旅程 宿泊地
2003 03 04  下関 → 福岡 → 伊丹 → 関空 → 機中
05  → ドバイ ・ 市内観光 → イスタンブール イスタンブール
06  市内観光 海峡遊覧 → ダーダネルス海峡 → チャナッカレ チャナッカレ
07  チャナッカレ → トロイ → ベルガモン遺跡 → イズミール  イズミール
08  イズミール → エフェス遺跡 → ヒエラポリス遺跡 → パムッカレ パムッカレ
09  パムッカレ → コンヤ → カッパドキア カッパドキア
10  カッパドキア観光 → アンカラ →  寝台車
11  → イスタンブール 市内観光 イスタンブール
12  市内観光 → ドバイ → 機中
13  → 関空 → 福岡 → 下関

早春の3月。 
伊丹空港は小雪が舞い、
ドバイの半日観光は半袖、イスタンブールは肌寒い小雨、
ダーダネルス海峡に向かう道中は残雪。
トルコの緯度の高さを再認識した。
ヨーロッパが寒いわけだ。
カッパドキアは雪景色だった。

カッパドキア
欧亜を繋ぐ橋
対岸はアジア地区 (ウスキュダル)

文明の十字路・トルコ

「旅 / 折々の記」 は次のページで構成しています 
1993 オーストラリア周遊 (エアーズロック、シドニー)   赤い中央・ウルル GO
1998 スペイン周遊 (マドリッド、トレド、アンダルシア、バルセロナ) スペインの光と影  GO
2000 フランス周遊 (プロヴァンス、モンサンミッシェル、パリ)  モンサンミッシェル  GO
2001 ポルトガル周遊 (リスボン、ロカ岬、マディラ島)  大西洋の真珠・マディラ  GO
2002 フランス周遊 (リヨン、ブルゴーニュ、アルザス、シャンパーニュ、パリ)  フランス田園地帯  GO
2003 トルコ周遊 (イスタンブール、カッパドキア)   文明の十字路・トルコ
ダーダネルス海峡をフェリーで渡るために
イスタンブールからマルマラ海の北岸 (ヨーロッパ) を西進した。
春浅い3月、沿道にが」雪が残っていた。
フェリーはガラガラ。船室は、人が少なければ冷え冷えとするものだ。
フェリー着き場に近いホテルに宿泊。
ガラタ橋は2階構造
上が車道になっている
ブルーモスク
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旅 / 折々の記

安保理でフランスが抵抗してくれたお陰で、
アメリカのイラク進撃にストップがかかり、
催行が不透明だったトルコ旅行が実現した。
1ランク上の旅行保険に加入して出発したのだが、
街も田舎も、上っ面を見る限りは全く平穏で、
これが海外ニュースで
トルコ、トルコと騒がれている国かいナ、と拍子抜けした。
旅行を終えて、帰国後2週間程して、
米英軍のイラク進攻が始まった。

Journey

探しあぐねていた
延びるアイスクリーム
カッパドキアの売店で見つけた
イスラムの国々への旅行を考えるとき、
飛行機やホテル・レストランにアルコールがあるのかいナ、と
それが一番気がかりなんだから、呑ン兵衛は駄目だ。
トルコは国民の98%がイスラムの信者らしい。
ところが、宗教と生活が完全に分離した 「ありがたい 」 国で、
アルコールはご法度でもなんでもない。
食べ物は安くて豊富、観光資源もあり、旅行者天国だ。
目茶苦茶なインフレで、 1,000,000トルコリラ(TL)が約75円。
買い物の際は下4桁を外して大雑把な換算をした。
1億の買い物なんてザラだから大金持ちの気分になれる。
イスタンブールを言い表す言葉
「東洋と西洋の出会う街」
「千古の栄華と落日を刻む街」
「ローマの幻、ビザンツの夢、オスマンの栄光を刻む世界史の街」.
一番好きなのは
「アジアから昇る朝日とヨーロッパに沈む夕陽を望む街」
ボスポラス海峡はアジア (対岸) とヨーロッパ (手前) を隔てる海峡
それとも、アジアとヨーロッパを繋ぐ海峡?
隊商宿
イスタンブール駅
アンカラから乗ってきた寝台列車
この駅がヨーロッパ側なら
オリエント急行みたいだが
短い距離を一晩かけて走るから、
停まっている時間も長かった
ツズ湖
カッパドキアからアンカラへ
向かう途中のトルコ第2の湖
水深1m 乾季には干上がるらしい
湖水はとにかく辛い
塩分濃度世界一だという
自然が造りあげた造形に、人の営みが加わって、
なんとも奇妙な風景が展開するカッパドキア。
陽は射さず、震えながらの観光だったが、
ワイン好きは雑然と植えられた葡萄畑を目ざとく見つけ、
天下の奇観よりも、
残雪の砂地に植えられたケナゲな葡萄樹に心奪われる始末。
いつ見ても、どこで見ても、葡萄の樹はかわいい
トロイ遺跡
カッパドキアに向かう道中は大平原。
地平線まで山らしいものは見当たらない。
シルクロードの終点に近いトルコだが、立派な隊商宿があった。

チャナッカレ港
エーゲ文明の面影を色濃く残すトルコ南西部は遺跡の宝庫だ。
エフェソス遺跡は広大で、野外劇場は24,000人の収容力がある。
野外劇場の規模は人口の1割が基準というから、
当時の人口は24万人いたことになる。下関と同じだ。
アジア へ

ISTANBUL
旅のあれこれ
ワインもある。ラベルはトルコ語。たまに英語と独語で「辛口・赤」などと表示されている。
圧倒的に土着品種のワインが多くて、
カベルネやシャルドネの文字にお目にかからなかったのが何より嬉しいことだった。
行く先々に地ワインがあるが、日本人が喜ぶのは「寅さん」。TURASANと書く。
トゥラサンと発音するのだろうが okuzgozu という土着品種のワインだ。
レストランでフルボトルが 20.000,000TL。1500円なら安い! 美味い!
「寅さん」を13本も持ち帰った馬鹿が居る。 何処に? ここに。
ガラタ塔から
金角湾を挟んで旧市街
下関という、日本では代表的な海峡の街に住んでいるからなのか、
  (そうそう、下関とイスタンブールは姉妹都市なのだ。街の格と桁が違うけど)
どうしても、あれこれ比較してしまう。

下関と北九州で130万人、イスタンブールは1,300万人。このスケールの違いはどうしようもないが、
海峡を通過する船舶は関門海峡の勝ち。  海峡を横断する人の動きはボスポラス海峡の勝ち。
歌に唄われたウスクダル (アジア) が居住区で、旧市街・新市街 (ヨーロッパ) が経済・文化の中心だから、
アジアに住んで、ヨーロッパに勤務する人たちが、長い昼食(昼寝)を自宅で摂る為に一日2往復することになる。
それなら、海峡を横断する人の流れの多さも納得できる。
それにしても街中で見かける男の多さよ! 
皆が皆、鼻から顎に立派な髭をたくわえて。両方の眉が繋がった人さえいる!ツンツルの日本人はオカマみたい。
エミレーツ航空の乗り継ぎで
ドバイを半日観光  砂漠の中の超近代都市
昔ながらの水上交通 「アブラ」 も健在だ
ガラタ橋のたもとの香辛料店で
水煙草
駐車場の脇で
いかにも 「写してくれ」
と言わんばかりの岩
パムッカレの石灰棚
TURASAN 寅さん
ヒエラポリスの遺跡に隣接して、パムッカレの石灰棚がある。
到着したのは日没が早い早春の夕刻だったから、
ガイドブックで見たような、水面に青空が映える景観は見事に裏切られた。
自然保護のため、はだしで歩き回るのだが、
末端まで行くと、温泉の温度も下がって、もう帰ろうか、という気になる。
ホテルでトルコ風呂を体験。
隣に寝そべった、アメリカ人らしい肌の黒い妙齢の女性がオナラをこいた。
自分で吹きだして、そのまま寝そべっているのだから、
恥の文化は日本人だけなのだろうか。
朝霧のスルタン・アフメット寺院(ブルー・モスク)
一番美味いのはトルコの国民酒「ラク」だ。
干し葡萄の蒸留酒で、アニスの強烈な香りがし、水で割ると白濁する。
特有なクセを克服すると、もう病みつきだ。
ラクでケバブを突っつく。コタエラレマセン。
ヒエラポリス遺跡
エフェソス遺跡
ベルガモン遺跡
岸壁で売っている「鯖サンド」。
これが美味い。
三枚におろした鯖を焼いて、
オニオンスライスを添え、
コッペパンに挟んだだけの
シンプルな食べ物。
ほおばりながら、ガラタ橋を渡った。

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