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この、切り替えの速さは我ながら感心する。
そして、そうは言いながら、執着を捨てきれない自分にも感心する。
ブエノスアイレスのホテルのロビーには、泊り客が自由に使えるPCがあった!
空くのを待って、座った。なんてボロなんだ。マウスも言うことを聞かない。
画面のどこにも、見慣れたインターネットのショートカットがない。
フロントの女性に言った。「いんたーねっと。とぅー・じゃぽん。ぷりーず。」 窮すれば通ず。
異国の地、それも地球の裏側から開く自分のHP.。 興奮に手が震えた。萎えた。
文字サイズの変更なんてできっこないから、間延びしたままの自分のHPだけど、
なんとも不思議な思いで見つめた。
掲示板を覗いたら、なにやら険悪な雰囲気。 時間がないから斜め読みで事情を飲み込んで、
書き込みを、と思って、改めて気がついた。
日本語で打てない!!!!!
いつもはローマ字入力しているくせに、いざとなったら、これが大変。
打ち間違っても、 Back Spase のキーが、無い! 得がたい経験をした。


独立記念のオベリスク
風の大地 へ
03/10
前の晩、はしご酒の痛飲をして、大まかな荷造りをして寝た。

朝、ベッドの脇に、添乗員の ○藤女史が立っている。
一瞬、事情が飲み込めなかった。
やっとの思いで状況を判断して、それからは大変。
スーツケースのファスナーを閉めて、後は何がなんだか記憶に無い。
出発前夜
2005/03/07
パタゴニア旅日記のトップを飾るのが 「雷門」 だから、世の中楽しい。

この日、母が留守番、家内が新下関駅まで送ってくれて、
11時に福岡空港JTBデスクで航空券を受け取り、
卒業まじかの一人息子と空港内のレストランで昼食。
パタゴニア 旅日記 前編
3月のパタゴニアはもう秋
マゼランペンギンたちはコロニーを巣立っていて
最後に残った一群と対面できた
旅行の期間中、期待通りの好天に恵まれました 氷河の源となる山並みがくっきりと見えるのは、年間数日だそうです
PATAGONIA
日次 旅程 内容 宿泊地
03 07
福岡  →  羽田 → 上野 ラカーザさん、風来坊さんと
03 08 上野 → 成田  →  NYJF 時差とエコノミー症候群との闘い 機中
03 09 NYJFK → ブエノスアイレ ブエノスアイレス市内観光
アルゼンチンタンゴ ディナーショー
ブエノスアイレス
03 10 ブエノスアイレス → カラファテ 羊牧場 カラファテ
カラファテ ( El Calafate ) は、
アルゼンチン最大の湖であるアルヘンティーノ湖 ( Lago Argentino )
に面した小さい街だ。
「地球の歩き方」 には人口4000人とあるが、ガイドさんの案内では
8000人とも、1.2万人とも言う。
観光シーズンの夏季と、風雪に息を潜めるだけの冬季とでは
このくらいの人口差は当然かも知れない。
街の北15分も歩けば、水鳥の楽園・ニメス湖 ( Laguna Nimes ) がある。
朝のほうが鳥が多いと聞いて、早朝7時に出かけたが、
管理事務所も、門扉も閉じられていて入れなかった。
アルヘンティーノ湖の天気予報は、こちら で確認できます
カラファテの中心
両側に商店が並ぶが
道が広すぎる
複合商業施設
Hotel Quijote
駝鳥の一種 ニャンドゥ
羽は退化して飛べないが
走るのは早い
夏の終わり、この時期に牧舎近くにいるのは
牧羊犬のショーに付き合わされる羊だけ
羊の毛刈りショー
羊の丸焼き
午後の自由行動は時間を短縮して、羊の牧場へ。
カラファテの地名の由来となったカラファテの樹を見ながら、牧場散策。
牧場散策とは言っても、強風はおさまっていないから、牧場を覆う黒い小さい砂が髪の毛に絡みつき
耳朶にたまるすさまじさ。
その量の多さを、バスタブのお湯を抜いた後の浴槽にたまった砂で確認した。
荒涼たる原野では帽子は必需品だ。
これが、パタゴニアの風なんだ。
物凄い、手荒な歓迎じゃないか。 風の大地、パタゴニアに足を踏み下ろしたとたんの洗礼。
旅行者 (気取って言えば 異邦人?) の期待を裏切らないように自然が仕組む演出。やるじゃん。
空港の待合室にたどり着いたみんなが、異口同音に 「驚いたねぇ、参ったねぇ」といいながら、
なぜか嬉々としている姿が印象的な光景だった。
El Calafate
遅刻した私に対する、メンバーの皆さんの冷たい視線はあったと思うが、
それに気づかないまま (身勝手!)、飛行機は快調に飛んで、昼過ぎにはカラファテに着いた。
いよいよ、パタゴニアだ。正確には南部パタゴニア。 南緯50度の街だ。
空港について、前に進もうと思ったがみんな後ろを向いている。
そのうち、後方下部の階段が開いた。私の席は後方だったから好都合だ。
階段をとんとんと下りて、外気にさらされたとき、ブッタマゲタ。
25m はゆうに超える風が情け容赦なく吹き付ける。 不意を衝かれて、眼鏡が飛びそうになった。
私の、目立つスーツケースが数m 転がった、と ○藤女史から聞かされた。
おそらく、数十秒で身づくろいをしたのだろう。
メンバーの皆さんにも謝ったのだろう。おそらく。
後で気づいたのだが、電気かみそりやブラシ、スーツケースのベルト、
その他いくつかの旅行用品を忘れてきていた。
旅行に出る前、家人からくれぐれも注意されていた。 飲みすぎるな、と。 
また、信用を失ってしまった。
今回の旅に出かけるにあたって、私には魂胆があった。
それは、旅先から私のHPの掲示板に書き込みをして、家人や、ワイン仲間に連絡を取ること。
俗世間を逃れる旅先で、何も連絡を取り合う必要もなかろうが、
試みとしては面白かろう、と思ったから。
すかさず、ワイン仲間のサトカレさんから書き込みがあった。
「スペイン語のキーボードに触れるのも面白いですね」
ハタと気づいた。 そうなんだ。日本のキーボードと違うんだ。じゃ、ダメだ。あきらめよう。
カミニートの一角
ラプラタ川の対岸は見えない
タンゴの評判店
夕食はアルゼンチンタンゴショーの評判店・セニョール・タンゴ。
ところが、2晩連続の機中泊に疲れきった私は、途中で居眠り → 爆睡へ。
多彩なショーの記憶がありません。
ホテルに帰りついたら、今度はやたら目がさえて、一人夜の街へ。
ピザハウスで飲んで、飲んで、少し食べて、食べ残しを包んでもらって、別のホテルのバーへ。
ここで、アルゼンチンワインと劇的な対面をしたのであります。
飲み残した半分は持ち帰り、お土産用に1本を買い求め‥‥。
ホテルのバーでの1本は、以後の私のアルゼンチンでの飲み方を決定付け、
それは、帰国してからの私のワインライフをも決定付けることと相成る次第です。
この項につきましては、「 ワイン賛歌・夜毎のワイン 33°」 をご覧ください。 
かってアルゼンチン随一の港・ボカに、港としての昔日の面影はない。
母を訪ねて3千里、少年がたどり着いた港も、
男たちを相手に官能的なタンゴのステップを踏んだ安酒場やバーも。 それに代わって、
ラプラタ川に程近い一角にカミニートがあった。原色の塗装は、船に使った塗料の残りだった、とか。
成る程、それならオンフルールの港町の塗装もうなづける。
7月9日大通り
と オベリスク
世界3大劇場のひとつ
コロン劇場
5月広場を取り巻く
建築群 カビルド
ベルグラーノ将軍像
国旗の草案者
私が、パタゴニアへの旅で、11月出発にこだわったのは、ブエノスアイレスの町を満開で埋め尽くすという
ジャカランダを見るためだった。
5月のリズボワ (リスボン) で、満開のジャカランダを見て、そのすばらしさに魅了されていたから。
3月のブエノスアイレスは、ピンクの花で私を迎えてくれた。
名前が私にふさわしいじゃないか! その名も、酔っ払いの樹 ( Paco Borracho )
Buenos Aires
ブエノスーアイレスは 「きれいな空気」 の意味だ。
そりゃ、空港に降り立ったとたんの雲ひとつない青空だから、それもうなづける。
前日は荒天だったらしいけど。
迎えてくれた青空のせいでもあろうが、二晩の機中泊なのに疲労を感じないのは
座席ががらがらで、4人分を独占できた快適さも手伝っているのだろうか。
飛ばなかったのですよ。定刻には。
1時間半ばかり遅れて搭乗。 ホッとしたけど、動かない。動いたと思ったら変なところで停止。
見ると、係員が翼の上に立っている。 翼の凍結を洗い落とすのに1時間余。
結局、NYJFK に11時間滞在しました!

ブエノスアイレス 快晴
03/09
3時間の遅れを2時間半に短縮して、ブエノスアイレス到着。
アルゼンチンの国民は、アルゼンチン航空のパイロットは着陸が上手い、
と信じ込んでいるらしい。
着陸を確認すると、全てのアルゼンチン人乗客は拍手の嵐。
アルゼンチン人は案に相違して、スペイン系よりも、イタリア系のほうが多いらしい。
いずれにしても、ラテン系のなせる業か。 陽気でいい。
NYJFK には10時半に到着。
入国審査の厄介なこと!指紋をとるは、顔写真を撮るは。
それらを済ませれば、次はもっと厄介。これから8時間、どうやって時間をすごす?
アルゼンチン航空のカウンターがあるターミナルに移動したけど、
当然のことながら、だ〜れもいない。
かといって、短時間でも市内に出かけようという旅の達人もいない。
付和雷同、金魚のフン組の私は、寒々しいロビーに座り込むだけ。
トイレはスケスケで、監獄のトイレ (はこうだだと思い込んでる) みたいなところに入っても、
落ち着かないことこの上なくて、出るものも出やしない。
New York
タバコを吸いに外に出たら、バス停みたいな喫煙コーナーがあった。
風除けはあっても、役に立たないほど風が強い。風の大地に行く前に風のNYだ!
すると、雪が混じってきた。
暇だから外を見ていると、見る見る雪が降り積もる。しかも、降り止まない。
誰言うともなく、「飛行機は飛ぶの?」
雪の NYJFK
03/08

成田集合は10時。9時半にスーツケースを受け取って団体カウンターへ。
すでに男性二人が受付をしていた。麒麟さんと FUJI さん。
この二人とは、最後まで食事のたびにワインを飲むことになる。
受付を済ませれば、いつものことながら、上の階のカウンターバーへ直行。
しばらく飲めないアサヒの黒生とスーパードライを。
しかし、誰がなんと言おうと、海外旅行なら飛行機はJALかANAしかない、と思う。
乗務員は若くて、きれいで、まじめで、丁寧で、親切。唯一の難点は原則に忠実?
言葉の壁がないことを加味すれば、原則に忠実は許せる。
「機上では、酔いの回るのが地上の何倍も早ようございますから」 てなことを言いながら
ボルドーの赤白 (可もなし不可もなし) を何度も運んでくれる。
そういえば、レミーのブランデーも何度も運んでくれた。
2時半に上野駅前の定宿にチェックイン後、円→$に両替を試みる。
上野駅前の紀陽銀行では、愛想も悪く 「両替をしていません」 と断られ、
近くの東日本銀行へ。銀行には珍しい中年女性の行員が対応してくれた。
$100単位で$20〜$1がセットになっている。
$50が入ったセットもある。 東京って、便利なところだ。
優しい行員の対応は、ことのほか田舎者には嬉しい。
次回からも、成田出発のときはスカイライナーが便利だから、
上野駅前のツーリストホテルに宿を取って、東日本銀行で両替をしよう、と決める。
東京に5年、近くに4年もいながら、西郷隆盛の銅像を見たことがないから、
上野の森に出かける。ついでにパンダを見ようと、動物園に出かけたら、月曜日は休園?
動物の臭いだけを嗅いで引き返す。不忍池畔を歩いたのも初めて。
時間があるから、昔懐かしい飯田橋から市ヶ谷まで外濠公園を歩く。
ラカーザさん、風来坊さんとの待ち合わせは、雷門の下で6時半。
Tokyo
奇特なお二人が、酔人のパタゴニア行きの壮行会をしてくださった。
ネットがなければ、このお二人を知らないまま人生を終えていただろうから、
改めて、ネットの威力に感じ入ってしまう。
温和なお二人の笑顔に、美味いフレンチ、美味いワイン。これ以上、何を求める?
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