凱旋門
コスタ・デル・ソル (太陽の海岸) はヨーロッパ有数のリゾートだが
夕方着いて、朝出発では、ただ「行った、泊まった」 というだけ。
背ビーリアに向かう山あいにロンダの町がある。
闘牛発祥の地で、スペイン最古の闘牛場もある。
観光ポイントは深〜い谷に架かるヌエボ橋で、
「下から見上げる絶好の撮影場所がある」 というので谷を下ったら、通行禁止!
急坂を駆け下り、がっかりして駆け上り、消耗。
街中で絵描きがいた。
橋を見ないで描いているから、よほど描きなれているのかな?


ラ・マンチャ 〜
   アンダルシア
アンダルシア―――
詩情をたたえた 光と影 歌と踊り 闘いと恋  
旅情を書き立てる コルドバ グラナダ セビーリア
スペインの光と影
セゴビアの水道橋
7万トンクラスの豪華客船も船
1〜2トンの遊覧船も船
バルセロナ
セビリアはアンダルシア最大の都市で、カテドラルは、
サンピエトロ寺院 (バチカン)、セント・ポール寺院 (ロンドン) に次ぐ次ぐ
ヨーロッパで3番目の規模の寺院らしい。
高さ約 100m のヒラルダの塔がそびえている。上るつもりはまったくなかったが、
S負債の奥さんから 「登らなくっちゃダメ!」 と発破をかけられてしぶしぶと。
会談ではない、らせん状の通路を、行き絶え絶えに上り詰めると、
ご褒美に大展望が開けた
旅程では空路バルセロナだから、見納めのアンダルシアの風景だ。。
アンダルシア点描

(写真 : 上)
タホ川の対岸のパラドールからトレドを望む
後に知ったのだが、このタホ川、流れ流れて大西洋に注ぐけれど
リズボワ(リスボン) を流れるテージョ川の上流だって!
成る程、タホは TAJO  テージョは TEJO
この川は、トレドとリズボワ、 私の好きな街を結んでいるんだ!

でも 私の スペインの心象風景は写真で見たトレドだった
私の中のトレドはセピアカラーの埃っぽい薄茶色の街  
午睡をし続ける 閉塞したけだるさの漂う街
長い歴史の中で 文化を蓄積し 
激しく戦ったとはとても思えない街
そんなトレドなのに 不思議な存在感をもっていた

「旅 / 折々の記」 は次のページで構成しています 
1993 オーストラリア周遊 (エアーズロック、シドニー)   赤い中央・ウルル GO
1998 スペイン周遊 (マドリッド、トレド、アンダルシア、バルセロナ) スペインの光と影 
2000 フランス周遊 (プロヴァンス、モンサンミッシェル、パリ)  モンサンミッシェル  GO
2001 ポルトガル周遊 (リスボン、ロカ岬、マディラ島)  大西洋の真珠・マディラ  GO
2002 フランス周遊 (リヨン、ブルゴーニュ、アルザス、シャンパーニュ、パリ)  フランス田園地帯  GO
2003 トルコ周遊 (イスタンブール、カッパドキア)   文明の十字路・トルコ GO
ヒラルダの塔から
セビリアの町並み
TOLEDO
TOP PAGE
 JOURNEY 表紙
聖地巡礼 
旅 折々の記 
 風の大地 パタゴニア
 シルクロード 風の旅
 悠久の南米 浪漫の旅
 
ディズニーの 「白雪姫」
のモデルになった城
サグラダ・ファミリア (聖家族協会) は18聖人を18の塔で表現するそうな。
現在8人分が建築済みで、
残り10人分はこれから60年かけて立て続けるそうな。
西欧人の息の長さとスケールは桁違いだと感心させられる。
キリスト教建造物に見られる、宗教の力。

最後に、自由行動の時間があったのでガイドさんにアドバイスをもらうと、
お奨めは 「港内クルーズ」 だと。 港に行ったら、なんと1トンか2トンの船!。
観光客の女の子が操船できるのだから。
ちょうど、客船が出港するのに出くわした。
7万トンはあろうか、という豪華客船を20人乗りの遊覧船で追いかけても
追いつくわけがない
彼我の差にため息をつきながらも、楽しい港内異臭だった。
上陸したから海岸のレストランでパエリアを注文。
今度は美味かった。
マドリードの敵をバルセロナで。
スペインに行く、(当然)マドリッドに立ち寄る、と言ったら、
ワイン界の大御所が  「ならば、ゲルニカを見てきなさい」 と仰る。
ハイハイと返事だけして、実際はプラド美術館へ行った。
難解なゲルニカよりは、
裸のマハ、着衣のマハの方が私には似つかわしかったから。
朝一番、開門と同時に展示場所に走った。
無い! ウッソ〜!
お目当てのマハは、2点ともエルミタージュに貸し出し中だった!
口惜しいし、絵がかかっていないのだからと、ストロボ禁止を省みず、
シャッターを推したら、叱られた。
右の写真は、プラド美術館に行った、という証拠写真。
大御所のアドバイスを素直に聞いておけばよかった。嗚呼。
結局、ゲルニカは見ていないし、マハも見ていない。
虻蜂取らずとは、このこと?

旅 / 折々の記

壁を見に来たの?
すばらしい絵はたくさんあったけど
小林幸子が出ない紅白歌合戦みたい
イベリア半島で最後までイスラムとして孤塁を守ったグラナダ。
アンダルシアの乾燥した空気の中で、
歴史への熱い思いを感じさせる街。
夜になって、フラメンコショーを観に行った。

フラメンコは、
アンダルシアの情緒を伝える歌、ギター、踊りの芸術。
フラメンコが表現するのは、悲しみ、喜び、情熱、絶望‥‥
何の飾り気もない、叫ぶような歌声
心臓に響くギターの絃のうねり
鳴り響く手拍子
ほとばしる生命感と、その裏にこもる悲哀
ジプシーの血とアンダルシアの風土が作り上げた
―――フラメンコ

グアダルキビール川沿いに、1200年前の面影を残すコルドバ。
メスキータを案内するイサベラおばさんの、日本語の語彙は貧弱だったが、
同じ言葉の繰り返しで、メスキータの素晴らしさを熱っぽく語っていた。
メスキータ内部の薄暗さと外の明るさは対照的で
瞬きしながらローマ橋のたもとまで歩いた。
いかにもスペイン的な凱旋門があった。幾度となく血が流されたのだろう。
アンダルシアの歴史は、イスラム教徒とキリスト教徒の戦いの歴史だ。
ドンキホーテが、砦 と思って突撃した風車が、
コンスエグラの丘の上に並んでいる。
今は使われず、観光用になっていて、そのうち1基はミニ博物館だ。
訪れたときは素晴らしい青空で、風車の白壁がまぶしかった。
スペインのワイン生産量は第3位だが、葡萄の作付面積、収穫量は
第1位である。
老舗のリオハやペネデス、今をときめくリベラ・デル・ドェロのように
あまり知られてはいないが、スペインの中央、ラ・マンチャも
葡萄の一大産地である。
広大な土地に、丈の低い葡萄畑が広がっている。株仕立てだ。
バスの窓外の景色をボヤ〜と眺めていても、葡萄畑だけはすぐに見つけて、
やたらシャッターを押すから始末に終えない。
今回はワインのたびではない、っちゅうのに。
どこに行った マハ
太陽と風車の国 スペイン10日間の旅 JTB
旅程 宿泊地
1998 09 04  下関 → 福岡 → 羽田 青山
05  東京 → 成田 → モスクワ → マドリード マドリード
06  プラド美術館 マドリード市内観光 セゴビア マドリード
07  マドリード → トレド トレド
08  トレド → コンスエグラ → アルマグロ → コルドバ コルドバ
09  コルドバ → グラナダ グラナダ
10  グラナダ → ミハス → トレモリノス(コスタ・デル・ソル) トレモリノス
11  トレモリノス → ロンダ → セビリア → バルセロナ バルセロナ
12  バルセロナ市内観光 モンセラ バルセロナ
13  バルセロナ → マドリード → モスクワ → 機中
14  → 成田 → 羽田 → 福岡 → 下関
時の移ろいにつれて 色彩と陰影は変わっても  
昼も夜も変わらないものがこの街にはある
それは 飄として寡黙な居ずまい
もしかするとこの街は数世紀の間  
表情も姿勢も変えずに 生き続けたのだろうか
この街の「不変」は  
この国の人々の 郷愁を満たし 安堵させ  
精神的支柱だったのか
確かな強さを 無表情で装う トレドの存在感

異邦人の  私の中にも 生き続ける都

Journey

白壁と坂道の街・ミハスには、観光用のロバがいることを本で読んでいた。
「街に着いたら、乗りたい」 と予め申し出ておいた。
添乗員嬢は手際よく、馬主ならぬロバ主と交渉をして、
8頭ばかりのロバが我々の方に歩いてきた。
ところが、ところが、実際に乗ったのは私一人。
7人のロバ主は、「なんだ、こいつら」 という顔をしながら戻っていったが、
私が乗ったロバのロバ主は歩きながら、絶えず、チッ、チッと舌打ちをし続ける。
私の心中は穏やかで無い。
もしかしたら、あれは
ロバを誘導する合図だったかもしれないが、長く感じられる15分間だった。

サグラダファミリアを
「桜田門」 と覚えた
絵描きが描いている景色を
見るはずだった
マドリードでは、
「ハムの美術館」 という名の有名 な (らしい)
レストランで昼食をとった。
出されたパエリヤがまずかった。
言い換えよう。おいしくなかった。
がっかりして午後に訪れたセゴビアは良かった。
ローマ人が残した水道橋の、圧倒する存在感。
南仏のボン・デュ・ガールもすごいが
セゴビアの水道橋は街中にあるだけに、感嘆する。
ローマ人は偉い。
ヨーロッパ中に葡萄を植えて行ったし。

旅行の3日目 トレドに着いた  
路地を歩き カフェに座り 
対岸の高台に建つパラドールに泊まり 
終日トレドを眺めた
街は 暑い日ざしに 抵抗を止めて押し黙り  
残照に映える頃 威厳を取り戻し
無粋なライトアップに 老いを曝し  
寝覚めて 朝の精気を吸おうとしている

ミハスのロバ
コンスエグラ
道端の葡萄畑
inserted by FC2 system