未だ、陽が沈まない9月の夕刻

C・.ドゴール空港で乗り換えた国内線で
私の席は右後方の窓側
高度を下げて右旋回をはじめた窓の外には
地図で見慣れて
そらんじてしまった地形が飛び込んできた

川が流れている
川面は西陽に照り映えて眩しい
そう、ガロンヌとドルドーニュの合流点だ、間違いない!
細長い中州が、5つ、6つ、7つ
あの中州の向こうはマルゴーだ
すると、サン・ジュリアンは、 ポイヤックは

偉大なワインの母なる大地
憧憬の聖地・ボルドー
いま、その上空にいる
ついに来た

聖地巡礼


この写真、どこでしょう? 正解者には Ch. Margaux 1本! (冗談です)

パリからボルドーに飛ぶ時、 「ボルドーに着いた」 と実感する地形的な目印は
ガロンヌ川とドルドーニュ川の合流地点です。
それを決定付けるのは、合流点にある7つの中洲です。
マルゴー村から一番近くて、一番小さい中州だけがマルゴー村に属し、他は対岸のブライに属します。
写真の中央は Ch. Margaux です。 
写真の上部に横たわっている中州は、かっては Ch. Margaux が所領していました。
中州では、昔も今も葡萄が栽培されています。
その中洲のワインは、日本でも買って飲むことができます。
Ch. Margaux を1本買うなら、中洲のワインは20本買えます。
どちらを選ぶかは、その人の飲み方次第ですから、
この設問に正解はありません。









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完熟のメルロ (PETRUS にて
マルゴーの 中洲の物語 (予告)
アンリ・ブルジョワ が醸し出すサンセールの個性は
希望小売価格4000円の La Bourgeoise で十分堪能できるが、
私は、その上のクラス Sancerre Jadis を推したい
Sancerre Jadis
Jadis の意味は 「昔ながらの」
品種は、ソーヴィニョン・ロゼ。
アンリ・ブルジョワの畑では樹齢60〜70年の老木だ。新植はしない、という。
新植しても、INAO がサンセールとして認めないからだ、と。
老木の衰えとともに、いつかは消え去る宿命のワイン。
滅びの美学、だ。
畑がある Chavignol は
サンセールと谷を隔てています
おまけ サンセール
ボルドーでのシャトー訪問を終えて、翌日はコニャックのヘネシー社へ
ボルドーで、ムートンのような巨大ワイン産業を見てきた後だけど
コニャックメーカーの雄、ともなれば、スケールは桁違い。
夜はシャトーホテル・ダルティニー
ここでまた、フランス文化の極致に触れて
そのまた翌日はパリ
パリに向かう途中、行きがけの駄賃で、サンセールに立ち寄った

サンセールで
以降の私のワインライフを決定付ける、造り手とワインに巡り逢った。
HENRI BOURGEOIS (アンリ・ブルジョワ)
メルロ を積んだ
トラックが到着
97年は好天で、3週間早い摘果らしい。
ラトゥールでは集荷第1便のトラックがメルローを満載して到着するのに居合わせた。
間髪をいれず破砕機が回る。
天下のラトゥールの破砕機がこの年初めて稼動する瞬間を見た。得がたい経験。
Chateau Giscours
ラトゥールから見た
ピション・ロングビルの2つのシャトー
(左) 伯爵夫人 Comtesse de Lalande
(右) 男爵 Baron
Chateau Palmer
格付け以上の評価を受ける パルメ
屋根に翻る3本の国旗のうち
イギリス国旗は半期になっていた
訪れたときはダイアナ妃が亡くなって1週間後だった
Chateau Mouton Rothschild
VIN SUR VIN とは深い関わりのP.ツーストラップ氏の案内でドルドーニュ川右岸を訪れた。
次代のシンデレラワインとして、ロー・ヴァランタンとボー・ソレイユを紹介された。
氏の予言は 「この二つの蔵は05年には時代の寵児となる」 だった。
Chateau Petrus
Chateau d'Yquem
ラトゥール にて
絶好の角度だと思って
シャッターを押したら
ラトゥールの公式パンフにも
似たような写真が載っていた
誰が考えるのも同じ、ってことか
Chateau Rol Valentin
P. ツーストラップ氏 (ピンクのシャツ) と
なにやら話す、ロー・ヴァランタンの当主
フランス語は(も)わからないけど、
一応二人の間に顔を覗かせてみた
Chateau Beau Soleil
言っちゃあ悪いが、シャトーなんてものではない
ボルドーでは、掘っ立て小屋の範疇
でも、
ワインは建物が造りはしない
ワインの良し悪しを決める基本は
「造り手の思想」 だ
当主の ミシェル・アルコート氏 (右の写真で右の人) は
Ch.クリネをポムロールのトップシャトーに押し上げた男
ダンディで、情熱的で、いい男だった
その手腕が期待されていたけど
ポムロールで会った2年後に海難事故で亡くなった 合掌
その他のシャトーたち ボルドー あちこち
間髪をいれず
荷台のメルロは破砕機へ
時期を外したら
出荷されるワインの
ラベル貼りは手作業らしい
「聖地巡礼 ・ ボルドー」 では、シュバル・ブラン の建物の100mほど離れたところを通り過ぎた。
オーゾンヌ と ラフィット はカスリもしなかった。
今にして思えば、エキゾチックな コス も見たかった。
そういえば、ベイシュヴェル にも立ち寄ったが、
ベイシュヴェル だけは試飲がセカンドだった。だから、このページには載せない。
「メドックのベルサイユ」 などとうたい文句にするほどじゃない。 きれいなシャトーだけど。
シャトー巡りはグラーヴから始まった。どこでもそうだが、最初に訪問した造り手の印象は強いものがある。
オー・ブリオンが、15名以上の団体を受け入れなかったためでもあるが。
今回の 「聖地巡礼 ・ ボルドー」 では最初に訪問した ドメーヌ・ドシュバリエがその役割を担った。
ぺサック・レオニャンのはずれ、ブドウ畑と松林の境界に建物はあるのだが、
道端に看板を見つけた時は、心が躍った。
ドメーヌ・ドシュバリエ
ここの赤なら価格的に求めやすいので1本また1本と買い足していける。
葡萄舎の、ワインの騎士団の、葡萄舎騎士の会の公式ワインになった。公式ワインになった一番の理由は、
ホールの床と壁面を飾る、鉄仮面を被った Chevalier (騎士) をデザインしたレリーフだ。
そのときすでに、私の構想には 「騎士団」 「騎士の会」 があったから
そのレリーフをヒントに、 「葡萄舎騎士の会」 の会章を作った。

数あるボルドーの造り手で、「ドメーヌ」 を名乗るのはまれである。
当主に尋ねたら、
「1855年 (パリ万博の年) には、シャトーを名乗るのはマルゴーだけだった。
その当時から、ドメーヌを名乗っていたので、そのまま、ドメーヌを名乗り続けている」
と、単純明快に答えてくれた。
車内からの撮影で、
ピントがぼけています
ボルドーの一帯であればどこであろうと、行く先々で嬉しい村名やシャトー名の道標に出くわす。
ラベルに印刷されていて、見覚えのあるシャトーの建物は、それこそゴマンとある。
道の脇にあるラス・カーズの門は4度通過した。
4度通過したけど、高速で走り抜けるから写真に撮れなかった。
ボルドーは、どこへ行っても シャトー ばっかり
2年続いたドイツとブルゴーニュの旅。
となれば、次はボルドーへ、となるのが人情です。
アンテナを張り巡らしていましたら、VIN SUR VIN のツアーがありました。
店長の大畑さんのきめ細かい配慮で、憧れのボルドーを満喫しました。

A ボルドー

@ ブルゴーニュ
B ピエモンテ、トスカーナ

行程 訪問場所
1997 09 07  ボルドー市内〜グラーヴ  Domaine de Chevalier, Haut-Brion
08  メドック  Latour,  Beychvelle,
 Mouton Rothschild,  Margaux
09  ポムロール〜サンテミリオン
 〜ソーテルヌ
 Petrus
 Beau-Soleil,  Rol Valentin,  Yquem
10  コニャック  Hennessy
11  サンセール  Henri Bourgeois
いつか ボルドー  ついに ボルドー

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