太東埼灯台は昭和46年に改築されている。 
初代の灯台から100m後退代して。
激しい海蝕で灯台敷地が危険な状態になったためだ。
飯岡灯台がある北の刑部岬から始まった九十九里浜は、
ここ太東埼で終わる。

B

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勝浦温泉の湯に浸かって、一晩様子を見て、
朝起きた時の状況で、下関に帰るか、
灯台めぐりを続けるかを決めるつもりでいた。
時間をかければ階段の昇り降りはできる。 続行だ。

灯台には5時半過ぎに着いた。
道路脇に灯台への進入路がある。 夜、激しい雨が降って、
灯台への舗装された道は濡れている。 濡れ落ち葉が滑る。
舗装道路に負けない立派な門構えだ。
全国の灯台でも一二の、立派な門扉まである!

灯塔も、初点プレートもはるかな先だ。
この脚では、門扉を乗り越えることはできない。
夜来の雨は、小ぬか雨になって降り続いている。
なんとも情けない情況だが、ここで引き下がっては‥‥。
一か八か、試みた。 二本の手と一本の脚で。
‥‥
なんとかなるものだ (笑)

太東埼 (たいとうさき) 灯台

犬吠埼灯台で吹いていた強風が 16m超 / 秒 なら、
屏風ケ浦の断崖に立つ飯岡灯台では、
ゆうに20mを超えていたろうと思わせる凄さだった。

灯台で味わう強風は、新潟の鳥ヶ首岬灯台で経験したが、
飯岡灯台での風はそんなもんじゃない。
私の灯台めぐりの中で一番強い風だった。
片足を引きずって歩く私の足元は不確かで、
何度も吹き飛ばされるかと思った。
構えたカメラが風で揺れる経験も初めてだ。

隣接の建物の展望台から灯台が見下ろせるのも珍しい。
建物の階段を苦労して登らなくても、
エレベーターがあることに気付いたのは降りるときだ。
風の強さだけが印象に残った灯台だ。

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このページの灯台訪問記はブログにもあります こちら です

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野島埼灯台から洲埼灯台までの間に、布良(めら)という突端がある。
小山の上に布良埼灯台があったが、1年前に廃止され、撤去されていた。
道を尋ねたたおばさんは、私の落胆を推し量るように、「来るのが一年遅かったね‥‥」 と。

洲埼灯台を訪ねた後、館山港沖ノ島灯台に向かったが、ここも、跡形もなく、廃止され、撤去されていた。
私が持っている、平成18年版の灯台表には載っているから、この1・2年の間に姿を消したことになる。
東北6県の
灯台めぐりを急がなければ

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34°58' 19"N,  139°45' 39"E   白色円形コンクリート造
第4等、単閃白赤互光、毎30秒に白1閃光赤1閃光  97,000カンデラ
光達距離 18.5海里)   地上〜頂部:14.8m、水面〜灯火:45.1m
初点灯 大正8年12月15日

東京湾口の東端を示す灯台で、三浦半島の剱埼灯台と対をなす。
東京湾越しに、富士山に沈む夕日を眺めるには最高の場所だろうが、曇天の昼間では、夕陽も富士山も望むべくもない。
洲埼灯台には、門標はあるが、初点プレートはない。

洲埼 (すのさき) 灯台

江戸条約で建造が決まった灯台で、
西洋式の灯台としては観音埼灯台に次ぐ2番目の灯台だ。 
フランス人技師・ヴェルニーの設計になる初代は煉瓦造りだった。。 
イギリス人技師・ブラントンの設計した灯台は数多く残っているが、
ヴェルニーの灯台はことごとく倒壊している。 強度の問題があるのかもしれないが、
関東大震災の威力がそれだけすさまじかったのだろう。

34°53' 54"N,  139°53' 30"E   白色塔形(八角形) コンクリート造
第2等フレネル、単閃白赤光、毎20秒に1閃光    1,200,000カンデラ
光達距離 17海里(約32km)   地上〜灯火:26m、水面〜灯火:38m
初点灯 明治2年12月18日 大正14年8月15日改築

「いい灯台」 で、お師匠さんが第2位に挙げた灯台だ。
9時過ぎに着いて、観覧は10時からだろうと思いながら灯塔を見あげると、
回廊に人影が見える。 受付に行ったら、観覧時間は度全9時からだった。 
ならば、道中、もっと飛ばせばよかった。

34°54' 39"N, 139°56' 19"E   白色塔形
連成不動単閃白赤光 毎5秒に1閃光   2,000カンデラ (11M)
光達距離 不動光:8海里 閃光:11海里   
地上〜頂部:9.5m、水面〜灯火:11m  初点灯 昭和37年3月

波に洗われながら、敢然と海に向かって光を放つ灯台を大洗で見た、と思ったのもつかの間、磯浜灯柱は廃止灯台だった。
安房白浜で、雄々しく海に向かって立つ灯台を見た。
佐渡の長手埼で見た光景だ。 翌日、城ヶが島の安房埼でもお目にかかる風景だ。
有名な岬の断崖に立つ灯台は、確かに絵になる。 しかし、沿岸小型の灯台は、波打ち際で敢然と海に向かって立つのがいい。
訪問した灯台を辞するとき、灯塔を叩いて撫でて数歩下がって敬礼をして帰るのだが、こういう灯台にこそその儀式は意味を持つ。

安房白浜港 (あわしらはまこう) 灯台

鴨川港は、本来、築港できる地形ではない、とシロートには思える。
そんな地形で築港するとすれば、勢い、大きい防波堤で港としての形態を造成するしかない。
だから、鴨川港の防波堤は長い。 本当はそんなに長くないのかもしれない。 ただ、足を引きずって歩くには長かったのだ。
防波堤に無造作に置かれた網を踏みながら進んだら、わずかな起伏にも足を取られてつんのめり、カメラを放り出した (笑)

鴨川 (かもがわ) 灯台

35°05' 23"N,  140°06' 47"E   白色 塔形 ]
群閃白光、毎12秒に3閃光   5000カンデラ (13M)
光達距離 15海里   地上〜頂部:11.1m、水面〜灯火:26m
初点灯 昭和29年7月
35°08' 05"N,  140°19' 20"E   白色 八角形 コンクリート造
第4等 群閃白光、毎22秒を隔て8秒間に2閃光    140,000カンデラ
光達距離  22海里(約41km)   地上〜頂部:21.2m、水面〜灯火:71m
初点灯 大正6年3月1日
35°18' 20"N,  140°24' 56"E   白色円形 コンクリート造]
単閃白光、10秒に1閃光    250,000カンデラ
光達距離 22海里(約41km)   地上〜頂部:15.9m、水面〜灯火:72m
初点灯 昭和27年5月
35°41' 24"N,  140°44' 33"E   白色り 塔形 コンクリート造
300mm 等明暗白光、明3秒暗3秒   8,500カンデラ
光達距離 20.5海里(約38km)   地上〜頂部:9.8m、水面〜灯火:74.7m
初点灯 昭和31年10月31日

飯岡 (いいおか) 灯台


野島埼灯台の初点プレートは軒先には掲げられていない。 
灯塔内に3枚の初点プレートが掲げられている。
歴史を感じさせるもので、フランス語の初点プレートは珍しい。

東国の日暮れは早い。 5時前でこの暗さだ。
朝5時から、ちょうど12時間。 その7割は足をひきづって歩いた。 もう限界だ。 こんな日の車中泊は無理だ。
温泉で、足を揉むのが最善か。 明日、未明の灯台訪問を考慮して勝浦温泉に向かう。

勝浦 (かつうら) 灯台

野島埼 (のじまさき) 灯台

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