チリ共和国
日次 旅程 内容 宿泊地
03 14 プエルト・ナタレス → プンタ・アレナス プンタ・アレナス市内観光 プンタ・アレナス
03 15 プンタ・アレナス → ウスアイア マゼラン海峡横断  フェゴ島縦断 ウスアイア
03 16 滞在 ビーグル水道クルーズ
ティエラ・デル・フェゴ国立公園
ウスアイア
03 17 ウスアイア → ブエノスアイレス 時差とエコノミー症候群との闘い 機中
03 18  → NYJFK 機中
03 19  → 成田 → 福岡 → 下関 自宅
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アルゼンチン共和国

ビーグル水道のエクレルール灯台
これを見る頃、未だ灯台ファンではなかった

余談ですが、
この新サイトは、旅行に出発する前にほとんど出来上がっていました。
全ページの見出し部分とそこかしこの配色は、私の好きな若草色を使っていましたが、
アルゼンチンワインの美味さと安さに、完全なアルゼンチンファンに変貌を遂げて帰国しました。

葡萄舎では、ワイン会開催日には玄関先に、フランス国旗を掲げていましたが、
これからは、アルゼンチン領 フェゴ島の旗が翻ります。

編集後記
パタゴニアに出かける前、ワイン仲間の釣り迷人 さんから 「しっかり、写真を撮っておいで」と注文がありました。
だからといって、私の劣悪な写真技術が手のひらを返したみたいに上達するわけもありません。
今、一番売れ筋の、カシオ EXILIM 5.0 を買って持参しました。 私にはおあつらえ向きのバカチョンでした。
でも、最大の味方は、パタゴニアの天候でした。 現地ガイドも驚く、雲一つない好天が続きました。 
行く先々で、「昨日は荒天だった」 と聞かされました。 天候が猫の目のように変わるパタゴニアでは、奇跡です。
絵葉書は、一枚も買いませんでした。
絵葉書に頼らず、この旅日記をまとめることができて、とても嬉しく思います。 天が与えてくれた恩恵に感謝します。
もちろん、多くの方々からいただいた 「 Bon voyage ! 」 への感謝も忘れていません。 ありがとうございます。
チリ国境 ロカ湖
アメリカンハイウェイ終点
ラパタイア湾
ホテルで 最後の朝
ウスアイアは、「世界の果て」 のオンパレードだ。
博物館は 「世界の果て博物館」。 国立公園を走る観光の蒸気機関車は 「世界の果て号」。
アルゼンチンの国道3号線はアメリカン・ハイウェイをかねるが、
ラパタイア湾の終点に立てられた看板には、
ブエノスアイレスから3063km アラスカから 17848km と書かれている。
パタゴニアが、フェゴ島が、世界の果てだといっても、誰も否定しないだろう。
思えば遠くに来たもんだ。

こんな旅は、もうないだろう。 
マゼラン海峡を渡った。もう、いい。

と思いながら家にたどり着いたら、机の上に、某旅行社のパンフレットが‥‥‥‥。
「世界の果て号」 駅舎
「世界の果て号」 終点
巨大 ビーバーダム
Fin del Mondo
海峡、水道は、横断するよりも、起点から終点 (どちらが起点?) まで縦断して、
初めて醍醐味が味わえると思う。
しかし700km 近いマゼラン海峡では到底無理だし、320km のビーグル水道でも無理だ。
どちらも時代から取り残されてしまったが、ビーグル水道のほうが、こじんまりしていて良い。
関門海峡のように、狭小の海峡とは比べるべくもないが、対岸が見えるほうがいい。
ビーグル水道では、オタリオ (アシカの一種) やウミウが繁殖する岩礁もあるし、
観光ポイントとなるエクレルール灯台もあって、私のようなミーハーにはふさわしい。
遊覧船のアナウンスは英語とスペイン語だが、なんと、日本語の案内もあった。
○藤女史がマイクを握ったのだった。 外国語が話せるということは強みだ。
ウスアイアにもカニ缶は乏しかった。
小高い丘の上のレストランでカニ料理を食べた。
このころになって、私の風邪は小康状態になり、代わりにFUJI さんがおかしくなった。
風邪も天下の回り物だけど、多少責任を感じて、残りの鼻炎カプセルを差し上げた。
私としては、昼間からワインを飲める体調を取り戻したので、ワイン選びが始まった。
私がカニにあわせたのは、シラーから造ったロゼ。
私としては、茹でたカニの色とロゼを合わせただけだが、これが美味かった。
○藤女史が絶賛して、すでに 「ノムリエ」 としての地位を築いていた私の権威は絶大となった。
大乗りの ○藤女史は自腹を切って、みんなにロゼを振舞った。 私が注文したロゼも、彼女のおごり。
ワインって、いいなァ。
Canal Beagle
アラスカを北端とする、パン・アメリカン・ハイウェイ はフェゴ島を南端とする。
フェゴ島区間のほとんどは簡易の舗装をしているのだが、
ウスアイアに近い 100km が未舗装で、対向車は少ないからいいが、
先行車がいようものなら大変な土煙。 
広漠たる土地だから道幅はそこそこだが、これには参った。パタゴニアを実感できるけど。
Ushuaia
耐えて、しのんで、小一時間。 風向きが変わる根拠は何もないけど、OKが出た。
つまるところ、アルゼンチンの権威を楯に、「チリ人いじめ」 をした、みたい。
泣く子と、地頭と、入国審査官には勝てない。
本来の私なら、これを契機にアルゼンチン嫌いが頭をもたげるところだが、そうならなかったのは、
それほどまでにアルゼンチンのワインが安くて美味かったから? そうとしか考えられない。
地球最南端の街
03/16
フェゴ島は、島の中ほどを国境が走っている。アルゼンチンとチリが島を二分している。 
当然、国境を越えるには検問所を通過しなければならない。
ここで再度、バス、運転手、ガイドが交代。
しかし、アルゼンチン側の検問所が通過させてくれない。 言い分は、と聞けば、
「プンタ・アレーナスからウスアイアに入るのに、何故、バス、運転手、ガイドが交代するのか?
今まで、そんな例はない」
「そりゃ、こっちの勝手でしょ」 と言いたいけれど、機嫌を損ねたら、永遠に通過できない。

フェゴ島に渡って、南端の ウスアイア (ウシュアイアは英語読み) までフェゴ島を縦断するのだが、
ちょいと骨の折れる行程だ。
島の大きさは九州より一回り大きい! 人口はゼロ (暴言)。
だってそうでしょう。 九州に5万人や10万人住んでいても、ゼロに近いでしょう。
それが何より証拠には、60〜80km 走って、すれ違ったのは自動車1台、自転車 (旅行者) 2台!
そういえば、ドバイに行ったとき。
あそこは、ペルシャ湾の海水だが、口に含んで、
「やっぱり、石油のにおいがする」 と同行者に話したら、
誰も疑わずに頷いていたが、もしかしたら、私がからかわれていたのだろうか?
フェリー出航後の港
とても演歌の風景じゃない
操舵室に入れてもらった
ポルベニール港
(フェゴ島)
マゼラン海峡は、夢に描いた、「未だ見ぬ恋人」 だった。
「未だ見ぬ恋人」 は、夢のままで終わったほうがいいときもある。
マゼラン海峡の南にフェゴ島があり、更にその南にビーグル水道があるのだが、
この ビーグル水道は、いい。 後程。
簡易桟橋のおかげで、波打ち際まで歩いていける。
手ですくって口に含んだ。 旅先に海があれば、私が必ずする儀式だ。
FUJI さんが言った。 「太平洋と大西洋、どっちの水が多かった?」
「半分半分でした」
マゼラン海峡の地理的立場から、どちらにも顔を立てた表現のつもりだったが
あまり、気の利いた科白じゃない。 これからは問答を想定しておこう。
「マゼラン海峡」 は英語読みで
スペイン語では
「マガリャネス海峡」 といいます
Estrecho de Magallanes
フェリーは、30km の距離を2時間かけて横断するのだから、時速 15km !?
悠長なお国柄、国民性なのだろう。
プンタ・アレーナスも素っ気ない港だが、対岸のポルベニールも何もない港だった。
それはそれとして、バスはマゼラン海峡を横断するフェリーの船着場に来ている。
桟橋は、ない。
潮の干満に対応できるよう、海中に伸びるコンクリートの坂道がある。
その先に、フェリー (一日1往復) が積載車両の開口部を開けてだらしなく浮いている。
曇り空とあいまって、なんとも寒々しい、みすぼらしい風景だ。
が、私が描いたイメージには合っている。
Est. de Magallanes
関門海峡の街に住んで30年近く。 海峡、海峡の街への関心が高まる。
関心の最たるものは、ボスポラス海峡だった。
訪問を果たしてから、必然的に次のターゲットはマゼラン海峡だった。
家人には内緒だが、3年先にはジブラルタル海峡か、ドーバー海峡を‥‥。
緊張しまくって、入った。 士官の NO.3 が私に付き添った。 軍事機密などなさそうなのに。
帆船好きの私はチリ海軍の練習帆船・エスメラルダを知っていたから、その話をしたら、
士官 NO.3 は、大いに喜んだ。 朽ち果てた桟橋を指差して、あれこれ説明してくれたが、
よくわからない。日・チ友好にはなったろう。

プンタ・アレーナスナスでは、海峡の大富豪の邸宅を改装した ブラウン・メネンデス博物館と
往時の生活をしのばせる パタゴニア博物館を見学。
宿泊ホテルはその名も ホーン岬 ( Cabo de Hornos )。 町の中心マルマス広場に面している。
その広場から、まっすぐ海に向かって歩いたら、太い鎖で閉ざされた施設 (燃料置き場?)があった。
覗いたら、海軍の水兵が出てきた。 「あい・うぉんと・るっきんぐ・ざ・しー」 みたいな事を言った。
水兵さんが取り次いでくれたら、上官、副官、更にその下 (らしい) 3人が出てきて、
善良そうな私を確認した上で、顔を海の方向に捻じ曲げて、「入れ」 の合図。
マゼラン海峡横断
03/15
私の思惑通りに、海峡の街 プンタ・アレーナスには分厚い雲が垂れこめている。
海は鉛色だ。
パタゴニアでは、風のうちに入らないだろうが、風もある。
なのに、写真が撮れない。
ペンギン営巣地でカメラが雨にぬれ、水気をふき取ろうとして誤操作したらしい。
昨晩、フル充電していたのに電池切れ!
私の人生、こんなものだ。 肝心要のここに来て!  嗚呼。
夢でも幻でもなく、いま、私の眼前にプンタ・アレーナスの街並がひろがっている。
街の向こうには、憧憬のマゼラン海峡が横たわっている。 30km 先のフェゴ島は雲の中。
展望台の近くに、世界の主な町を指し示した方向板を打ち付けた柱が2本立っている。
TOKYO の文字板もある。
地理学的には、プンタ・アレーナスで東京を指し示す場合、矢印は地面を指さなければならないのに
まぁ、愛嬌だろう。
ホテルの名は ホーン岬
マゼラン像
マルマス広場 界隈
ホテルからマルマス広場
猫の目のように、めまぐるしく替わった 旧サイトの表紙で
この、プンタ・アレーナスの 「現在の時刻と気温」 は
実に長い間、表紙を飾り続けた。
パタゴニアへの、マゼラン海峡への、私のたぎる想いの象徴だった。

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南緯53度は初冬?
営巣地は草むら
巣立つ、しんがりのグループらしい
プエルト・ナタレスからプンタ・アレナスに向かう途中に、
マゼランペンギンの営巣地 (コロニー) があって立ち寄ることになっている。
単調な景色の中をバスはひた走るのだが、天候は折りよく氷雨になってきた。
添乗員の ○藤女史から言われて持参した雨合羽が活躍する。
結果的には、この雨に泣かされるのだが‥‥。
高台からビーグル水道
ウスアイア全景
エクレルール灯台
ロボス島
ウスアイアの街
ロシア船 南極遊覧?
記念撮影用看板
南極カニのレストラン
チリのプエルト・ナタレスに着くころから、同行者の話題に 南極カニ (セントージャ) が上り始めた。
全員で買出しに出かけたが、カニ缶は数えるほどしかなかった。
プンタ・アレーナスでも買出しに出かけた。5缶しかなかった。私が4缶を引き取った。
プンタ・アレーナスのお店での話では、われわれよりも先に韓国人ツアーが訪れて、
ありったけを買い占めた、らしい。
昔、日本人がやったことを、いま、韓国人がしているのだろうか。 かの国にはパワーがあるから。
艱難辛苦、疲れきってウスアイアにたどり着いたのは夜だった。
街に入るには、アンデス山脈の末端部分を横切らなければならない。
峠の標高は 400m しかないが、南緯55度の 400m を見くびってはいけない。
翌朝知ったのだが、周囲の 1500m の山々は雪を頂いている。
1000km 南は南極なのだから。
マゼラン海峡の街
2005/03/14
ロス・グラシアレス国立公園 (ペリト・モレノ氷河) 、パイネ国立公園は
ともに快晴に恵まれた。
これから行くのはプンタ・アレナス。そしてマゼラン海峡。
私には勝手な期待があった。
マゼランが苦労して切り開いた海路。
彼の名を冠する海峡には、鉛色の空が似つかわしい。多少の荒天はいとわない。
そこに住んでいる人々のことは考えず、旅人はいい加減なものだ。
Punta Arenas
パタゴニア 旅日記 後編
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