いまみさき とうだい
今岬燈台

かつての大津郡日置町黄波戸は、長門市日置黄波戸と変わったが、
変わったのはそれだけで、他は何も変わっていない。

高校時代、一番信頼した友人宅も昔のままだ。
この友人宅には想い出がある。 彼の結婚披露宴で司会を頼まれ、彼のために勿論受諾したのだが、
打ち合わせに行って、そのあと酒を飲むことになった。
彼の父君も交えての酒盛りとなり、一晩呑み続けて朝まで飲んだ。 その量、4升5合!
私が2升飲んだらしい。 いまだに破れていない私の記録だ。

長門市日置上字戸崎1236の10
仙崎海上保安部 沿岸小型 無等レンズ 
海図 W136
油谷港俵島灯台 長門市向津具
 TOPPAGE 
 LIGHTHOUSE
 「わたしの」 燈台
 灯台地図
 灯台めぐり 目次
 ふるさとの灯台
   北浦東部
   
北浦西部
   北浦の島々
 燈台讃歌
は現在地です
「燈台賛歌」 では、津々浦々の漁港に設置された防波堤灯台は、対象外、としている。
漁船の入出港には必要なものであっても、 「私の」燈台 の範疇から外れるからだ。
とはいえ、これら港湾の灯台も、健気に、黙々と任務を果たしていることには相違なく、
道すがら、眼に入れば立ち寄ることにしている。 
この矢玉項A防波堤灯台が、191号を北上するとき、
遠くからでもはっきりと存在感を示していたのは事実だ。
矢玉港A防波堤燈台
(おまけ)
北緯 34°18' 58", 東経 130°53' 39"
白色 塔形
単明暗白赤光 明6秒暗2秒
6,000カンデラ (13M)
光達距離 15海里
地上〜頂部:6.3m、水面〜灯火:27m
初点灯 明治45年1月15日
灯台は、港のすぐそばにある。 そば、といっても港の突端だから港外だけど。
駐車スペースから九十九折の坂道を20m も登れば燈台だ。
敷地はきれいに刈り込んである。 灯塔はこじんまりとしながらも安定感がある。
正面に回ると、灯火室ガラスの下に丸い照射灯がついている。 照射灯が灯塔に組み込まれているのはいい。
(角島灯台は照射灯を後で取り付けているからせっかくの美しい灯塔が台無しだ)
照射灯は眼下の 地の瀬 を照らすのだろう。
下関から川棚温泉に出て、響灘沿いに北上。 矢玉の漁港があり、特牛の港がある。
矢玉港A防波堤灯台には照射灯が併設されているからそれを見て、まず目指すは特牛灯台。
特牛 と書いて こっとい と読ませるのだから、旧国鉄の難読駅名の代表格だった。
1等レンズを備えた角島灯台がある角島へは、
角島大橋が架かって本土と陸続きになるまで、特牛港から連絡船が出ていた。
本州の西北端で、海岸線が直角に曲がる地点だから、かつては北前舟が風待ちをした港でもあろう。
こっとい とうだい
特牛燈台
下関市豊北町特牛港外
仙崎海上保安部 沿岸小型 無等レンズ
2ヶ月に1度、郷里の長門市で、中学時代の同級生8人が集まる 「三八会」 がある。
メンバーの自宅を会場に、世間話をしながら呑み食いするだけの、他愛もない集まりだ。
35年は続いているから、200回以上、同じ顔ぶれで似たような話を繰り返す。
「継続は力」 というけれど、力を発揮したことはない。 そもそも、力を持ったヤツもいない。
下関から長門へは小月、西市、俵山温泉と、山越えで一直線だ。 所要1時間。 でも、今回はその道を通らなかった。
これが 噂の コンクリートの飛び石
海水は、申し訳程度にあった、と言うべきか

北緯 34°23' 34", 東経 130°55' 59"
白色 塔形
郡明暗白光 明5秒暗5秒間に1閃光
6,000カンデラ
光達距離 17海里
地上〜頂部:10.5m、水面〜灯火:40m
初点灯 昭和33年2月19日
最大の難関を越えれば、30mの頂を上り詰めるのはいと易しい。
私がたどり着こうがつくまいが、昔も今もこれからも物言わぬ灯台が、俵島の頂に立ち尽くしていた。 それで、いい。

油谷港俵島灯台の初点灯は昭和33年2月19日。 48年前の昨日だった。
スイマセン。
本当は、その日はベタ凪で、その時刻は干潮でした。 天佑、我にあり! これなら、歩いて渡れる! 
靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ズボンを膝の上までたくし上げ、春遠からじ、とは言いながら、季節は晩冬の海へ、ザブン!
そのときの海水温は記憶にない。
心頭滅却すれば火もまた涼しいだろうが、燃える思いは冬の海もまた温める、のだ。
問題の、コンクリートの飛び石が目の前にある。
なるほど、飛び石の一つが消滅している。 飛び石だから、助走をつけて飛び越えることもできない。
そのとき、一陣の風。 波打つ音も途絶え、海が、海が割れ始めた!
モーゼの 「出エジプト」 か!
はたまた、天童よしみの 「珍島物語」 か!
山谷氏にとって俵島灯台は、全国で訪ね歩いた3,000余の灯台の1つに過ぎない。
島に渡ることを断念した灯台が10や20あっても当然だろう。
しかし、郷党の私にとって俵島灯台は、ふるさとに10基あるかないかの灯台の一つだ。 どうにかして渡りたい。

海岸に降りる道を誤って、棚田の畦道を歩かせてもらいながら、ともかく海岸に出た。
おびただしい漂流物が打ち上げられた海岸の礫石を踏みながら、
南無八幡台菩薩 だか 南無阿弥陀仏 だかを唱え、八百万の神の加護を念じ、
島に渡れるなら、キリストの愛でも、アッラーの力でも、何にでもすがりたかった。
灯台ファン駆け出しの私にとって、神様的な存在の方がおいでだ。
山谷氏。
その、神様にして、燈台への接近を断念なさった灯台がある。
俵島灯台、 正式には油谷港俵島灯台。 いま、私の射程距離内にある。
山谷氏のコメントには
「コンクリートの飛び石が途中で崩れていて、島に渡るのは断念した」とある。
ゆやこう たわらしま とうだい
油谷港俵島燈台
長門市油谷向津具俵島
仙崎海上保安部 沿岸小型 無等レンズ 
海図 W115
長門川尻岬灯台を訪れた段階で、私の自由になる時間は残っていなかった。
夕方までには帰り着いて、家業に精を出さなければ‥‥。
しかし、向津具半島の先端まで来て、俵島灯台を見ないで帰ることはとてもできない。
腹を決めて俵島に向かう。
俵島は玄武岩柱状節理の小島で、米俵を積み上げた形から名付けられた島だが、私にはそんなことはどうだっていい。
↓ 燈台

北緯 34°26' 27", 東経 130°58' 24"
白色 塔形 コンクリート造
明暗白光 明4秒暗2秒
6,000カンデラ
光達距離 20海里
地上〜頂部:8.6m、水面〜灯火:70m
初点灯 昭和4年11月30日
川尻岬は公園になっていて、そこまで車でいける。
潮場の鼻灯台と今岬灯台と、2つの山道を駆け上り駆け下った後だから、楽ができるのは嬉しい。
公園から、岬の突端に灯台が見える。 初めての土地で、目標が視認できるのはこれまた嬉しいことだ。
しかし、灯台が遠望できるのも考え物で、なまじっか見えるから、気ばかりあせっても脚がついていかない。もどかしい。

下って上ってたどり着いた燈台の敷地からの眺望は、一方向を除いて、悪い。
驚いたのは、普通、灯台にたどり着けばそこが行き止まりで、それから先は海に転落するのがオチだが、
川尻岬灯台の場合、道は灯台の脇からさらに先に伸びている。

ここは海釣りのメッカ、なのだ。 灯台への UP DOWN の途中で海岸を見下ろすと、岩場に何人もの釣り人がいる。
ニュースで、時折、遭難が知らされる。 高波にさらわれて命を絶った人は数知れない。
故人にはお気の毒だが、自制が効かない人間に、灯す灯台は、ない。

川尻の集落で二人の土地の人に、川尻岬灯台への道を聞いたが、教えてくれる内容が違う。
それも、直進していい、と言う人と、バックしろ、と言う人だから、こちらは股裂きの刑にあったようなものだ。
山に登っていた頃、道に迷ったら元の場所に戻れ、と教わったのを思い出して、二択でバックを選んだ。
道は良いから、数キロのバックは苦にならない。
海があって、緑が多くて、道が良くて‥‥。
 後背に大都会があれば格好の別荘地だろうに!

A代議士の墓がある油谷町(現 ・ 長門市油谷) の道路は、それは立派なものだ。
私の高校時代、大学時代を通じての友人F は、向津具半島川尻の生まれだが、
あの頃はまだ道路事情が悪くて、彼は高校の近くに下宿していた。 今なら、楽に通学できただろうに。

彼が生まれ育った川尻に川尻岬があって、燈台が建っている。 川尻岬灯台。 正式には長門川尻岬灯台という名称だ。

ながと かわしりみさき とうだい
長門川尻岬燈台
長門市油谷向津具下字戸崎
仙崎海上保安部 沿岸小型 無等レンズ 
海図 W115

山口県人はどうだか知らないが、長州人は政治好き、だ。
力のある政治家を輩出したことも手伝ってか、山口県の道路はすこぶる良い。
それは幹線道路よりも、地方道、農道において顕著だ。

青海島
↓ 燈台

北緯 34°24' 50", 東経 131°08' 01"
白色 塔形 コンクリート造
郡閃白光 毎10秒に2閃光
6,000カンデラ
光達距離 20海里

地上〜頂部:6.6m、水面〜灯火:74m
初点灯  昭和34年1月1日
昭和59年1月 改築

東には海上アルプスと称する青海島が、西には千畳敷の発電用風車が、北には見島が。いい眺めだ。
長門市から筍状に見えた岩は、眼下に見下ろす格好だ。

車は茅刈(かやかり) などと、刈干切唄みたいな集落の集会場まで。
途中までは比較的はっきりした下りの坂道だが、半ば以降はただの踏み跡をたどるしかない。
海はベタ凪で潮騒も聞こえないが、最近備わりつつある 「勘」 で、
海に突き出た地形のどこかを歩いているのだ、と自分に言い聞かせるしかない。

頼りの電柱も電線も見当たらない。
それでも突き進んだら、これまでの灯台めぐりでは見たこともない建造物が。太陽電池の発電装置だ。
これも、時代の流れだろう。
どうりで、電柱も電線もないはずだ。 
ほとんど下りばかりで灯台にたどり着いた、ということは、帰りは上りばかり、ということだ。
ただ、知らない道を疑心暗鬼で下るよりも、一度通った道を上る方が早かったのは気のせいだろうか。

長門市から黄波戸の集落を眺めれば、その突端に筍状の岩肌が見える。 今岬だ。
最近まで、今岬 に灯台があるなんて知らなかった。
ある、と知ってから郷里の友人に尋ねたら、「あるけど、歩いて遠いゾ」
しかし、3ヶ月前の私ならイザ知らず、今の私に躊躇はない。

今岬(いまみさき)灯台

長門川尻岬
(ながとかわしりみさき)灯台


油谷港俵島
(ゆやこうたわらしま)灯台


特牛(こっとい)灯台
★ その1 ★
北浦東部の燈台を訪ねて
★ その3 ★
北浦の島の燈台を訪ねて
★ その2 ★
北浦西部の燈台を訪ねて
山口県の山陰、日本海に面した一帯を 北浦 (きたうら) と呼びます  私のふるさとです
ふるさとの灯台を、3日に分けて訪ねました  
北浦の西部は、平成の合併以前は 大津郡の日置町と油谷町で、高校の友人達が住んでいた町です
何度か訪れて懐かしい道をたどりましたが、灯台への心細い道は そこからず〜ッと先になります
山道の登り降りでゼイゼイハァハァいいながら、アイツが一緒なら‥‥と 何度も思いました。
灯台には
油谷港俵島平瀬照射灯が
併設されている
海を歩いて渡り
崖をよじ登ってたどり着いたのに
読めないプレートでは
泣くに泣けない
灯台 灯台賛歌 灯台紀行 私の灯台 ふるさとの灯台 灯台あれこれ 灯台めぐり 島の灯台 岬の灯台 王子鼻灯台 
今岬灯台 川尻岬灯台 長門川尻岬灯台 俵島灯台 油谷港俵島灯台 特牛灯台防波堤灯台

ふるさとの灯台

北浦西部

 TOPPAGE 
 LIGHTHOUSE
 「わたしの」 燈台
 灯台地図
 灯台めぐり 目次
 ふるさとの灯台
   北浦東部
   
北浦西部
   北浦の島々
 燈台讃歌
は現在地です
inserted by FC2 system