聖地巡礼

B ピエモンテ、トスカーナ

@ ブルゴーニュ
A ボルドー

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Castello Banfi 地下貯蔵庫

アルバの朝は濃い霧に包まれて迎えた。
ネッビオーロは霧(ネッビア)が発生するこの時期に完熟する。
最初に訪れたのはガイヤの蔵。
アンジェロは多忙な男で、
この日は急にトスカーナに出かけていて不在。
有坂女史へは「Very sorry 」のメモが残されていたが、
夕食のレストランには律儀に挨拶に来た。
山羊の丸焼きを手土産に。
イタリアワイン界最大のスターは笑顔が似合って気さくだった。
有坂女史の前だから?

アンジェロは父祖伝来のネッビオーロを引き抜き、カベルネを植えた。
父親が 「ダルマージ!(なんてこった)」 と叫んだ野は有名な話。
彼はその叫び声を畑の名にした。
Lange Darmage  その畑のワインは
彼のデビュー作となり, Gaja の名を不動のものとした。
このスプマンテがあれば シャンパーニュは要らない ?
醸造責任者 バッランティ 氏
移民としてアメリカに渡り、成功して財を成し、
故郷のイタリアでワインを作っているのが
カステッロ・バンフィ。
ここの蔵はいい (わたしには) 。
案内してくれたのが日本人スタッフの宮島氏!
通訳を介さなくてすむって、こんなにいいことなのか。
今回の訪問で、葡萄畑を案内してくれたのは
バンフィ だけだった。
風が吹く丘の ポッジョ・アローロ 。
ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ・ポッジョ・アローロ は
単一品種、単一畑のワインである。
1988〜1999 までの6種を垂直試飲させてくれた。
イタリアの 「顔」
バローロでは、私のVT、1947年が20世紀最高の収穫年らしい。
私も良い年に生まれたものだ。 
伝統的な造り方を踏襲するボルゴーニョの蔵に
1947年が残っているという。
一も二もなく「欲しい」と頼んだら1本だけ売ってくれた。
持ち帰って、02年6月18日が私の生誕2万日目だったので、
ワイン会でみんなと飲んだ。
因みに、ボルゴーニョはその名の紛らわしさから、
ブルゴーニュからクレームがついたらしい。フランス人らしい。.
古い書簡を提示して、ボルゴーニョ家の古い歴史を証明して
この騒ぎは一件落着。
行程 訪問場所
2001 10 22  バルバレスコ〜バローロ  Angelo Gaja,  Giacomo Borgogno
23  Bruno Giacosa
24  アスティ  Braida di Giacomo Bologna
25  トスカーナ 畑と蔵  Castello Banfi,  Biondi-Santi
26 畑と蔵  Badia a Coltibuono,  Castello di Ama
ダルマージの畑
試飲室から覗ける
アンジェロ・ガイア氏と
2日目は、
「NEIVEの巨人」 と称される、ブルーノ・ジャコーザを訪問した。
バローロ、バルバレスコの造り手として定評のある蔵だから、
何を見ても、何を聞いても驚くに値しない。
ワイナリーの裏手に廻ると、
立方体に圧縮された葡萄の絞り糟が、置いてあった。
グラッパの造り手が引き取りに来るのを待っているのだそうだ。
その絞り糟は、さらにバルサミコ酢の業者に引き取られるらしい。
葡萄の健気さに感激した。
ところで、
B・ジャコーザがピノ・ネロ100%で造るスプマンテには感動した。
以来、私のワイン会での定番となっている。
ジャコーザはバローロの大御所だから、当然、
彼のワインは高い評価を得ているが、価格も評価に比例して高い。
その点、彼のスプマンテはお買い得だ。
動瓶 (ルミュアージュ) は全て手作業で行っている。
早い話が、機械を導入するほどの生産量ではない、ということ。
浮かび上がるといえば、
コルティブォーノが嬉しい。
緑濃い山の中腹の、
中世の修道院を買い取った建物も印象的だが、
案内してくれた
当主の ストゥッキ家のお嬢さんが魅力的だった。
このあたりから、「聖地巡礼」 がおかしくなった。
しかし、ラベルの向こうに
お嬢さんの顔が浮かび上がる、ってイイジャナイ?
実物は、写真よりもはるかに素敵だったのだから!
ビオンディ・サンティ氏と
トスカーナの造り手たち
地上2階のワイン貯蔵庫
スプマンテの地下貯蔵庫
「聖地巡礼 ・ 北イタリア」 で、
私が一番待ち焦がれていたのは3日目の朝だ。
イタリアワインに留まらず、
全てのワインの中でもっとも大事にしているワインは
Barbera の Barbera d'Asti Bricco dell Uccellone だったから。
ワインを飲み始めて、レストランで注文した最初のワインだ.
だから、ブライダ訪問は初恋の人に会いに行く気分だった。
3日目に、ブライダを訪ねたときは感激した。
人生で、まさか、ブライダの蔵を訪問できるとは!

ブライダの蔵で特筆すべきはワインの貯蔵庫だろう。
フランスでもイタリアでも、貯蔵庫は全て地下にある。
ところが、
ブライダの貯蔵庫は地上2階にある。
蔵があるロケッタ・ターナロ村は低地で、
時として、河川の氾濫に見舞われるから、その対策らしい。
その分、温度管理と遮光には相当気を使うことだろう。
気温は17度、湿度は75%に設定している。

ブライダを訪問したことで、
今回の聖地巡礼は、目的の半分を達成したことになる。
B. ジャコーザ氏を囲んで
2代目 ラッファエッラさんと
トスカーナでは
バンフィ、ビオンディ・サンティ、コルティヴォーノ
そしてアマを訪れたが、
行く先々でその蔵の代表者が応対してくれた。
そして、
快く握手にも記念写真にも応じてくれたこのツアー。
有坂女史の偉大さ、凄さを再認識した旅だった。

バスを降りて、ビオンディ・サンティの蔵までは
糸杉の並木道が長く続く。
ボトルのラベルを眺めていると、
親爺さんの顔と、杉並木が浮かび上がる。
10年 永すぎた春









ポッジョ・アローロ の畑で
最後の訪問は カステッロ・ディ・アマ。
キャンティ・クラッシッコの代表的な造り手だが、
トスカーナに、最初にメルロを持ち込むなど、
革新的な造り手でもある。
在来の樹にシャルドネも接木している。
そのことよりも、
日本に帰ってから知った、アマが造るロゼ。
こんな美味いロゼを私は知らない。
このロゼを知ってから、私はアマ一本槍となった。
それまで好きだったタヴェル・ロゼ、ゴメンナサイ。
ストゥッキ家の当主とお嬢さん
1947 バローロを手に
ボルゴーニョの兄貴と
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