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かばしま とうだい
樺島灯台
長崎市野母崎樺島
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いおうじま とうだい
伊王島灯台
長崎市伊王島
野母半島越しに軍艦島(端島)
おおばえはな とうだい
大碆鼻灯台
平戸市生月島
藪の中から見上げた灯台
正規の道から見た灯台














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北緯 33°34' 02", 東経 129°53' 55"
白色 塔形 コンクリート造
等明暗白光 明3秒暗3秒
光度 9,100カンデラ
光達距離 16海里
地上〜頂部:10.6m、水面〜灯火:31m
初点灯 昭和48年3月
2時過ぎなのにイカ料理のレストランは駐車場にも入れない盛況ぶり。 イカは諦めて加部島の北端まで走る。
車1台がやっとの車道を進むと、なだらかな放牧地。 お牛様優先で、人間は柵を大回りしなければ灯台に近づけない。
灯台は放牧地の柵の中にあるから、いずれにしても柵を越えて放牧地を横断する禁を犯差なければならない。
その距離が長いか短いかの差だ。 数100m程放牧地を横断して、肥前立石埼灯台にたどり着いた。
道中、周りの景色を見ることはできない。 足元を見ていないと、巨大な牛糞を踏んづけることになる。
7分の1は、地表に落ちて間がない糞だ。

肥前立石埼灯台と波戸岬灯台との距離は、それほど離れていないから、 ここから眺める沖の景色は大差ない。
沖の島影は共にきれいだ。 背後に長閑な、なだらかな放牧場が広がっている分だけ、立石埼のほうが気持ちが広くなる。
柵の存在と、牛糞がなければ最高なのだが。

灯台を見終えて、街に戻ったが、3時を回っても駐車場は満車。
街中で、今をときめく有名レストランと同名の料理屋(本店?)を発見。 イカ刺し定食、ボリューム満点で 1890円。 美味。
北緯 33°33' 20", 東経 129°50' 48"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白光 毎5秒に1閃光
光度 5,600カンデラ
光達距離 12.5海里 (約23km)
地上〜頂部:13.4m、水面〜灯火:21m
初点灯 昭和24年3月
平成2年11月 改築
聞くところによれば、呼子の名物 ・ イカ料理には、 山口県の北浦産のイカが多く使われているということだが、
それを言い出したらきりがない。
私が居た伊良湖岬の「大ハマグリ」も、伊東温泉の「アジの開き」も、 産地は山口県の内海であり、北浦だった。
要は、どこの産であれ、いかに (駄洒落ではありません ・ 笑) 付加価値をつけて美味しく食べさせるか、だから。

呼子は、秀吉が築いた名護屋城があって、今も石垣が残っている。
朝鮮出兵に駆り出された 島津、上杉、生駒、九鬼らの諸大名の陣跡が半島のそこかしこにに残っている。
それはそれで興味を引くところだが、今日は一切無視。 ひたすら半島の先端・波戸岬を目指す。
岬に着いたら着いたで、そこには海中展望塔などもあって 玄海国定公園のレジャースポットだが、これも無視。
同行の 迷人 さんは、「なんと味気のない旅をする男だ」 と思ったことだろう。

岬に立って沖を見やれば、右から左、大小5つの島が見える。
お好きな島をどうぞ、と言った感じなのだが、 この近海で名だたる灯台はみんな、壱岐を含めた島嶼にある。
本土にあって、一人気を吐く波戸岬灯台、といったところか。
北緯 33°26' 12", 東経 129°25' 58"
白色 円形 コンクリート造
等明暗白光 明3秒暗3秒
光度 8,500カンデラ
光達距離 20.5海里 (約38km)
地上〜頂部:10.5m、水面〜灯火:100.1m
初点灯 昭和33年1月25日
平成14年3月 改築
生月島には、鎖国時代のキリスト教の影が色濃く残るという。 血の遺跡、禁教の遺跡も数多い、と聞く。
私が訪れた日、空はどこまでも蒼く、海はどこまでも碧く、 殉教の島を彷彿とさせるものには出くわさなかった。
もっとも、灯台から灯台を駆け足で飛び回る私には、眼に入るものは灯台しかなかっただろうが。


大碆鼻灯台の 「碆」は当用漢字にない。 だから、
地元が作った標識が 「大バエ灯台」 となっているのは仕方ないが、 大碆鼻の「鼻」 を抜かしているのは許せない。
灯台に多く使われている地名の 「埼」 や 「鼻」 にはそれぞれ意味がある。
地元が勝手に、地名を一部省略したり、書き換えたりするのは困ったものだ。

生月島北部の海岸線は80m〜100mの超える断崖絶壁が連続するする。 その北のはずれに大碆鼻灯台はある。
風の強い断崖だ。 日本に吹き寄せる季節風は、壱岐対馬にぶつかり、次いで生月島にぶつかる。
遣唐使の船が日本への帰途、荒天に出くわし、荒波にもまれて、乗り合わせた者は生きた心地もしなかっただろう。
やっとの思いで島にたどり着いて、「息をつけたから生月島」。 この島の由来らしい。
北緯 33°21′39″ 東径 129°24′00″
白色 円柱 コンクリート造
単閃白光 毎4秒に1閃光
5600 カンデラ
光達距離 12,5海里 (約 23.1km)
地上〜頂部 9m  水面〜灯火 109m
平戸大橋を渡れば平戸島。 平戸島は観光の島だが、私にとっては、平戸島は生月大橋を渡るための通過の島だ。
生月大橋を渡ってすぐに左折。 生月長瀬鼻灯台は島の西端にある。

灯台めぐりをしていると、灯台にたどり着く 「勘」 が発達してくる。
島の周回道路から外れる箇所は見事に見つけたが、灯台まじかの分岐で道を間違えた。
私の勘もいい加減なものだ。、道は行き止まりで、その先は藪。 藪漕ぎ数分。
藪を漕ぎながら、何か気配を感じて横を見上げれば離れた丘の上に灯台。
ま、この角度から写真を撮りたかったんだ、ということにしよう。

生月長瀬鼻灯台は デザイン燈台の一つで、ロケット灯台と呼んでいる。
生月(いきつき)を 「行く月」に語呂合わせをして、 月に飛ぶロケットをイメージした、と案内板に書いてある。
初点灯が平成4年3月30日の新しい灯台だ。
↑ 旧吏員宿舎は記念館となっている(入館無料)
← 三代目灯台は 旧灯台の台座に隣接している
↓ 記念館に飾られた「初点プレート」
北緯 32°42' 39", 東経 129°45' 49"
白色 四角形 コンクリート造
4等 群閃白光 
    毎15秒隔て15秒間に4閃光
210,000 カンデラ
光達距離 21 海里(約39km)
地上〜頂部:11.5m、水面〜灯火:64.4m
長崎港外、伊王島の灯台は、ブラントンの設計による鉄造の洋式灯台第1号として華々しくデビューした。
初点灯は 明治4年7月31日。 このまま現存すれば、日本の灯台史に燦然と輝く灯台、のはずだった。
昭和20年8月9日 長崎原爆の爆風被害のため損傷。
米軍機が落下した1個の原爆は、 尊い命も財産も、文化財的な建造物も奪い去った。
灯台から眺めれば、長崎の市街ははるかに遠い。 爆風はここまで来たのか!

伊王島灯台は 昭和29年12月 四角形の鉄筋コンクリート造に改築している。
その際、灯塔上部のドーム(燈室)だけは建設当時のものを使った。
さらに、平成15年9月には、往時を偲ぶ六角形灯台 8コンクリート造り) に復元している。
いま、私達が見るのは三代目の伊王島灯台、ということになる。

訪れた日は朝から好天で、 一週間前に風害をもたらした台風などあったの? と言わんばかりの 蒼い空と碧い海。
灯台には似つかわしくない微風だった。
現灯台に隣接して旧灯台の基部台座が、六角形の石組みで残っている。 同行の迷人 さんとしばし寝転んだ。
思えば、灯台めぐりをしていて、灯台の敷地で寝転ぶなんて初めての経験だ。
寝転んで、雲ひとつない空を見ていたら、石川啄木が詠んだ歌を思い出した。真似てみた。
   伊王島  遺跡の台座に寝転びて  空に吸われし  五十九のこころ     (葡萄舎人)

島内を走る、乗り降り自由のバス料金は100円。
伊王島灯台を終始発点とするバスを待つ1時間があったから、灯台で寝転べた。
伊王島灯台は、いつかは行ってみたい灯台の一つ、だった。 もう一度行ってみたい灯台になった。
北緯 32°32' 52", 東経 129°46' 45"
白色 円形 コンクリート造
3等大型 単閃白光 毎20秒に1閃光
1,200,000カンデラ
光達距離 28海里(約52km)
地上〜頂部:15.2m、水面〜灯火:127m
初点灯 昭和7年7月1日
下関を朝5時半に出発して、長崎には8時に着いた。 そのまま南西に針路をとり長崎半島の先端・野母崎を目指す。
右の車窓からは、高島、端島といった島々が見える。 端島は軍艦島と呼ばれ、海底炭鉱でにぎわった島だ。
昼は軍艦の様に見え、夜は灯りを点した豪華客船の様に見えたことだろう。
無人となり廃墟と化してからは、小さな灯台の灯が島の存在を知らせている。人の世の栄枯盛衰、だ。

当初、野母崎の先端の野母にに建てられる予定だった灯台は、 少し南の樺島に立てられた。
九州本土からは、樺島大橋が架けられたことで、自動車で灯台の麓の灯台公園まで行ける。
ネットでは、訪問した方々が 離合も難しいやたら細い道だと書いているが、灯台に行く道としては立派なものだ。

樺島燈台の灯塔は15mと低い。 灯台基部まで海抜120m近いから、 それで充分だけど。
西海の灯台では横綱クラスの堂々たる3等大型レンズが乗っているのだから、もう10mあれば迫力のある灯台だろうに。

「島と岬の灯台めぐり」 の本木修次氏は、 訪れたときの 地元の少年と とんびの話を書いておいでだが、
この日も数羽のとんびが悠然と舞い飛んでいた。
印象的だったのは、季節よりも早い落ち葉の数。
一週間前の、強烈な風を伴った台風13号は、真っ先に野母崎の樺島灯台を襲っている。
落ち葉は茶色。 立ち木の葉も茶色。 強烈な潮風だったのだろうが、台風から一週間経てば、雲ひとつない青空。
展望台から眺めれば、ぐるり東シナ海(天草灘)は紺碧の海。 野母崎の山越しには、端島(軍艦島)も見えた。
樺島灯台は島の灯台だが、 長崎に入港する船が真っ先に目にする、九州本土の灯台、と言ってよかろう。
掛け値なしに、それにふさわしい、美しくも雄雄しい灯台だ。
大碆鼻灯台
波戸岬灯台
肥前立石埼灯台
樺島灯台
伊王島灯台
生月長瀬鼻灯台
ひぜん たていしさき とうだい
肥前立石埼灯台
唐津市呼子町
遠くの島影は美しいが、浜辺には、台湾から流れ着いた流木が‥‥
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私の灯台めぐりはいつも一人。
この、西海の灯台めぐりだけは、釣り迷人さんと終始二人だった。
灯台が立つ岬は、大体、好い釣り場だろうから、
あちこちの灯台をご覧になっているはずだが、あまり記憶にはないそうだ。
趣味の対象にしている者の方が異常なのだろう。

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