このページを完成させるのに2年の歳月を要しました。
最大の理由は、見島、相島の二島を訪問しないうちに
九州へ、北海道へと足を延ばしてしまったからですが、
いつも心に引っかかりながら、他の灯台を訪問するのも辛いことでした。
離島の灯台訪問は、数少ない定期船の便数という制約がありますが、
訪れたら、不便さを上回る厚い人情に触れることができます。
島を離れる定期船のデッキで、遠ざかる島影を眺めながら、
いつかまたこの島へ、という思いが沸いてきます。
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 「わたしの」 燈台
 灯台地図
 灯台めぐり 目次
 ふるさとの灯台
   北浦東部
   北浦西部
   北浦の島々
 燈台讃歌
は現在地です
「沿岸小型」 らしからぬ立派な正門、敷地も広い。
見島を走るには、軽トラが最高の手段だ
北緯 34°45′35″
東径131°08′53″
白色 塔形 コンクリート造
群閃白光 
毎4秒に1閃光
5600カンデラ
光達距離12,5海里
地上〜頂部14m 水面〜灯火81m
初点灯 昭和9年4月11日
島の南、本村の要害山 (海抜80mくらい、かつての砦跡) には見島灯台が立つ。
島の人は 「古い灯台」 と呼ぶ。 S9年の初点だ。
40年近く前になるが、「見島の気候と漁業」 を卒論テーマにした私が、データを転記に行った灯台だ。
記憶では立派な灯台だったが、現在の2代目は、どこにでもある沿岸小型の灯台だ。

しかし、この灯台を馬鹿にしてはいけない。 立派な正門、広い敷地を備えている。
敷地には廃屋となった官舎跡と、見島特別業務局(稼動中) がある。
灯台の標識種別は 「沿岸小型」 だが、見島灯台が果たす役割は重要なのだ。
この見島灯台と、対馬の三島(みつしま) 灯台、壱岐の若宮灯台、3基の灯台からの気象・海象データが
冬場に荒れ狂う玄界灘の海況を判断する基礎データとなっているのだ。

余談だが、私の隣にお住まいの海保の大物OB ・ K氏は、
見島灯台を 「ケンシマ・トウダイ」 と呼ぶ。 対馬の三島(ミツシマ) 灯台と区別するためだ。
7管では、皆さんそうなのかもしれない。 ちなみに、この見島灯台は K氏が海保に勤務して間がない頃、灯台守をしている。
今は廃屋の官舎で、K氏は青春を送ったのだ!

港から要害山に取り付くまでの民家の道は狭く曲がって、車幅いっぱいいっぱい、だ。
登山路に差し掛かると道は更に狭まる。 教習所のS字カーブの連続だ。
運転に自信がない方は、車を諦める勇気が必要だ。 歩いても、標高差80mだ。
見島に、JAF はいないから、念のため。
見島燈台
萩市見島本村
仙崎海上保安部 沿岸小型 無等(300)
海図W1177
北緯 34°47′51″
東径131°07′52″
白色 四角形 コンクリート造
群閃白光 
毎20秒を隔てて10秒間に2閃光
290000カンデラ
光達距離20海里
地上〜頂部14m 水面〜灯火57m
初点灯 昭和38年1月15日
灯台から立ち去りがたい気持ちで、軽トラに乗ったら
ドアミラーに灯台が映っていた。 再訪を誓った。
                  
I shall return !

萩市の沖合い40kmに浮かぶ 見島(みしま) は国境の島だ。
島の中央には自衛隊のレーダー基地が鎮座する。
見島は国防の最前線ともいえるから、見島の灯台もその一翼をになうのかも知れないが、
朝鮮半島から密航を企てる者の格好の道しるべとして重宝がられているのかも。北浦 (山口県の山陰側) は密航銀座だ。

見島には (防波堤灯台以外で) 2つの灯台が島の南北にある。 島の北端、長尾の鼻に立つのが「見島北灯台」 だ。
この灯台は通称も愛称も 「北灯台」。 「北」 は日本人好みなのだろう。 演歌の世界では「北は、絶対」 だ。
真北に細長く伸びた長尾の鼻は、周囲300度以上が海だから、朝日が拝めて夕陽が望める。
日本広しといえども、日の出と日没が同じ場所で望める箇所はそんなに多くないらしい。
灯台が立っている位置は海抜50mあるから、フナムシが這い回る心配はない。テントを張るスペース(官舎跡) もある。
私にはキャンプをする気持ちはない。 見島の宿は海産物が盛りだくさんに狂されるから、食欲が優先する。
次回、再訪する際は、日没と日の出の両方を経験してみたいものだ。 宿での食事を挟んで.

宇津の集落から灯台の傍まで車道が通じている。 島に数台ある (らしい) レンタカーは使えない。
車道脇の藪や樹の枝で車体に傷がつくから、というのが理由らしい。 実際に走ってみて、そうは思えないのだが‥‥。
そうなると、車で往復するための解決方法はただ一つ。 旅館に泊まって、旅館の軽トラを借りるしかない。
私が泊まった 宇津地区の弁天荘は、乗り放題 1000円 だった。 これには重宝した。
分岐点には 「北灯台→」 の表示がある。 初めて訪れても、迷う事はない。
但し、集落のはずれで表示を見落とすと、立派過ぎる道をレーダー基地まで走ってしまう。(私のように)

北灯台は情緒のある灯台だ。 どの角度から撮っても横に長く水平線が写る。
初点はS48と遅いが、存在感のある灯台だ。
北浦の海岸線で、高山岬灯台から長門川尻岬灯台まで数ある灯台の中で 「随一の灯台」に相違ない。
見島北燈台
萩市見島長尾の鼻
仙崎海上保安部 沿岸大型 無等(LB−90)
海図W136
♪ 忘れはしない
    「相島の女(ひと)」 よ ♪
時期は、名産・相島スイカの収穫が済み
農閑期に入ってはいたが、
灯台への道を尋ねる私を、運搬車を
引っ張り出し、集落から灯台まで乗せて
くれた。 浜(港) まで送ってもくれた。
島人の人情が厚い事は聞いていたが
ここまでしてくれるとは!

北緯 34°31′00″
東径131°16′34″
白色 塔形 コンクリート造
群閃白光 毎21秒に2閃光
180000カンデラ
光達距離20海里
地上〜頂部11m 水面〜灯火56m
初点灯 昭和49年3月6日
下関を早朝出発して、秋吉台を越える頃からフロントガラスのワイパーを動かした。
萩の浜崎港は、傘がいらないくらいの小糠雨。 おかげで涼しい。
少ない乗客を乗せて定期船の第1便が出港。 私は第2便に乗る予定を繰り上げていた。
事前に萩市の観光課に問い合わせて、港から萩相島灯台まで5kmの獣道だ、という返答を得ていたから。
とすれば往復に2時間半は必要だ。 第2便で行って帰ったら見島航路に間に合わない。

汗っかきの私は着替えを4枚用意していた。 でも、今夏一番の涼しさで汗はかかない。
そのうえ、心優しい 「相島の女(ひと)」 にお会いし、ご厚意で、灯台近くまで農業用運搬車で送り迎えしてもらったから、
いよいよ汗はかかない。
途中の工事箇所さえなければ、農道伝いに灯台脇まで運搬車の進入は可能だ。部分的に舗装もしてある。
萩市観光課は、こんな道でも獣道というのだろうか。 と言う事は、農道を利用して畑仕事をする人たちは獣、か?

萩相島灯台の灯塔は、山口県では珍しい 「かまぼこ型」 だ。
灯塔を輪切りにしたら、前方後円ならぬ、前円後方だ。 北海道では数多く見た型だ。
灯室も付いていて、小さいながら好感の持てる灯台だと思う。
それでなくても寂しい場所に建ってい灯台に、雨雲が余計に寒々しさを増している。
帰路は 「相島の女(ひと)」 が浜(港) まで送ってくれて、1時間の灯台訪問だ。
おうじのはな とうだい
王子鼻燈台
車を国道沿いの駐車場に止めて、今日のねぐらは車の中。
坂道を登る車がエンジンの回転数を上げるので騒音はひどいが、夜に相当飲んでいるのですぐ眠りについた。
朝4時。 目覚ましを持たない私を起こしたのは、車の屋根をたたく雨音。
いやだなぁ、と思いながらうつらうつらして6時。雨脚は多少衰えた。
長門市大泊 (青海島)
仙崎海上保安部 港湾 無等レンズ 
海図W1177
潮場の鼻灯台 長門市通 (かよい)

北浦の島々

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 「わたしの」 燈台
 灯台地図
 灯台めぐり 目次
 ふるさとの灯台
   北浦東部
   北浦西部
   北浦の島々
 燈台讃歌
は現在地です
萩相島燈台
萩市相島見島埼
仙崎海上保安部 沿岸大型 無等(LB−40)
海図W1177

北緯 34°26' 02", 東経 131°15' 18"
白色 塔形 コンクリート造
等明暗白光 明4秒暗4秒
6,000カンデラ
光達距離 20海里
地上〜頂部:9.3m、水面〜灯火:76m
初点灯 昭和27年10月30日
土地の人に道を聞いたら、 「この雨の中を? 一人で? 猪が出るゾ」 と脅す。
70m の山を越すのに500m は上り坂だ。山を越してもUP DOWN は500m続く。
雨で道はぬかるんで滑るのに、体を支えるべき左手は傘を持ち、
右手は猪に出くわしたときの用心に棒切れを握り締めている(笑)。
急斜面の下は怒涛逆巻く冬の日本海。(この日はベタ凪だったけど) 嗚呼。
心細さを励ましてくれるのは電柱と電線だけだ。
難行の末に、木の間越しに灯塔が見えた! スマートな灯台だ。
この瞬間のために 1時間の奮闘。
そんな私にニコリともしない灯台。それが、いい。
結局、雨は最後まで止まなかった。
今でこそ、車でひと走りだけれど、橋ができるまでは連絡船だった。
古くて、小さくて、遅い 連絡船には何度か乗ったことがある。
私の父が通中学校の校長だったから。 50年も昔の話だ。
目指す 潮場の鼻灯台 は通中学校の裏山を越した裏側(日本海側)にあるという。
父が勤めた学校の脇を、50年を経た今、息子が灯台を目指して山に分け入ろうとしている。
何かの縁だろうか。
ちょうど登校時間で、5, 6人の塊とすれ違う。 皆、挨拶をする。
父が勤めていた頃は、気性の荒い土地柄だと聞いていたが、純朴そのものじゃないか。
通は、かつては捕鯨で栄えた集落だ。
毛利藩から免許を与えられた鯨組があり、長州捕鯨の中心だった。
鯨一頭で七浦にぎわうという大漁を祝う鯨唄を、私の同級生が伝承している。
通の向岸寺には鯨の位牌や鯨の過去帳がある。 捕獲した母鯨から出てきた胎児を弔った鯨墓もある。
金子みすゞ さんは鯨法会の鐘を聞いた鯨の子が、死んだ父鯨、母鯨を恋しがって泣く、とうたっている。

しおばのはな とうだい
潮場の鼻燈台
長門市通
仙崎海上保安部 沿岸小型 無等レンズ 
海図W1177
点灯時間に間に合った
王子山から眺めた仙崎の街
灯台の後ろの小高い王子山公園に上ると
対岸の仙崎の街が一望できる
仙崎に生まれた童謡詩人 ・ 金子みすゞ が愛した場所のひとつだ
みすゞ さんの詩に,、王子山から仙崎を見渡した詩はあるが
このちっぽけな灯台は題材になっていない
初点灯が昭和25年なら仕方ない
ちなみに、金子みすゞ さんは私の母校の大先輩だ
北緯 34°23' 42", 東経 131°11' 55"
白色 上部円形 コンクリート造
連成不動単閃緑光 毎5秒に1閃光
800カンデラ
光達距離 11海里
地上〜頂部:9.8m、水面〜灯火:11m
初点灯 昭和25年3月
備考 平成8年3月 改築
まず、仙崎へ。最初の目的地は青海大橋(おうみおおはし)をわたってすぐの王子鼻灯台。
これまで何度も見る機会がありながら、私に灯台への関心がなかったから見落としていた。探すのに苦労した。
灯台へは、磯伝いに礫石を踏みしめて進む。
海に突き出た岩の上に、コンクリートで土台を固めた灯台があった。
防波堤の灯台みたいだ、と思って後で調べたら、種別は3種漁港の港湾灯台。やはり。
この灯台は、私が生まれ育った場所から一番近くにある灯台だ。
今まで、そばに近づいたことも、注意して見たこともなかった。
雨はかなり小降りになってきた。 が、傘をささずに歩けるほどの小ぶりでもない。
勢いで青海島(おうみしま)の東端、通(かよい)へ。
王子鼻(おうじのはな)灯台

潮場の鼻(しおばのはな)灯台

萩相島(はぎあいしま)灯台

見島北(みしまきた)灯台

見島(みしま)灯台
★ その1 ★
北浦東部の燈台を訪ねて
★ その2 ★
北浦西部の燈台を訪ねて
★ その3 ★
北浦の島の燈台を訪ねて
山口県の山陰、日本海に面した一帯を 北浦 (きたうら) と呼びます  私のふるさとです
ふるさとの燈台を、3日に分けて訪ねましたが、島嶼には、萩市沖合いの離島が含まれており、
萩市 ・ 見島は、卒論のデータ収拾に出かけ、台風通過後の荒れる海で死ぬ思いをした島です。
私の生家への山道で振り返れば、晴れた日には島影が望めました。 
見島の2灯台と萩市 ・ 相島を含めて行ってまいりました。 2年をかけてこのページが完成です。

水平線に見島が見えるから、この岬を 「見島埼」 と呼ぶ
灯台 灯台賛歌 灯台紀行 私の灯台 ふるさとの灯台 灯台あれこれ 灯台めぐり 島の灯台 岬の灯台 王子鼻灯台 
潮場の鼻灯台 

ふるさとの灯台

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