聖地巡礼

@ ブルゴーニュ

A ボルドー
B スプマンテ、トスカーナ


行程 訪問場所
1995 05 26  南独・ヴュルテンベルクから
 ディジョン 泊
 Montrachet Romanee Conti
 〜特級街道〜Chambertin
 Marc Colin, Joseph Roty
27  シャブリ → パリ  Vocoret
1996 06 22  南独・バーデンから
 ボーヌ 泊
 Montrachet Romanee Conti
 〜特級街道〜Chambertin
 Marc Colin, Remoissenet
23  ブルゴーニュ → パリ  Mongerrd-Mugneret, Clos de Vougeot
2002 05 21  リヨンから入る ディジョン 泊
 ブルゴーニュ → アルザス
 Cortonn の丘 〜 特級街道
 〜
Chambertin
 Charlopin Phillippe
ペルナン・ベルジュレスのレストラン Le Charlemagne
95年、96年と利用して、02年は店休でした
レストランからはコルトンの丘を横から見ることができます
斜面上部の畑が
Corton Charlemagne です

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にわかドライバー兼ガイドの労をねぎらって
大御所がご馳走してくださった
「なにが飲みたい?」 と聞かれて、私は
「せっかくだから、今日見てきた畑のワインを」
今日見た畑 って、特級畑ばかりジャン!
「ごちそうさま!」
Clos de Vougeot
Clos de la Roche
3回目のブルゴーニュ・聖地巡礼は
アルザス ・ シャンパーニュ へと続きます
続きは 
こちら へどうぞ
Morey-Saint-Denis
95年、96年の
「聖地巡礼 ・ ブルゴーニュ」 は
バスでの訪問だった
02年は、自分でハンドルを握ったが
時間の制約があった
いつか、4回目の訪問がかなったら
そのときは自転車で畑を巡りたい
真珠の首飾りみたいに連なった
あの村、この畑を
つぶさに眺めて回りたい
COTE D'OR 黄金の丘
行くなら
季節は秋だ
復活祭から7週目の祭日
VIN SUR VIN 大畑店長のご尽力で
Sharlopin Phillippe だけが訪問させてくれた
中庭に招かれて 「さあ、飲め」 「さあ、食べろ」
Corton Charlemagne の畑
コルトンの丘を何度も遠くに眺めて、
この畑だけは近づいて見たかった
Chambertin Clo de Beze の農機具小屋
世界で一番数多く被写体となった小屋?
3回目のブルゴーニュ訪問のとき、私は丸一日、ツアーから離れた。
レンタカーはボーヌで借りた。私がハンドルを握った。
左ハンドル、右側通行、ロータリーでの進路変更。
イメージトレーニングの通りだったが、フランスのレンタカーに
オートマチックは殆ど無く、右手でシフトチェンジするのは
予定外で苦労した。大型免許を持っている男がうろたえた。

ヨーロッパは復活祭から7週目の祭日だった。
ブルゴーニュの道路は車も少なく、
海外での運転初体験の私には救いだった。
フツーの状態だったらとても走れまい。今思うとぞっとする。

コート・ド・ニュイの特級街道を訪れるのは3回目で、
地図さえあれば自信はあったが、
ロマネ・コンテの畑の十字架が見えたときはさすがに安堵した。
 
Ch. クロ・ヴージョに至る道は入り口を錯覚して、
結局、クロ(石垣)を一周した。
70haの広さが実感できた。(負け惜しみ)
過去2回、遠くから眺めるだけだった
コルトン・シャルルマーニュの畑にも立った。小石も拾ってきた。
 
お二人とはボーヌで別れて、
ツアーに合流するため最終の列車でディジョンに向かった。

フランスのの列車に乗るのは初めての経験だった。
当然、切符を買うのも。
コンパートメントの客室で現地の大学生と同席した。
ブルゴーニュでワインを買ったらしく、鞄に3本ばかり入っていた。
見せてもらったが、知らない造り手だった。
私も買ったワインを見せた。見せなければよかった。
私のは、現地で1万円のシャルロパン。
彼は眉を吊り上げて、肩をすくめた。
それが何を意味するのか、あれこれ考えた。
いずれにしても好意的な受けとめではなかった、と思う。

翌日からはツアーに合流。
添乗員嬢に代わって、ワイン案内係となった。
お調子者はダメだ。おだてられれば、豚も木に登る!
(右) 来客用のダイニング
ため息が出るような調度品と什器・備品の数々。
私たちから吸い上げた利益がここに蓄積している‥‥。
ビンボー人は情けない発想をしていけない。
(左) ルモワスネの当主は、若いころ芸術家を目指していたそうで、
壁画を制作中だった。  壁画の前で
Route des Grand Vins  特級街道
宝の山は、カビの山でもあり
カビをナイロン袋に入れて持ち帰ったが、影も形もない。
カーヴの湿度は日本の6月の湿度よりも高い,、
ということだろうか。
それとも、パリで雲散霧消した?
カーヴでは、途方もないワインの山に、さりげなく、1940年代の札がかけられている。
その光景が延々と続いて、螺旋階段を下りると、また続く。
マグマに届くかと思えるほど螺旋階段は続く。
古酒に強いルモワスネだが、ボーヌで最小のネゴシアンにしてこの規模! 
このとき私は、造り手と飲み手の違いすぎる力量に呆然とし、言葉を失った。
造り手の軍門にくだった瞬間。
ルモワスネのカーヴ入口
さりげない倉庫の地下に、汲めども尽きない、膨大な古酒が眠っている。
Remoissenet Pere & Fils ルモワスネ  ボーヌで最小の酒商
古酒の蓄積と販売では定評のあるルモワスネを訪ねた。
ガイドを務めた坂口氏の力量だろうが、,試飲は Vosne-Romanee 1945 が3本 !!(ツアー参加者20名)
飲み残しを貰って帰り、翌朝飲んだら、抜栓時より美味かったのは、強烈な思い出だ。
ルモワスネのカーヴ (地下熟成庫) がまた驚嘆の連続だ。
ボーヌの城壁と地下を利用したカーヴは、とてもこの世のものとは思えない。
うず高く積み上げられたボトルを、白滝のようにカビが覆っている。
記念にと思い、カビをナイロン袋に入れて持ち帰ったのだが、家に着いたら跡形もない。
そのとき思った。
あのカビはボーヌの地下カーヴにあってはじめてあのカビなんだ、と。
(左) やっと手にいれた Montrachet 91 を抱えて、コラン氏と。

(右) 買ったワインの瓶にはラベルが貼ってなくて、
「自分で貼れ」 といって手渡されたラベル。
ボルドーでなら絶対にありえないことだろう。
これも、ブルゴーニュらしさ?
壁面には、名産のブルゴーニュ石を一面に貼ったフツーの家。
つつましい風情のコラン氏の蔵。
小さい看板が1枚ぶら下がっているだけで、
見落としてしまいそう。
案内されたときは、どこかの倉庫に行くのかと思った程だ。
聖地 ・ ブルゴーニュにて
Marc Colin マルク・コラン  夢の1本
95年、初めてマルク・コランの蔵を訪れたときは、彼がどんな (評価を得ている)人物か知らなかった。
彼のすごさを知ったのは帰国してから、というノンビリさ。
翌年のツアーで、マルク・コランの蔵を再び訪れると知ったときは小躍りして喜んだ
どうしても欲しい1本があったから。
彼のモンラッシェの畑は0.2ha 。年産600本。坂口氏に頼んだら 「無理だ」とにべもない。
続けて、「私が買って日本へ送っているのでもわずか72本だから」。
それでもと頼んだら、坂口氏はコラン氏に話しかけていましたが「1本だけなら」とOKが出たらしく、
蔵の奥からエティケットを貼ってない 1本をコラン氏が抱えて出てきた。
コルク栓の刻印 (1991) を確認して買い求めた。1年間思い続けた夢が、叶った瞬間。
95年、96年の聖地巡礼は Cave d'Occi 主催のツアーに参加して実現しました。
ドイツの国立ワイン学校に学んで卒業した落氏らしく、
2回のツアーはドイツのワイン産地を北から南へと縦断するものでした。ブルゴーニュは「おまけ」 みたい?
ブルゴーニュのガイドは、落氏の友人で、フランスで貿易商を営む坂口氏が務めてくれました。
ブルゴーニュの造り手からは絶大な信頼を得ている方で、氏に引率されてぞろぞろとついていくだけで、
得がたい経験をさせていただきました。
3回目のブルゴーニュ訪問は、JTBのワイン産地を巡るツアーでした。
ところが、出発1週間前になって、下関のワイン界の大御所お二人にブルゴーニュ訪問の予定があり、
しかも、日程的に私とほぼ同じだと知らされました。
私はボーヌの町でツアーから離れ、大御所お二人と合流しました。
レンタカーは大御所が手配し、ブルゴーニュ3回目の私が運転とガイドを務める、ということになりました。
地理は得意ですから、地図さえあればどうにかなります。「私もたいしたものだ!」と一人悦に入りました。
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