上田香葉さんの書と画をご覧になって、感想等がございましたら、
直接本人にお伝えくださいますようお願い申し上げます mail
to 上田香葉
香葉さんに次の作品をお願いしたら、
直ぐに送ってくれたのがこの
「達磨おくり」でした。
その日は小学校の運動会でした。
下関少年少女合唱隊は、 「組曲 ・ この道」
を歌います。
魂が揺さぶられて、時間が経つのを忘れて聴きました‥‥‥。
香葉さんが、
みすゞ
さんをイメージすると
この画になったそうです。
私の転写技術では
下地に描かれた、
絣の縞柄を表現できないのが
口惜しいかぎり。
絣と下駄。
まさに
みすゞ
さんに似つかわしい。
そういえば、
香葉さんのお宅では
縁側の踏み石に
下駄が脱いでありました。
・
この詩によって
みすゞ さんへの評価が定まった、
ともいえる、みすゞ
さんの代表作です
学生時代の矢崎節夫氏が
めぐり合ったのはこの詩でした
以来16年間、
みすゞ
さんの遺稿探しが始まります
「 大漁
」
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(いわし)の
大漁だ
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう
上田香葉
さん
私の郷里(長門市)に住む同級生です。
読売書法展、日本書芸院展、県美展
等で活躍しています。
天はニ物を与えて、彼女には確かな画の才もあります。
彼女に 「葡萄舎」
の字をお願いしましたら、
届いた封筒に、みすゞ
さんの詩と画が同封されていました。
心が洗われ、心和む書と画でした。
理屈っぽくて、角々しいこのサイトに、どうしても彼女のコーナーを設けようと思いました
彼女にも、あれこれ注文があったでしょうが、全くの私流に任せてくれました。
このページに掲載する詩は
金子みすゞ著作保存会の了解を得て、10篇以内で掲載しています。
金子みすゞ著作保存会(JULA出版局内
TEL.03-3200-7795)
金子みすゞ さん
1903(明治36)年4月11日 山口県大津郡仙崎村(現・長門市仙崎)
に生まれる。
大正の童謡界に彗星のように現れ、西条八十から 「若き詩人中の巨星」 と評さ
れる。
下関に嫁いだが結婚生活は不幸で、子供を残して26歳で自ら命を絶った。
矢崎節夫氏の努力で512編の遺稿集が日の目を見たのは昭和57年である。
長門に生まれ、大津高女(私の母校の
前身)に学び下関に移り住み、没す。
みすゞ さんは信州が好きで、
ペンネームは、信濃に懸かる枕詞 「みすゞ かる」
からつけました。
私の母は信州北佐久の生まれですから、私は信州を好きな人が好きです。
だから、みすゞ
さんが好きです。
私も長門に生まれ、大津高校に学び、下関に移り住み、此処で没するでしょう。
童謡詩人 金子みすゞ さん