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だいおうさき
大王埼灯台
 2781 [F6036]
 北緯 34°16' 22", 東経 136°54' 09"
 白色円形 コンクリート造
 第4等、閃紅白互光、毎15秒に1閃光
 68,000カンデラ   光達 18.5海里(約34km)
 地上〜灯火:20m、水面〜灯火:46m
 昭和2年10月5日
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むぎさき
麦埼灯台
 2785 [F6034.2]
 北緯 34°14' 37", 東経 136°51' 02"
 白色塔形 コンクリート造
 第5等、等明暗白光、明3秒暗3秒
 13,500カンデラ   光達 15.5海里(約29km)
 地上〜頂部:16.4m、水面〜灯火:28.4m
 初点 昭和50年12月10日

TOP PAGE SITE MAP LIGHTHOUSE 灯台めぐり・表紙
黒潮灯台紀行 ・ 表紙
紀淡海峡
〜 潮岬
熊野灘 〜
志摩半島
追懐の海
伊良湖水道
御前埼 
〜 伊勢湾
ブロブ 旅日記 目次 は現在地です














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大王埼から、英虞湾を抱きかかえるように西に延びる半島を前島半島と呼ぶらしい。
その半島の最南端である麦埼は、志摩半島の最南端でもある。 昭和50年が初点の新しい灯台だが「最南端」 に惹かれて訪れた。
昔を語る民家の間を、場当たり的に作ったような無計画な路地が続く。 南へ、南へと歩を進めれば、自然と灯台に着く。
素っ気ない昭和の灯台だが、重量感はある。
大王埼灯台は入口まで民家が押し寄せている。
灯台への曲がった坂道には真珠のみやげ物店などが建ち並んで、モンサンミッシェルへの参道を思い出した。佇まいはまるっきり違うが。
灯台まで押し寄せた民家で、写真が撮りにくい灯台だ。

大王埼灯台の観覧時間には間に合わなかった。 観覧時間が終わると、入口の門扉も閉じられて施錠されてしまう。
門扉には足を掛けるのに手ごろな横棒が渡してあって、乗り越えるのはいとも簡単だが、
灯台前の狭いスペースでウォーキングをしている人がいて、いつまでも歩き回る。
これまでだって、門扉があって施錠がしてあれば人の目があろうと無かろうと、
それを乗り越えた事など一度も無いから (笑) 、灯塔への接近を諦める。

灯台からの帰り道は、北側の海岸沿いをたどった。
民家が写らないように灯台を写すのも難しいものだ。
皮肉なもので、二木島、三木埼と雨中の山歩きを終えて、志摩半島までの長いドライブになると、とたんに日照りになった。
雨の町 ・ 尾鷲を通過すると、路面が濡れた形跡も無い! アベコベだったら、などと嘆くまい。人生の縮図、だ。
三木埼を発つとき、カーナビは安乗埼にセットした。
時間的に安乗埼と大王埼、2基の観覧は無理だ。先ず、安乗埼を訪れて、それから後はそのときの判断だ。

紀伊勝浦を5時前に出て3基の灯台を訪問し、それから安乗埼までの道中は長い。
灯台に近づくと、密集した民家の間の細い路地で右折左折を繰り返す。
灯台の駐車場に着いたとき、観覧時間は30分を残すだけのタイミングだった。何はおいても塔頂へ。
芳しい天候ではない。 少しモヤって暗い海が広がっている。
車を走らせているときの上天気が、灯台に来ると変わる。 日頃の行い、か。
暗礁が多く、海難事故が絶えない場所だったというが、それを偲ばせるように、岬の周囲には岩礁がゴロゴロだ。
そして、灯台はどこもそうだが、ここも風は強い。
冬場は強い北風に、灯台の壁が風圧で押し動かされるようだ、とは燈光会の人の話。
私が訪れた日は燈光会の人はお休みで代役の女性だったが。
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あのりさき
安乗埼灯台
 2769 [F6042]
 北緯 34°21' 43", 東経 136°54' 41"
 白色 四角形 コンクリート造
 第4等フレネル式、単閃白光、毎15秒に1閃光
 330,000カンデラ   光達16.5海里(約30km)
 地上〜灯火:12.7m、水面〜灯火:33.3m
 初点 明治6年4月1日  昭和23年改築昭和57年改修
二木島灯台への道もそうだが、三木埼灯台への道も、尾鷲海保の詳細な案内ページのお陰で、迷うことなくたどり着けた。

三木埼灯台は、どんな事をしてでも行きたい灯台だった。 その理由は、未だに分からない。
思い当たるのは、先達の石松氏が苦労して到達し (小粒だが) 雨に降られ、車を停めた山中で夜を明かした、とあったから、
氏の踏み跡を追う私が避けて通れない、避けて通りたくない灯台だったのだろう。
私には、氏が到達した灯台には私も行ける、私も行かなければならない、という、氏を意識した部分が多分にある。

雨の中、かなり厳しい山道を歩いても、その先にある灯台は高いフェンスで囲われ、灯塔の壁に触る事もできない、
とはマイミクさんから教わっていたが、それでも、私としては 「行かなければならない灯台」だったのだ。

二木島ほどの苦労ではなかった、と思うのは雨が小降りになっていたからか。
それでも、案の定、楽な灯台ではなかった。
灯台は霧に包まれていた。 ロクな写真も撮れなかった。
いつか、石松氏にお会いできたら 「私も三木埼では苦労しました」 と報告できる。 そのことが、無性に嬉しい。
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みきさき
三木埼灯台
 2859 [F6010]
 北緯 33°58' 12", 東経 136°16' 22"
 白色 円形 コンクリート造
 3等 群閃白光、毎18秒を隔て12秒間に3閃光
 240,000カンデラ   光達 30海里(約56km)
 地上〜頂部:14m、水面〜灯火:150m
 初点 昭和3年11月28日
1/25000地形図で見ると、灯台への道は平坦に見える。
ところが、マイミクさんから 「平坦? とんでもない」 とアドバイスを受けた。 なるほど、行ってみて、アップダウンに閉口した。
地形図の等高線は10m間隔だ。
仮に、海抜30mの等高線上に道があったとして、21mから39mまでの間のアップダウンは地図上では平坦な道と図示される。

海抜80mの駐車場から一気に海岸まで降りて、そこからアップダウンが延々と続く。
普通ならもっと早く歩けるだろうが土砂降りの山道だ。 参った!
知らない場所の初めての道は、実際以上に遠くに感じる。
灯台の先には、奇勝・楯ヶ崎も、神武東征の際の上陸地もあるらしいが、いまは灯台に到達する事が先決なのに、その灯台が遠い。
灯台の敷地? 敷地なんてものはない。 灯塔から50cm離れたら木立だ。 しとどに雨滴をはらんだ木立だ。
帰りもまた雨中の山道と、こんどは駐車場への急坂だ。 気が重くなる忍苦の灯台訪問だった。
ただ、この雨のおかげで、昼間から点灯した二木島灯台と対面することがが出来た。
「とても苦労した」 の部類に入る灯台の一つだ。 雨が降らなくても大変な道中だ。
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にぎしま
二木島灯台
 2865 [F6009]
 北緯 33°55' 43", 東経 136°12' 44"
 白色 塔形 コンクリート造
 等明暗白光 明3秒暗3秒
 2000カンデラ (11M)   光達 17海里
 地上〜頂部:11.9m、水面〜灯火:45m
 初点 昭和28年10月
宇久井港から熊野灘に突き出た駒ヶ埼の先端にある灯台だ。 途中の宇久井ビジターセンターまで立派な道がある。
そこから右折して灯台方向に立派な道は続くが、環境省の関係者以外の車の進入は禁止。
灯台へ続く山道の表示はある。
ところどころにコンクリートの柱が打ち込んである。
刻まれた文字が 「運輸省」 ならホッとするが、あちこちに散在するのは 「環境省」ばかりだから紛らわしい。
広々としたビジターセンターやその周辺と異なって、灯台の敷地は狭い。

レンズに雨滴がついたのか、ピントが狂ったのか、初点プレートを撮るのに失敗した。 見る人が見れば読める‥‥かな?
(予備に持参したカシオのデジカメに初点プレートが撮れていて、差し替えた。正義は勝つ、か)

「苦労した」 の部類に入る灯台の一つだが、雨さえ降らなければ、どうってことはない道中だ。
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うぐい こまさき
宇久井駒埼灯台
 2874 [F6007]
 北緯 33°38' 45", 東経 135°58' 56"
 白色 塔形 コンクリート造
 単閃白光 毎5秒に1閃光
 5000カンデラ (13M)   光達 19海里
 地上〜頂部:8.5m、水面〜灯火:53m
 初点 昭和30年12月22日
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かんとりさき
梶取埼灯台
 2884 [F6002], 2885
 北緯 33°34' 45", 東経 135°57' 41"
 白色 円形 コンクリート造
 40cm回転灯器 閃白光、毎8秒に1閃光
 灯台:250,000カンデラ 照射灯:3,000,000カンデラ
 光達 17.5海里(約32km)
 地上〜頂部:14m、水面〜灯火:41m
 初点 明治32年11月  昭和38年3月改築
梶取埼灯台は、和歌山県東牟婁郡太地町にある岬の灯台だ。

この 「黒潮灯台紀行」 は、紀淡海峡から御前埼までの灯台たちを訪ねる旅だが、ただそれだけの旅ではない。
和歌山県東牟婁郡太地町に生まれて育ち、いまもこの町で暮らしている大学時代の旧い友に再会するための旅でもあった。
灯台めぐりは予定の立たない旅だから、私は梶取埼灯台訪問を終えるまで、旧友への連絡を取っていなかった。
当然、この灯台を訪問したとき、まだ、旧友との連絡は取れていない。
旧友との再会が気になって、情緒不安定になっている私に似合うように雨が降り出した。
尾鷲地方に特有な強い雨ではなくて、旧友は会いに来るか来ぬかの小糠雨‥‥。

日没時間には間があったが、垂れ込めた雨雲は早めの点灯を促してくれていた。
灯塔頂部は特徴のある形状だ。 我が街、長府沖の満珠島灯台にもこの四角い出っ張りはある。
満珠島の場合は太陽発電の機器が設置されているが、梶取埼では、併設されたナミノリ礁照射灯が置かれている。

灯台の周囲は整備されていて、鯨の供養碑もある。
太地町は古式捕鯨が盛んだった町で、私の郷里・長門市も、似たような古式捕鯨の歴史を持つ。
古式捕鯨が盛んだった町には、いい男が生まれて育つんだ、と独り言。
灯台訪問を終えても旧友との連絡は取れず、紀伊勝浦の駅前で宿を取ってから、やっと連絡が取れた。
約40年ぶりの再会を果たした。
いわずと知れた、ブラントンが設計し、明治3年に初点灯した日本最初の石造灯台だ。
日本最初の回転式閃光灯台でもあり、神子元島と共に建物が現存する最古の灯台だ。
関門海峡には、明治4年の六連島、明治5年の部埼があるが、それより旧い。帽子を脱いで、一礼して門をくぐるべき灯台だ。
灯台内部へは入れないが外部階段から灯台に登ることができる。

樫野埼は、トルコの軍艦・エルトゥールル号遭難地としても知られている。
遭難慰霊碑があり、記念館もある。 日本とトルコの友好の礎となった岬だ。
灯台に一番近い場所に、トルコ人の土産物屋があった。 灯台を訪問する前に、店先で「のびるアイスクリーム」 の看板を見ておいた。
帰りがけに店に立ち寄った。 閉店間際で、のびるアイスクリームを注文したら迷惑そうだったが、
私がトルコは大好きで、二度行った、3週間居た、下関とイスタンブールは姉妹都市だ、
私の先輩F氏がイスタンブールで日本庭園を作った、のびるアイスクリーム 「ドンドルマ」はトルコでもなかなかありつけなかった、
などとまくし立てたら、とたんに形相を崩し、大盛りの特大を作ってくれた。
しかし、トルコでもなかなか食べられない 「ドンドルマ」 に、樫野埼でありつけるとは! 樫野埼、いい所だ。
二木島
宇久井駒埼
梶取埼
灯台名をクリックしてください
樫野埼
かしのさき
樫野埼灯台
 2889 [F5998]
 北緯 33°28' 06", 東経 135°51' 53"
 白色塔形 上部鉄筋コンクリート、下部石造
 第2等 群閃白光 毎20秒に2閃光
 530,000カンデラ   光達 18.5海里 (約34km)
 地上〜灯火:14.6m、水面〜灯火:47m
 初点 明治3年6月10日  昭和29年改築、塔を中継ぎ
三木埼灯台
安乗埼
大王埼
麦埼
三木埼
灯台めぐりをしていると、
地図を見ただけで困難だと予想できる灯台がある。
でも、どうしても行きたい灯台だ。
雨の山道を難儀してたどり着けば、そこは海霧の世界。
それでもいいじゃないか。
A 熊野灘から志摩半島の灯台たち
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