中国料理のレストランをチェーン展開する会社で、
最初に主宰したワイン会の名称は 「葡萄の会」 だった。
デザートワインに用意したマディラを、
誰かが「紹興酒みたい」と言った。
中国酒への馴染から容易に連想したようで、
それ以来、会の名称は「マディラの会」となった。
会の名称が名称だから、デザートワインはマディラになる。
慣れ親しんでくると、歴史や作り方、品種が気になる。
希少な古酒にも目が向いて、「嵌まる」 過程を辿った。

ポートの華麗さに比べれば、マデイラはなんともドン臭い。
ワイン仲間の評価も低いが、遥か大西洋の、
訪れる日本人も稀なマディラ島。
そこまで行ってきたとなれば、
「葡萄舎人 イコール マディラ党」 が何とかサマになる。

マディラ島訪問なんて、生涯かけても実現しない筈だった。
そんな夢が実現してしまった。
私服。 感謝。

エストファ (加熱装置) の前で
ファド を聴きたくて
リズボワ

ロカ岬灯台


二軒目に行った Casa do Fado (ファドレストラン)では
11時過ぎたら全ての客が帰ってしまい私一人が残ったけど、それでも彼女達は歌った
歌詞は勿論、曲名さえ分からないから、なにを歌っているのか皆目わからない
喜怒哀楽の 「怒」 と 「哀」 だけを感じ取ったに過ぎない
それよりも一人で座っているのが辛かった  そばを通りかかるウエイターの笑顔が唯一の救いだった
――― FADO (ファド)
流行歌と相通じて日本人にも理解しやすいというのが関心を持ったきっかけ

リズボワ(リスボン)を訪れたら、ファドを聴くのが目的だったから
三日三晩で四軒、夜も更けたバイロ・アルト地区に足を運んだ
ガイドブックには真打は深夜になって登場する、と書いてあったので、連夜10時過ぎにタクシーを飛ばした
行動は毎回一人  でも、リズボワのタクシーは (親切とは思わないが) 安全だ。
大西洋の強風、亜熱帯の熱さ、身の危険を冒す傾斜、
苛酷な自然条件下で栽培され収穫された葡萄が、
ブラジリアン・オークの巨大な樽で加熱され
(最短で) 3年の熟成を経てマディラワインになる。
なのに、1000kmも運ばれたリスボンの市場で受ける評価は低い。
何処でも幅を利かせているのはポートで、
マディラは申し訳程度に片隅に並んでいる。
それでも、私のマディラへの傾注は変わらない。
生産現場の苦労と努力を思いやると、
「我、援軍たらん」 と肩入れの度合いは増す。
マディラ島の起源は火山である。
淡路島ほどの島に1800mの山がそびえる。
島全体が急峻な傾斜地 (崖) で、
転がり落ちそうな斜面にへばりつくように葡萄が栽培されている。
栽培方法は (日本と同じ )棚仕立てである。
身をかがめるほどの丈の低い棚で根元には野菜が植えてある。
限られた土地を最大限に有効利用する為らしい。

下関のワイン界のさきがけ的存在は医師会の方々だ。
その集まり 「Eワイン会」 に、部外者の私を加えていただいた。
甘ならソーテルヌでもヴィンテージポートでも任せろ
という錚々たる猛者の集まりなのだ。
甘については知識も経験も、在庫もない私が
甘で活路を開くには 「マディラ党」 の旗を振るしかなかった。

大西洋の真珠・マディラ

ところが、ところが
私の人生のの彩りは、「ワイン」 と 「旅」 だったが、そこに 「灯台」 が加わった。
そうなってみると、ロカ岬の灯台を訪問したことは、そんでもない大きな意味を持ってくる。
今の私だったら、灯台の写真を30枚や50枚は撮っていただろうに、悔やまれる。
聖地 ・ マディラ巡礼
哀愁のファド
陸尽き、海始まる、ロカ岬
今回の旅行の3本柱だったが、旅を終えてみると
ナザレがロカ岬に取って代わっていた。
ロカ岬
城郭都市 ・ オビドス
オビドスは白壁の街だ。
ミハス (スペイン) は真っ白な街で、
オビドスは少し黄土っぽい、かな。

ロカ岬へは最終日に訪れた。
ユーラシア大陸の最西端。
感激がイマイチだったのは、
カメラの電池をホテルに置いてきたからか。一番肝心なときに!
リズボワの町並み ジャガランダが満開
ナザレの空は蒼く、海は碧く、山は緑濃く、
湾曲した白浜は清潔。.
白壁とオレンジの屋根。
店頭に積み重ねられたフィシャーマンセーターの素朴さ。
鰯の丸焼きの美味しさ。人の表情の柔らかさ。全て◎
帰国して、「ナザレがよかった!」 と母に伝えたら、
ひと言、「ナザレは夕陽がいいのよ」  嗚呼。
私はナザレの夕陽を見ていないから、
これはもう、再訪するしかない。
発見のモニュメント
広場に大理石の世界地図
日本発見は1541年
豊後に漂着の年
ベレンの塔
テージュ河口 リズボワの玄関
ガイドブックに載っていたワインショップを探し当てた。
空港の売店もそうだが、陳列棚の大半はポートばかり。
吾が町の、ワイン会のメンバーはほとんどがポート党。
そんな中でマディラ党を自認し、孤塁を守ってきた私には哀しい現実。
しかし、マディラ島で苛酷な生産現場を見てきた私は、
市場原理、それはそれとして、
「弱きマディラよ、我、援軍たらん」 と肩入れに、一層力が入るのです。
A地点からB地点の高度差を一気に解消してくれるケーブルカー。
3路線のうち2路線で体験乗車を試みた。
うち1路線は、乗務員が巻き上げ機の調整に、地下に潜ったまま出てこない。
時刻表もないのんびりさ加減は、日本人にはとても我慢できない。
ところが、あてもなく発車を待っている日本人夫婦が居るではないか。
日本人も辛抱強く、悠長になったものだ。
きっと、どこかのHPで、旅行記になっていることだろう。
リズボワのケーブルカー。 運賃は安い。 距離は短い。 時間はズボラ。
でも、満足。
ポルトガル ・ マディラ島の休日9日間 JTB
旅程 宿泊地
2001 05 29  下関 → 福岡 → 羽田 上野
30  上野 → 成田 → フランクフルト → リズボワ (リスボン) リズボワ
31  リズボワ → フンシャル (マディラ島) 市内観光 フンシャル
06 01  島内一周観光 フンシャル
02  フンシャル近郊観光 フンシャル
03  フンシャル → リズボワ  リズボワ市内観光 リズボワ
04  バターリャ、 ナザレ、 オビドス観光 リズボワ
05  ロカ岬、 シントラ観光 リズボワ
07  リズボワ → フランクフルト →  機中
08  → 成田 → 羽田 → 福岡 →下関
マディラに平地はほとんど無い

Cabo da Roca
西経9度30分 北緯38度47分
ここに陸尽き
海始まる

「旅 / 折々の記」 は次のページで構成しています 
1993 オーストラリア周遊 (エアーズロック、シドニー)   赤い中央・ウルル GO
1998 スペイン周遊 (マドリッド、トレド、アンダルシア、バルセロナ) スペインの光と影  GO
2000 フランス周遊 (プロヴァンス、モンサンミッシェル、パリ)  モンサンミッシェル  GO
2001 ポルトガル周遊 (リスボン、ロカ岬、マディラ島)  大西洋の真珠・マディラ 
2002 フランス周遊 (リヨン、ブルゴーニュ、アルザス、シャンパーニュ、パリ)  フランス田園地帯  GO
2003 トルコ周遊 (イスタンブール、カッパドキア)   文明の十字路・トルコ GO

ファドレストラン
のチケット

白砂青松のナザレ
ジェロニモス修道院
2階回廊にて

ベレンの塔

LISBOA (LISBON)
FUNCHAL Madeira

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旅 折々の記 
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 シルクロード 風の旅
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旅 / 折々の記

ところで、ポルトガルに ナザレ?
4世紀にパレスチナのナザレから、ロマノという名の僧が
聖母マリアの像を持ってたどり着いたところから、
この地を ナザレ と呼ぶようになった、と伝えられている、 そうだ。
リズボワに再上陸してからは、
一般的なポルトガルツアーが繰り広げられた。
6月初頭。リズボワの街はジャがランダが満開.
紫色だから目立たないが、日本なら桜か。
一番いい季節らしい。

バターリャ、ナザレ、オビドス、と、
葡萄とも、ワインとも無縁の観光旅行が続いた。
リズボワから
     ナザレまで

最後に行った店では、客の出入りで扉が開閉するたびに、表で焼いている鰯の煙が入ってきた
そうだ ここはレストランだ!  鰯の塩焼きが食えるんだ!
ナザレの鰯は旨かったけど、ファドを聴きながら食べる鰯はどうだろう
リズボワでの心残り
新市街の大通りからケーブルカーで登ったところがバイロ・アルトの丘。
ダラダラと下れば人影もまばらなすすけた街。
港町、坂の道、薄暗い路地裏‥‥‥とくれば、郷愁、困窮、宿命をテーマとする
ファドの舞台としての条件を120%満たすではないか。
ポルトガル本土を観光する前に大西洋の孤島(諸島?)マディラで3日間を過ごした。
あの小さい島に3日間も居たのは、日本人のツアーとしては長期滞在の感覚だが、
ヨーロッパ人には、余程せっかちな短期滞在に思えるらしい。
大型客船で来ていた人たちは1週間の滞在とかで、
「あなたたち、3日間でなにができるの?」 と言われた仲間が居る。嗚呼。
私にとって、マディラでの3日間は長く思えて、
2日目の夕食には、作務衣を着るほどゆとりがあったのに!  文化の違いだ。
「大西洋の真珠」 と称えられる マデイラ島は、夢には描いていても、行けっこない 「聖地 ・ 幻の島」 だった。
感覚から言えば、地の果てまで来た!それに加えて、ポルトガル本土の旅。
聖地巡礼と観光旅行のドッキング。 一番嬉しい旅のパターンだ。
碧い海、蒼い空、
緑濃い斜面の白壁とオレンジの屋根、原色で咲き乱れる花、
人懐っこい島の人たち。
マディラワインよ。
島の薫りをいっぱいに含んで日本に来い

Journey

女はみんな黒を着て  浜で網をつくろう
寄せる波の荒さよ  晴れた空の眩しさよ
天までとどけ  ナザレの舟唄
天までとどけ  舟唄
波の中から  戻るあんたを
十年待つよ  わたしの心

(続けて)
‥‥‥焦げて匂う鰯よ
     赤い酒の美味しさよ‥‥‥
観光客として見て来た上っ面のナザレ
明るい印象とは裏腹に
ファドを意識した唄を見つけた

阿久 悠 作詞  「ナザレの舟唄」

門倉有希が唄っていて、私もカラオケで
「大西洋の真珠」と呼ばれるマディラ島。
リスボンから1000km、アフリカのモロッコから600km。
絶海の孤島である。
極東の地からユーラシア大陸を横断し、
さらに海を越えて、乗り継いだ飛行機は3機。
















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