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 「西瀬戸内海漂泊」
 @ 表紙
 A 三原ノ瀬戸の灯台
 B しまなみ海道の灯台
  C 釣島と大下島
 D 大崎上島の2基
  追補 広島と山口の3基
  は、このページです

灯塔の向こうに、小安居島と安居島が重なって見える。
波妻ノ鼻灯台も安居島灯台も点灯していた。。

灯台めぐりをしていて、点灯時に対面できるのは、
せいぜい朝夕一基ずつだ。
この日の朝は松山三津浜港の防波堤灯台が点灯していた

34°10' 47"N  132°56' 44"E  白色 塔形 コンクリート造
等明暗白光 明3秒暗3秒  1,500カンデラ (10M)
光達距離 13海里  地上〜頂部:15m 水面〜灯火:17m
初点灯 昭和63年11月

大下島の灯台と言えば大下島灯台だが、来島海峡から向かう船を最初に迎えてくれるのは島の南端のアゴノ鼻灯台だ。
ということは、島を離れるとき、最後まで見送ってくれるのもアゴノ鼻灯台の灯だ。
塔長15m。 堂々たる体躯だ。
島の方々は 「新しい灯台」 と呼び、島民の自慢と誇りは百年を経た 「旧い灯台」 だが、なかなか捨てがたい灯台だ。

C

このページの灯台たち
  釣島灯台
  波妻ノ鼻灯台
  来島梶取鼻灯台
  大下島灯台
  アゴノ鼻灯台

 Y氏の庭 灯台めぐり 「西瀬戸内海漂泊」 は以上です。

 2009年2月に、廃止撤去される直前の 「鮴埼 (めばるさき) 灯台」 と
 同じ大崎上島南端の 「中ノ鼻灯台」 を訪れています。
 次頁に掲載して 「花の27年組」 を仲間入りをさせています。
 すでに訪問済みの広島湾の2基も併せて掲載しています。

            次頁は  D 大崎上島の2基 です

 「花の27年組」 で唯一未訪問の 「百貫島灯台」 は遠くない将来、
 必ず訪問します。 西瀬戸の船旅が気に入ったので‥‥(笑)

アゴノ鼻灯台にお別れの儀式をして
港に向かう途中、
それまで雲に隠れていた夕陽が、
束の間、雲間から顔を出した。
♪ 瀬戸は日暮れて夕波小波

下関を発って3日。
防波堤灯台を除いて
15基の灯台を訪問した。
定期船を利用するから
爆走がままならない時もあるが
効率的によく動いたと思う。
灯灯会西瀬戸内海支部部長
Y氏の助言に助けられた。
最後に謝意を表して、
「西瀬戸内海漂泊」 を終える。

アゴノ鼻(あごのはな)灯台

34°11' 12"N  132°55' 44"E  白色 塔形 石造
単閃白光 毎5秒に1閃光  33,000カンデラ (17M)
光達距離 16海里  地上〜頂部:9.2m 水面〜灯火:35m
初点灯 明治27年5月

私はせっかちだから、下関を灯台巡回車 「定宿号」 で発った時から、
「今回の灯台めぐりで大下島灯台は訪問予定に入れていない。 さて、どうしたものか」 と、
灯台めぐりを終えたのちのことをあれこれ考えていた。

一日がかりで回る予定の大久野島灯台と小佐木島灯台が半日で片づいた。
馬島の3基も、あっという間に回ってしまった。
今治港で時間を持て余すほどの余裕を持って大下島灯台に向かうなど、考えてもみないことだった。
成り行きとは面白いものだ。

大下島灯台は、生粋の 「花の27年組」 だ。
鮴埼灯台は廃止され撤去された。 初代大久野島灯台は四国村に移設され余生を送っている。
高根島灯台は頭の部分をちょん切られ、安っぽい灯器が据えられた。 大浜埼灯台も改築されたという。
小佐木島灯台には初点プレートがない。 中ノ鼻灯台には管制器室のプレートしかない。
百貫島灯台波知らないが、私が知っているかぎりで完璧なのは大下島灯台だけだ。

何をもって完璧と言うか?
初点灯時の、初点プレートがそのまま残っていることをもって、だ。
人は知らず、初点プレート蒐集家の基準はそこにしかない。
Y氏の庭 灯台めぐり 「西瀬戸内海漂泊」 の締めくくりの日に、大下島灯台と対面できたのは幸せだった。
時刻表 → 今治海運

今治港に帰りついたら、大下島行きの船が出るまで、まだ時間があった。 ゆっくりと昼食をとって船に乗った


灯台めぐりをしていると、
いろんな形で灯台と初対面をする。
まだか、まだかと山道を歩いて、
突然、ヌッと姿を現す灯台も多い。
伊豆の波勝岬灯台がそうだった。
やっとたどり着いた安堵はあるけれど不気味でもある。
灯塔がデカければデカいほど。

34°07′1″N 132°53′6″E  白色 塔形 コンクリート造
300mm 群閃白光 毎7秒に2閃光  8,500カンデラ
光達距離 20,5海里 (約38km)  地上〜頂部 11.4m 水面〜灯火 63m
初点灯 昭和37年3月31日

来島梶取鼻灯台訪問の動機が 「不純」 とは言えないが、馬島の3基の灯台訪問が思いのほか早く済んだので、
大下島行きの船が出るまで、さてどうしようか、となったときに、予備のポケットから取り出した財布みたいなものだ。
1月2日に出発してから天気は日増しに良くなり、梶取鼻に向かう車の窓は開けて走った。
時間は十分にあるのに、こういうときは車もスイスイと走るものだ。

岬に近づくと道が細くなって、対向車が来た場合の離合に苦労しそうだが、対向車はなかった。
舗装された林道が延々と続いて、駐車スペースに出る。 森重久弥の詩碑があって、そこから徒歩だ。
両側の木立で視界は遮られているが、相当に細い尾根だ。 省側の潮騒が聞こえる。 林間のプロムナードだ。
落ちるべき木の葉は落ちているから、木漏れ日が嬉しい。 
ほどほどの林道。 ほどほどのプロムナード。 これだったら 「いい感じ」 の灯台に至る道ベスト10に入るかも

この灯台でも言えることだが、愛媛県の灯台にはやたら表札が他の初点プレートが多い。 これは蒐集家泣かせだ。 
しかも、石に彫ったみたいで墨 (塗料) が消えている。 来島梶取鼻灯台で難点と言えばそれだけだ。

ここからは、三日目の馬島3灯台訪問を終えてからの灯台めぐりになる

来島梶取鼻(くるしまかじとりはな)灯台


下関から四国に最短距離で渡るには
柳井〜松山三津浜間を防予汽船で渡ればいい。
しまなみ海道ができるまでは、
四国を旅行した回数と防予汽船で往復した回数が
同じだったことになる。
三津浜港でいつも見ていた防波堤灯台だが、
今回初めて灯台のそばまで行った。
灯塔を叩いて撫でて敬礼する儀式も初めてだ。
初点プレートがなかったのが残念だったが‥‥。

定期船の松山三津浜港着は 16:25  明日の馬島3灯台訪問に備えて今治まで走る。 途中の波妻ヶ鼻灯台に立ち寄る


33°53' 24"N 132°38' 30"E  白色 塔形 御影石造
LB 40cm 単閃白赤互光 毎16秒に白1閃光赤1閃光  310,000カンデラ
光達距離 20.5海里 (約37km)  地上〜頂部:10.3m 水面〜灯火:58.2m
初点灯 明治6年6月15日

灯台めぐりをするうえで 「釣島灯台訪問が大仕事」 と身構えさせるのは、アクセスの悪さにある。
かつては日帰りができなかった。 島に宿泊施設はない。 となれば、誰だって二の足を踏む。
東北6県を残して北海道から沖縄まで、4つの島の海岸線はほとんど踏破した私が、最後まで残していた灯台の一基だ。
朝9時に松山三津浜港を出た定期船は釣島に寄港した後に忽那七島をめぐって、午後4時前に釣島発の船となる。
日帰りが可能になったのはありがたいが、
周囲3kmに満たない、灯台とミカン畑しかない島で6時間をどうやって過ごす? 爆走を旨とする男が (笑)

釣島灯台は素晴らしい灯台だ。
全国で23の灯台 を完成させた 「ブラントンの設計による灯台」 というだけで、それ以上の説明を要しない。

明治6年の初点灯といえば、六連島 (明治4年)、部埼 ・ 鍋島 ・ 友ヶ島 (明治5年) の弟分だ。
同期で現存し、現役で活躍しているのは菅島灯台だけだ。

灯台の敷地はきれいに整備されている。 旧吏員退息所もきれいな形で保存されている。
1月3日は好天気だった。 生垣が季節風を遮ってくれた。 芝生の上で箱根マラソンの復路の実況をラジオで聞いた。
実況が終わってから、船が着くまでの2時間余が苦痛だった。
もちろん、それまでに島の最高点まで登っている。 島の周回道路も歩いている。 それでも時間が余った。
日本一周を終えた暁には、離島の灯台訪問が主体になる。 爆走とは無縁の、一日一灯台がせいぜいだ。
釣島行で味わった、もて余す時間との戦いが再現されることだろう。            時刻表は → 中島汽船

釣島(つるしま)灯台

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灯台って、
やはり海から、船から
眺めるものだと思ってしまう

大下島(おおげしま)灯台

来島梶取鼻灯台はかなり遠くから灯台の所在が分かる。
だから、
灯台と初対面の心の準備ができる。 木立を縫う小径もいい。
私が、プロムナードと称するゆえんだ。
藪こぎを覚悟で灯台めぐりをしていて、
こんな小径に出会うと嬉しい。

島の最高点(151.1m) までミカン畑で埋め尽くされている

【 松山港防波堤灯台 】

33°59' 46"N 132°46' 10"E  白色 塔形 コンクリート造
群明暗白光 明3秒暗4秒間に1閃光  6,000カンデラ (13M)
光達距離 20海里  地上〜頂部:10m 水面〜灯火:62m
初点灯 昭和41年11月

松山と今治を結ぶ燧灘の海岸線は比較的単調で、その中間の、ここらへんに灯台があるといいな、という場所に立つ。
6kmほど沖合の小安居島との間は阪九フェリーの航路となっている。
さらに2km先の安居島灯台の灯が波妻ノ鼻から見える。
阪神から来島海峡を通過したフェリーは波妻ノ鼻灯台の灯を左に見、安居島灯台の灯を右に見て釣島海峡に突っ込む感じだ。

道の駅・風早の郷 風和里のあたりで分岐して坂道を登ると、50mの山腹を巻いてスポーツセンターに出る。
私のの訪問時は正月で門扉はしまっていたが、通常なら灯台近くまで車で行けるだろう。
門扉まで行けば灯塔が見えるから、間違いようがない。 舗装された道から山道に分け入るのは灯台勘だ。

波妻ノ鼻(はづまのはな)灯台

Y氏の庭 灯台めぐり 「西瀬戸内海漂泊」 の当初の計画では、
一日目の大久野島灯台と小佐木島灯台を訪問するのに手間取ると思っていた。 それが半日で片づいて、欲が出た
想定外の爆走ができて、当初計画にない大下島灯台まで訪問先に組み込んだのだ。

ただ、前回の 「三半島物語」 で、老化現象らしい膝の痛みに往生したので、自分の体への過信が自信喪失に変わっていた。
これから先、何が起きるかわからないから、訪問灯台に優先順位を付けた。
今回、何が何でも訪問しておかなければならないのは釣島灯台だ。 極論すれば、初めに釣島灯台訪問ありき、だったのだ。
大下島が時間的に無理なら、日を改めて、呉から 「とびしま海道」 を経て訪問することもできる。
そこで、釣島灯台訪問を二日目に済ませ、時間が余ったら、大下島灯台訪問を三日目の最後にしよう、と。
かほどに、釣島灯台訪問は大仕事なのだ。

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