 
♪ 躍る銀鱗 しぶきの華に
親父譲りの 腕がなる
照らせ 男の この晴れ舞台
ありがとう 水の子の灯台(あかり)
豊後 鶴御崎 男の港
「男の港」
詞 穂積 淳 ・ 結城 忍
歌詞の中に 「水の子島灯台」 が詠み込まれていて、2ヶ月前に丸暗記し、カラオケの十八番となった演歌だ。
豊後水道の真ん中の岩にそそり立つ水の子島灯台は、いつかは訪ねたい意中の灯台だ。
鶴御埼灯台から見えるかもしれない。 恋人が待つ海に駆けつける心境だ。
車は松浦港を通り過ぎた。 もうすぐ、のはずだ。
でも、行けども行けども道は続く。 やっと駐車場に車を停めて、灯台までの坂道をやたら長く感じながら登る。
今回の灯台めぐりでは 11基の灯台を訪ねた。
訪ねる灯台に序列をつけたくはないが、鶴御埼灯台は、どうしても訪れたい灯台だった。
早朝の大分自動車道を走る間もそうだったが、関埼灯台を後にして豊後鶴見崎に向かう車中では
鳥羽一郎の 「男の港」 がガンガンと鳴り続けた。
5時に起きて、大分自動車道を大分宮河内まで走る。
日曜日の朝だから、自動車道も一般道も、道は私のためにあるようなもの。
佐賀関のシンボル ・ 日鉱金属の大煙突を眺めるといよいよ着いたと思うのだが、
灯台がある地蔵崎までの海岸沿いの道は結構ある。
速吸(はやすい)瀬戸をはさんで四国の佐田岬と相対し、周防灘と外洋を分けるこの地は「関サバ」 「関アジ」 で有名だが、
日曜の早朝では食することもできない。
なに、サバとアジなら下関だってふんだんにある、などと意地を張ってみたりする。
いつか、佐田岬に渡る日があれば、佐賀関からフェリーに乗ることになるだろう。食べるとすればそのときか。
関崎燈台のレンズは、当初は第3等フレネルレンズだったが、17年遅れて建った佐田岬燈台に移され、
以後、大正7年に第4等不動白光となり、昭和45年に明暗白光となって現在に至っている。
明治期に建てられた灯塔は、ブラントンの影響を受けているのか、六連島や部埼と似た形状だ。
但し、鉄製だから、叩けば鉄特有の音がする。 石造の重厚さはないが、これはこれでいい。
門柱も扉もあって、威厳のある灯台だ。
前日は玄界灘の灯台を2基訪れて、夕方から始まる博多でのワイン会まで 海ノ中道 と 志賀島で時間をつぶした。
博多湾を形作る海ノ中道と、その先端の志賀島(しかのしま ・ 国宝の金印が掘り出された島)には、
地図には載っていなくても、灯台の一つくらいあるだろうと期待したのだが、防波堤の灯台しかなかった。
ワイン会を終えて、夜は福岡空港の国際線駐車場で1泊。 朝、大宰府I.C. に出るには最高の立地だ。
せきさき とうだい
関埼灯台
大分市佐賀関 (地蔵崎)
鵜戸埼灯台
都井岬灯台1
都井岬灯台 2 は 
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北緯 32°25' 13.0", 東経 131°41' 16.5"
白色 塔形 コンクリート造
単閃緑白互光 毎10秒に緑1閃光白1閃光
光度 65,000カンデラ
光達距離 21海里 (約44.5km)
地上〜頂部:11.43m、水面〜灯火:100.90m
初点灯 昭和16年11月10日
北緯 32°03' 53", 東経 131°30' 19"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白光 毎15秒に1閃光
光度 250,000カンデラ
光達距離 21海里 (約40km)
地上〜頂部:9.3m、水面〜灯火:64.0m
初点灯 昭和30年4月6日
一般公開されている都井岬燈台も
夜間は門扉で閉ざされ、
灯台の敷地には入れない。
開門は朝9時だ。
それまで待てないから、
チョットばかり失礼した。
隣接する土産物屋の壁に
脚立が立てかけてあったもので‥‥。
スイマセン。

明朝は5時に起きて、
朝の灯台と日の出を眺め、
佐多岬灯台、薩摩長崎鼻灯台に GO!
北緯 33°15' 48", 東経 131°54' 20"
円形 鉄造

4等 明暗白光 明4秒暗4秒
光度 24,000カンデラ
光達距離 22海里(約41km)
地上〜頂部:10.2m 水面〜灯火:69.4m
初点灯 明治34年7月20日
都井岬灯台には、夜8時半を過ぎてたどり着いた。
岬で放牧している 「岬馬」 が逃走しないように閉ざされたゲートは夜間は無人だから、車から降りて開閉する。
灯台前の駐車場には車がなく、ラインを無視して、フロントガラスを灯台の正面に向けて車を停めた。
さあ、灯台の前で晩餐(?)だ。
運転席で飲むのは アサヒ・スーパードライ。
呑みながら眼を上げれば、夢に描いた都井岬灯台の閃光が
 (正確には30秒で1回転だが、レンズが2個あるから) 15秒ごとに回転する。
なんという満足感だろう。
かじるのは かっぱえびせん と 裂きイカ。 かじりながら眼を上げれば、尊い灯光が15秒ごとに回転する。
なんという至福。
夜中に目覚めてフロントガラスを見れば、船と船人の命と財産を守る灯が15秒ごとに回転を続けている。
しかも、100mの至近距離で。
灯台ファンにとって、こんな贅沢はない。 私が最高に感激する盛大な晩餐で、嬉しい寝床だ。
といみさき とうだい
都井岬灯台 1
串間市都井岬

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細島灯台 (日向岬・馬の背)
関埼燈台 (大分市佐賀関)
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