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ぎゃるりー
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その頃の私は山 (登山) に夢中で、
シャモニーにあるという、フランス国立の登山学校に入校し、
アルプスのガイドになるのが夢だった。
夢は夢で終わって、
後年、フランスのワイン産地はくまなく歩いたが、
シャモニーには未だ訪れていないからなんとも皮肉な話だ。

厳しい自然環境の土地は地球上にゴマンとある (らしい)。
風の島・パンテレッリア。
灼熱のサハラ。石坂浩二が語る西域。 
その延長線上の中央アジアのシルクロード。
アラスカも、シベリアも‥‥。
そして、風の大地・パタゴニア。
ツアー参加を決意してから、催行中止の連絡に振り回され、もてあそばれ、
何度もあきらめたり開き直ったり、催行決定まで5ヶ月間の揺れ動く心の記録です
高校を卒業するとき、文芸部の文集に寄稿を依頼された。
「夢」 がテーマだったろうか。私は、
  自然が人間を拒むところ、人間が自然に挑むところ。
  「山」。
  自然と人間が接するところ、そこが私の生きるところ。
などと書き残したと思う

ただ、パタゴニアには海峡がある。
マゼラン海峡、ビーグル水道。なんといっても海峡はいい。
本州の最西端、海峡の街に住んで25年。
海峡の風景がものすごく好きになった。
それも対岸の見える海峡が。
地理学上の海峡の定義はともかく、
対岸が見えなければ、私にとっては海峡ではない。

2005年。パタゴニア旅行が実現した。

南米 ・ パタゴニア
中学や高校の 「社会科・地図帳」 で南米のページを開くと、
アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスの沖合いに、
北海道を南にした日本地図が、緯度、経度を逆にした同縮尺として表示されているのを、
面白くも、不思議な気持ちで眺めていたのを思い出す。
私の、地理への、地図への関心と興味は、このときに芽生えたのかもしれない。
文字通り、日本から見て地球の裏側に位置する南米の、
そのまた最南端のパタゴニアだから一筋縄では訪問できない。
東京を中心にすえた正距方位図法で、日本とパタゴニアを結ぶと、
東京 〜 ハワイ 〜 イースター島 を結んだ延長線上にパタゴニアがある。
地球の裏側だから、最短距離で2万kmだ。
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JOURNEY  表紙
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風の大地 パタゴニア 表紙
2004/08/05 旅物語(東京)から8月号が届いた。余り、気分が乗らない日で、読みもしなかった。どうせ、この1年は旅行を諦めてるし。
08/06 「パタゴニアが載ってるよ!」 と家人の声あり。だからって、どうしたというの? 半分ふてくされ気味の対応。「あれほど行きたがってたのに。行ったら?」と、また家人。
このあたりから、雲行きが変わり始める。
1年間の海外旅行凍結は、葡萄舎の増築を実行する決意表明だった。
増築の資金と、旅行の費用は別物だから、そんじゃマァ、行くか。
08/08 パタゴニア行きを決めた。JTBに電話した。申込第1号らしい。はてさて、催行なるか?
08/09 「パタゴニア」を検索したら、ヤタラ衣類の項目が多い。さやさんの「パタゴニア旅行記」にたどり着く。うら若き乙女子と拝察したが、大した旅人だ。
08/15 申込書作成 パスポートのコピーはふんだんにある
08/16 申込書送付 申込金50000円 旅行傷害保険12000
08/19 出入国カードを旅行社に頼むと3150円。自分で書くとタダ。
「アルゼンチン・出入国カード」を検索したら、親切なサンプルが出て来た。便利な世の中だ
08/20 次第に気分が乗ってきたので、本を買った。
「地球の歩き方・アルゼンチン チリ」 「旅の指差し会話帳 アルゼンチン」
旅行社お任せのツアーだから、さやさんみたいにはいかないけれど、最低限の会話くらい覚えよう。有り余る時間がある。
2004/09/05 旅物語9月号が届いた。
パタゴニアに行くなんて随分とマニアックな発想で、催行される確率は75%と踏んでいたが、申し込んでいる11月出発は □ で囲ってあり、「お問い合わせ多数です」とあるではないか!
限りなく催行実現に近づいた。しかも、この時期はジャカランタ満開らしい。何はともあれ、めでたい。
09/15 数えるのも面倒、覚えるのはもっと面倒な歳になってしまった。
今年の誕生日、家内からのプレゼントは大判の南アメリカの地図。嬉しい。ありがたい。
09/17 JTBに確認したら、1回目の応募は3名、2回目が3名!
これじゃ11月の出発はおぼつかない。12月中旬の出発希望が6名だそうだから、この日に集約して出発に漕ぎ着けるのかしらん。
この時期なら、確かにベストシーズンだが、ブエノスアイレスのジャカランダの満開に間に合わない! それでも行くけど。
09/22 最近、何かと友人知人に連絡をとる機会が多いのだが、誰彼となしに、「パタゴニアに行くの? そこには何があるんだ?」 と聞いてくる。みんな、結構HPを見てくれてるのだ!
答えて曰く、「風がヤタラ強くて、人間の生活の限界だから何もないところだよ」
次の質問 「そこに行ってどうするの? 何故行くの?」
「地球最南端の町があるから」 「フ〜ン」
どうせ、分かってはもらえまい。 変わった奴だ、と思われるのが関の山だろう。
09/28 旅のお師匠さん・さやさんの掲示板への投稿より

希望的楽観、主観的願望から、今日あたり、パタゴニア行決定! とご報告を入れるところでしたが、天佑吾に味方せず、11月の出発は流れました‥‥‥。無念。
12月中旬の出発は、問い合わせと申し込みを合わせて、最小催行人数にあと一人で、天に祈る気持ちです。
旅行社の電話で応対してくれた人は、珍しく物事をはっきりいう人で、長年の経験から、催行、催行中止をはっきり予想してくれました。なまじっか、持ってはいけない希望をあてもなく持ち続けるよりは、はっきり言ってもらった方が、はるかに気が楽です。
彼女いわく、「12月の出発日も、催行にこぎつければメッケモン」ですって!‥‥嗚呼。
05年3月まで出発日が設定されていますから、チリとアルゼンチンのワインでも飲みながら、気長に待つとしましょう。
しかし、せんないノゥ。
2004/12/03 ついに、復活の日は来た!  となるか。
改めて、2月と3月の出発を申し込んだ。 我に 天佑 あれ!
12/15 サイトに、「PATAGONIA に針路をとれ」 を復活させた。
12/17 名古屋の旅物語にパタゴニアツアーがあり 3/15 を申し込む。
1/10 出発は、なんと、満席(16名)で催行決定だと!
東京or名古屋の催行決定に望みを繋ぎながらも、2週間の日数と馬鹿にならない旅費を考えれば、何もパタゴニアばかりに固執することもない、と思い始めた。
12/20 西遊旅行が面白そうなパタゴニアツアーを募集しているので申し込む。こちらも、未だ催行人員に達していない。金額的に少し高いがやむを得まい。毒食わば皿まで、の心境
12/28 パタゴニア情報をいただいた さや さんに年末の挨拶。パタゴニア行がどうなるかわからないと書き送った直後、JTBから連絡。
2/22は催行中止。3/8は人員7名でも催行決定! との事。
やった! ついにやった! 待てば海路の日和あり、とはこのことか。正義は勝つ。
2社にキャンセルを入れる。
2005/01/02 新しい年は最高の気分で迎えられた。
今日から直前の準備に入る
01/05 成田発着の時刻判明
出発前日 13:45 羽田着 出国当日 12:00 成田発 NY JFK 10:20 それから先は知らん
それでも調べたら、ブエノスアイレス行きは 18:00発 8時間も、どうするの!?
01/07 前泊のホテル予約
京成電車に乗ることを考えれば、やはり上野駅前が一番使い勝手がいい。
東京に9年も居て、上野の山に行ったことがないから、今回は行こう。
JTB中部から申込金の返金あり。この5万円、何回出たり入ったりしたことか
01/10 最近、何故か 「旅人よ」 を鼻歌で唄うことが多くなった。
加山雄三が、岩谷時子の詩を得て、弾厚作というペンネームで作曲した、あの歌である。
パタゴニア旅行を控えて、フレーズのいくつかに共鳴するからだろうが、
パタゴニアの苛酷な自然を想像すると、どうも、加山雄三の歌のように甘っちょろいものではなさそうだ。
そこで、替え歌を作った。
   紆余曲折を経ながらも、ここまではご愛嬌です。 地獄を見たのは、ここからです。
   1月13日、PCがダウン。さらに続く2度の不具合発生でパニックに陥り、全データを消失。
   不手際も重なり、ネット上のサイトがコントロール不能になりました。
   急遽、出発前までに新サイト再構築を決意。 
   その作業に没頭して、初歩的なスペイン語会話の勉強を放棄。
   結果的に新サイト構築は未完に終わり、全てが中途半端のままに出発、と相成りました。
   なに、私にはよくあるパターンです (自嘲)。
日次 旅程 内容 宿泊地
03 07
下関 → 福岡  →  羽田 → 上野 ラカーザさん、風来坊さんと
03 08 上野 → 成田  →  NYJF 時差とエコノミー症候群との闘い 機中
03 09 NYJFK → ブエノスアイレ ブエノスアイレス市内観光
アルゼンチンタンゴ ディナーショー
ブエノスアイレス
03 10 ブエノスアイレス → カラファテ 午後 自由行動 カラファテ
03 11 滞在 ロス・グラシアレス国立公園 カラファテ
03 12 カラファテ− → プエルト・ナタレス ミロドン洞窟 プエルト・ナタレス
03 13 滞在 バイネ国立公園 プエルト・ナタレス
03 14 プエルト・ナタレス → プンタ・アレナス プンタ・アレナス市内観光 プンタ・アレナス
03 15 プンタ・アレナス → ウスアイア マゼラン海峡横断 ウスアイア
03 16 滞在 ビーグル水道クルーズ
ティエラ・デル・フェゴ国立公園
ウスアイア
03 17 ウスアイア → ブエノスアイレス 時差とエコノミー症候群との闘い 機中
03 18  → NYJFK 機中
03 19  → 成田 → 福岡 → 下関 自宅
訪れるのは南緯50度以南の地域だから、極東アジアで言えばサハリン(樺太)と同緯度だ。
観光のベストシーズンは12月から3月までの夏。
添乗員から挨拶があって、「山へ行く支度できてください」
変わりやすい天候、吹きすさぶ風‥‥、人が住まないところだから、相応の準備が必要、ということか。
風に吹かれに行くのなら、当然だろう。
南米・アルゼンチン、チリといえば、新世界ワインの旗手たらん、と意欲的な国々だ。
ワイン生産の中心地 メンドーサ、サンチャゴ は南緯33度だ。
そこから南、南緯40度までアルゼンチンでは パンパ と呼ばれる草原が続く。
南緯40度以南、南極までを PATAGONIA (パタゴニア) と呼ぶ。「風の大地」の別称もある。
人口密度というよりは、人影を見ない、不毛といって差し支えのない荒涼たる原野だ。
残念ながら、というべきか、当然ながら、というべきか、
最短距離を飛ぶ航空路線はない。
調べればあるのだが、大手旅行社が設定する旅程には、ない。
北米経由ばかりだから、最も効率的なのは 東京 → ロス → サンチャゴ → パタゴニアだろうが、
今回の旅行では最も遠回りの NYJFK 乗継ぎだった。
考えてみれば、同郷の先人も南米移民として、南米に渡っている。
長い日数を 「ぶらじる丸」 「あるぜんちな丸」 の移民船で過ごし、かの地にたどり着いてからは
想像を絶する苦労の末に、成功を果たし、また、夢破れ‥‥。
それに比べれば安易な物見遊山をする身に、30時間や40時間の道中など、何の苦労があろう。
とはいえ、やはり遠い。 長い。 つらい。
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