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2010年4月3日が 
「いつか、そう遠くない将来‥‥」 かどうかは判断が分かれますが、
行ってきました。

音戸灯台訪問に合わせて、
山口県東部の久賀港大崎鼻灯台と室津灯台も訪問しました。

               次のページ です。

鮴埼灯台は廃止されてしまったが、同じ大崎上島には 「花の27年組」 のもう1基がある。
島の南東端で、愛媛県の大三島、柏島、大下島と対峙する海峡の中ノ鼻灯台だ。 鮴埼灯台からは、南に8kmの距離だ。
鮴埼灯台のお通夜に立ち会ってきた直後で、気持ちは塞いでいたが、それはそれ、これはこれ、だ。

(廃止灯台)


新開鼻(しんかいはな)灯台


「西瀬戸内海漂泊」 のメインは釣島灯台と 「花の7年組」 の5基だが、
大崎上島の2基が仲間外れでは可哀想うだから、ここにまとめて掲載した。
ついでと言っては失礼だが、広島湾の2基も併せて掲載する

灯台そばまで車で行けるのは楽だ。
辞するとき、灯台を背に、
最後はドアミラー越しに挨拶する。
こんなことができるのは
「花の27年組」 で中ノ鼻灯台だけだ。

初点プレートはない

2008年10月に 「新開鼻灯台」 が解体される直前に
見に行った。
2009年2月に 「鮴埼灯台」
そして、日ならずして 「台場鼻灯台」 の解体撤去
哀しいことばかりが続いた時期だった。

蒸気機関車、帆船、そして灯台。
ロマンを感じるものが次々と失われていく‥‥。
灯台ファンになるのが遅かった。

中ノ鼻(なかのはな)灯台

「花の27年組」 訪問は、灯台巡りを趣味とする私の予定に、当然入っている。
同期生の灯台のそれぞれに、それぞれのファンがいようが、私は、その中の1基 「鮴埼灯台」 に不思議と心ひかれていた。
「鮴埼 (めばるさき)」 という灯台名が、いかにもローカルでいいじゃないか。
ただ 「花の27年組」 は比較的近いので、何時でも行けるから、と訪問するのがついつい後回しになってしまっていた。

広島の竹原港の何と遠いこと! 一発取り消しになる速度で飛ばして2時間と少し。
道中、薄日が射したが、鮴埼灯台に着くと空は涙色。 空が涙色なら海も涙色。 そのうち雨が降ってきた。 涙雨、だ。
標高50m。 九十九折りの坂道を休まずに登れたのはウォーキングの賜物ではない。
一刻も、一秒でも早く 「鮴埼灯台」 に会いたかったのだ。
灯台の背面に回ると、すでに電柱に送電線はない。 無残にも、灯器は外され、レンズの残骸は床に放置されている。

この日の訪問は、鮴埼灯台の一生の、末期に立ち会ったみたいだ。
廃止され、灯火が消えた日が臨終なら、撤去される日が出棺。 訪れた日が撤去される直前だから、お通夜、だ。
生前の姿を見るには間に合わなかった。
「花の27年組」 で、一番、訪れたかった鮴埼灯台に、こんな形で会いたくなかった。

私がいつも、灯台を辞するときの儀式、灯塔の壁を撫でて叩いて、数歩退がって敬礼、 は当然行った。 その日は3回も。
それほど立ち去りがたかった。 鮴埼灯台では、儀式に加えて、灯室のガラスをタオルで拭いてきた。 
間もなく取り壊されて、もう、使うことのないガラスなのだが‥‥。
解体される灯台と
の別れは辛かった。 これから先、大崎上島を訪れることがあるかもしれない。 中ノ鼻灯台の再訪時に。
しかし、その時に、鮴埼灯台は、無い。

灯台の初点プレートはない

某医院の私道を登りつめていく鮴埼灯台と、観光スポットの一翼を担う中ノ鼻灯台と、同じ島にあって2基の扱いは極端に違う。
大崎上島町観光協会が発行するガイドマップに、鮴埼灯台の記載はない。
同期生が8基も9基もあれば、横一列に並ぶことは難しかろうが、陽の当る場所にいるのと、日陰にいるのと、人間社会と同じだ。
結論から言って、中ノ鼻灯台は、敷地の狭さを無視すれば 「いい灯台」 だ。
敷地が狭いとはいっても、沿岸小型の灯台は似たり寄ったりで、中ノ鼻はいい方だ。

中ノ鼻灯台は小さい灯台だけど、明治の古武士のように、堂々としている。 見下ろすよりも、見上げた方がいい。
灯台入口へは 「どなたでもどうぞ」 とばかりに梯子が付いていて、誰でも回廊まで登って、灯室が覗きこめる。
鮴埼灯台でもそうだった。
灯室が覗きこめるという構造は 「花の27年組」の数基 に共通している。 他の地域では、ほとんど記憶がないのだが‥‥。

2009年2月9日。 灯灯会西瀬戸内海支部長のY氏から連絡をいただいた。
広島県竹原の沖合に浮かぶ大崎上島には 「花の27年組」 8基のうち2基があるのだが、
そのうちの1基 「鮴埼 めばるさき) 灯台が廃止になっていて、そろそろ解体工事に入る、と。

「そりゃぁ大変だ。 なんとしてでも行かなくっちゃ」 と返事をしておいたが、翌朝には灯台巡回車のエンジンが始動していた。

鮴埼(めばるさき)灯台

D

いつか、そう遠くない将来に訪ねてみます。

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音戸おんど)灯台

灯塔の上部は円筒だが、下部は八角形で座りが良い。
その灯塔も、周囲の巨木が邪魔をして、灯台の周囲から全貌を眺めることはできない。

宇品灯台は灯台記念日に一般公開されているのをよく聞くから、市民に愛されている灯台なのだろう。
周囲は公園化されていて、海岸に降りる道もある。 近くから眺めるのが無理なら、と海岸にも降りるしかない。 

ついでに広島港の対岸のコンテナ基地まで走って遠景を撮った。
短い時間の間にも、フェリーの発着が多い。 宇品灯台を眺めるならフェリーからが一番、か。

34°20' 14"N  132°27' 55"E  白色 上部円形 コンクリート造
6等 閃紅白互光 毎10秒に2閃光   50,000カンデラ
光達距離 18.5海里(約34km)  地上〜頂部:20.9m 水面〜灯火:45.5m
初点灯 昭和25年1月

解体寸前の新開鼻灯台を後にして、Y氏が大事にしていて 「私のマザー灯台」 と表現する宇品灯台にも立ち寄った。
日清戦争当時、山陽鉄道の終点は広島で、広島は軍事拠点として着目され、宇品港は大陸進出の兵站基地となった。 
その宇品港に立つ灯台だから国の威信も手伝って20mを超える堂々たる灯塔だ、などと勝手に解釈していたら、
初点灯は昭和25年と新しい灯台なのだった。 と言っても、間もなく還暦を迎えるが‥‥。

宇品(うじな)灯台

(廃止灯台)

Y氏の mixi の日記を拝見したら、なんとも残念な話題について写真入りで書かれている。
安芸の宮島と本土間の大野瀬戸で、明治32年から灯りを点してきた新開鼻灯台が2008年10月末で廃止になるというのだ!
新開鼻灯台は、灯台めぐりを始めた氏が最初に訪問した灯台なのだ。
私も 「いつか訪問を」 と思っていたが、広島は近いようで遠い。 一日伸ばしにしていたが、もう、猶予はない。
廃止の後に形が残ろうと撤去されようと、灯台は現役のうちが花だ。

氏のお膝元というか、縄張りに立ち入るには相応の仁義を切らなければならないが、その暇はない。
氏にご案内いただいて訪問したかったが、とにかく走った。
いつ、その気になってもいいように、新開鼻灯台はカーナビには登録済みだった。 2時間で着いた。
灯台訪問を終えて、灯台を辞するときは、毎度のことだが儀式がある。
灯塔を撫でて、叩いて、さすって、数m離れて敬礼をする。
新開鼻灯台の1世紀以上にわたる働きに、今日の儀式は深甚なる敬意と慰労をこめたものとなった。
長い歴史を持つ灯台が、一つ、また一つと廃止されていく。 時の流れだろうが、哀しいことだ。

きっと、
鮴埼灯台にもこんな灯器が納まっていたことだろう

34°12' 42"N  132°55' 23"E  白色 塔形 石造   
群閃白赤光 毎13秒に3閃光  6,000カンデラ  
光達距離 18.5海里 (約34km)  地上〜頂部:5.10m 水面〜灯火:45.11m
初点灯 明治27年5月15日

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