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 LIGHTHOUSE
 「わたしの」 燈台
 灯台地図
 灯台めぐり 目次
 玄界灘・響灘・周防灘の灯台
   島の灯台めぐり 1
   島の灯台めぐり 2
   岬の灯台めぐり 1
   岬の灯台めぐり 2
 燈台讃歌
  
あの灯台に、いつか ・ 白州
は現在地です

玄界灘・響灘・周防灘の灯台

北緯 33°46' 59", 東経 130°27' 06"
白色 塔形 コンクリート造
単閃白光 毎4秒に2閃光
光度 6,000カンデラ
光達距離 20海里
地上〜頂部:8.9m、水面〜灯火:65m
初点灯 昭和39年1月18日
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 「わたしの」 燈台
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 灯台めぐり 目次
 玄界灘・響灘・周防灘の灯台
   島の灯台めぐり 1
   島の灯台めぐり 2
   岬の灯台めぐり 1
   岬の灯台めぐり 2
 燈台讃歌
  
あの灯台に、いつか ・ 白州
は現在地です
灯台への道は比較的シッカリしている。
妙見埼灯台を立ち去る頃から陽光が射し始め、津屋崎鼻灯台への登り道では汗ばんできた。
もう かれこれ50mは登っただろう、と思い始めて上を見上げると、木の間越しに灯塔が。
照射灯を併設した、こじんまりした灯台だ。
急な崖が海に落ち込んで、その先には瀬が見える。
港に急ぐ漁船には難所だったのだろう。
今夜のワイン会は博多だから、妙見埼灯台を訪れれば、博多への途中立ち寄るのは津屋崎鼻灯台 ということになる。
津屋崎には福岡県立水産高校があり、津屋崎は漁業の町なのだ。
町外れに病院が2つあって、その先に灯台はあるのだが、国土地理院の地形図に燈台への道は記されていない。
車で進める所まで進んだが、どうも燈台への上り口を通り過ごしたみたいだ。
たまたま父子連れと出会ったので道を教えてもらい、50mほどバックした。
津屋崎鼻灯台

つやざきはな とうだい
北緯 33°56' 01", 東経 130°41' 08"
白色 塔形 コンクリート造
郡明暗白光 4秒を隔て明3秒暗2秒明3秒
光度 8,500カンデラ
光達距離 15海里 (約28km)
地上〜頂部:10.5m、水面〜灯火:25.7m

初点灯 昭和41年3月30日
灯台の畔の 這い松が
玄界灘を渡って吹き付ける季節風のすさまじさを物語っている
森田氏を真似たアングルを探して、岬の隣にある、海面すれすれに延びる岩場まで降りてみた。
それらしいアングルはあったが、口惜しいかな、昨夜までの雨は上がったものの空模様は未だ回復しきっていなかった。
岩肌がきれいな写真は撮れなかった。
それにつけても、思ったとおりのシャッターチャンスまで待てるプロの写真家が羨ましい。負け犬の遠吠え、だけど。
白州灯台 というスター級はあるが、若松海上保安部が管理する海域に灯台は少ない。
陸路たどり着けるのは 妙見埼灯台 くらいのものだ。
私のふるさとの灯台めぐりでたくさん訪れた 沿岸小型 に属するかわいらしい灯台だが、岬の風景は素晴らしい。
燈台が建てられている露出した岩肌がきれいだ。 私はそれを 森田敏隆氏の写真集で見て、知っていた。
灯台名は 「妙見崎」 だが、岬の名前は 「遠見ノ鼻」 と呼ばれている。
江戸幕府が黒田藩に命じて 遠見番所を置き、異国船の密貿易を監視させたのがその名の起こりとされる。
灯台名を変えたのは他との混同を避けたためらしいが、
岬の付け根に小さい社があることはある。 妙見神社だったかどうかは確認を怠った。
下関を朝8時30分に出て、関門海峡フェリーで彦島から小倉日明に渡り、若戸大橋を渡り、若松北海岸を西走し
岩屋まで、ちょうど1時間。
岩屋のはずれに簡保の保養センターがあり、そのまたはずれに灯台が立っていた。
妙見埼灯台
みょうけんさき とうだい
惜しむらくは、
ドラム缶を3つ重ねて、その上にちょこんと灯器を載せた灯塔の形状だろうが、
360度の展望は素晴らしいし、椅子とテーブルも配置されている。 弁当を持って来るべきだった。
快晴、気温20度、微風。 いい燈台めぐりだった。
国土地理院の地形図を見る限り、灯台まで道はついている。
案の定、昭和57年の灯台建設を機に、半島先端の草山全山が公園 (ハイキングコース)に整備されていた。
麓には駐車場がある。
簡易舗装の道は駐車場の先に伸びているが、車止めがあって、そこからは歩け、ということらしい。
10日前なら全山桜に覆われていたろうが、そんなことありましたっけ、とでも言うように葉桜に変わった幹の下を歩く。
私が訪ねたい燈台の候補はいくつかあって、草山埼灯台 (山口市秋穂) もその一つだったが、
訪ねる機会はいつでもある、と勝手に決め込んでいた。
宇部・小野田での勤務が長かったから、会社勤めを辞めても、毎月1回は宇部で散髪をしていて、
散髪を終えて、車を秋穂まで走らせた。 なんたって道路が整備された山口県だから、
秀麗な周防大橋を渡れば、宇部から秋穂は近い。
北緯 33°58' 53", 東経 131°26' 32"
白色 塔形 コンクリート造
等明暗白光 明3秒暗3秒
9,000カンデラ (14M)
光達距離 22海里
地上〜頂部:11.8m、水面〜灯火:128m
初点灯 昭和57年12月

草山埼灯台

くさやまさき とうだい
北緯 33°59' 46", 東経 131°32' 45"
白色 塔形 コンクリート造
単明暗白光 明3秒暗1秒
2,000カンデラ (11M)
光達距離 17海里
地上〜頂部:11.6m、水面〜灯火:66m
初点灯 昭和7年6月
平成6年3月 改築
比較的分かりやすい道が続いている、と思ったら、灯台は山上の小さい神社の境内にあった!
社との距離は数メートル。 カメラを構えても、燈台を写すのか、社を写すのか分からないような狭い境内。
これもご愛嬌だろう。
灯台めぐり2ヶ月の実績は、体に 「灯台勘」 を植えつけたみたいで、あきらめずにキョロキョロすれば、
灯台への上り口は自ずと眼に入ってくるものだ。
決定的なのは、何もないはずの山上まで電線が延びているのを探し出すこと。
お願いだから、太陽光発電などを採用しないで欲しい。 貴重な手がかりがなくなる!
中関燈台への上り口も、あきらめかける直前に見つけた。 この灯台だけのために、二度足を踏まずに助かった。
徳山海上保安部で資料をいただいて、いくつかの灯台めぐりが候補に挙がっているが、
8時間前後の自由な時間で往復するのは少し辛い面がある。
中関灯台は、野島への連絡船が出る前の時間を利用して出かけた。
大体の場所は分かっていたし、灯台の麓までは間違わずにたどり着いているのだが、早朝で、道を聞くにも人がいない。
灯台が建っている小山の反対側の集落まで行って、また引き返す始末。
中関燈台
なかのせき とうだい

このページの灯台たち

部埼(へさき)灯台 北九州市門司区

門司埼(もじさき)灯台 北九州市門司区

中関(なかのせき)灯台 防府市中関 

草山埼(くさやまさき)灯台 山口市秋穂

妙見埼 (みょうけんさき) 灯台 北九州市若松区

津屋崎鼻 (つやざきはな) 灯台 宗像市津屋崎









門司埼燈台

もじさき とうだい
部埼燈台

へさき とうだい
北緯 33°57' 32", 東経 130°57' 55"
白色 塔形 コンクリート造
無等 単明暗白光 明6秒暗2秒
8,500カンデラ
光達距離  11海里(約20km)
地上〜頂部:7.6m、水面〜灯火:9.9m
初点灯 大正13年7月31日(門司埼灯標)
備考 昭和62年10月 大規模改修で「灯台」に改称
和布刈神社から北に向かうと海岸公園で、突端ともいえない突端に灯台は建っている。
海峡を東進する船は、灯台のすぐ脇を航行する。 もしかすると、航路に一番近い灯台かも知れない。
船が通るたびに、波が灯台の足場を洗う。
その背景になっているのが関門橋だ。。
門司埼灯台を訪ねるなら、人道トンネルを潜って行くのがいい。 健康増進になる。
門司側のエレベーターで昇ると、そこは和布刈神社。
立春の風物詩 ・ 和布刈神事が毎年行われる。 松本清張の 「点と線」 で一躍全国的行事となった。
篝火を灯して深夜に若布(わかめ) を刈り取る神事は、神職の親子3人で行われるが、次男坊とはかつて同じ職場だった。
関門海峡の幅は、最も狭い箇所で700m だ。
その海底を、国道トンネルが本州と九州を結んでいる。 トンネルは上層が車道で、下層は人道になっている。
人道は夏涼しく、冬温かく、雨も降らない(当然!) 、風も吹かない(当然!)から、ウォーキングのメッカだ。
空間には関門橋が架かり、関門の一景観を演出しているが、コンクリートの継ぎ目をタイヤがこすってうるさい。
この海峡を挟んで、下関と門司の高校の応援団が、対岸まで声が届くかを競ったらしい。
こういう馬鹿げたことは、青春時代に大いにやるといい。 大人になったらできないから。
灯台下の海岸には
僧 清虚 の象が建つ
旧官舎は潮流信号所となって、潮の早さ、方向、傾向を知らせる電光表示板が建つ。
燈台の正面は小野田の火力発電所に向いている。
目を左に転じれば、長府の火力発電所。 海岸の神戸製鋼所に隠れて見えないが、
その陰には、葡萄舎があるはずだ。 いや、実際に、ある。 我が街 ・ 長府を海越しに眺める感激。
関門国道トンネルで往復400円。 関門橋で700円かかるが、
手ごろな距離だし、なんたって長府の街が遠望できるのがいい。
部埼灯台には、何度か足を運ぶことになりそうだ。
九十九折の石段を上り詰めると灯台の敷地だ。
こじんまりとしているが、歴史のある、重要なポイントにある灯台だ。 
明治5年の初点灯。 その時期だから、設計は当然、ブラントン。
日本の灯台ではエリート、だ。 日本の灯台50選に数えられている。
昼過ぎに関門橋を渡った。 目指すは 「部埼(へさき)灯台」
部埼は関門海峡の東の入り口にあって、
豊予海峡方面と瀬戸内海方面とに分岐 ・ 合流する海上交通の要衝にある。
海岸道路を進めば、海に向かって松明(たいまつ)をかざす 「清虚(きよかげ)像」が目に入る。
清虚は天保年間の僧で、下関から高野山に向かう途中、この海の難所にさしかかり、
高野山での修行を断念、山頂に結んだ庵で火を焚いて往来の船の目印とし続けた。
清虚の志は明治になって洋式灯台の建設として実を結んだ。 と史話にある。
北緯 33°57' 22", 東経 131°01' 31"
白色 円形 石造
3等小型(750W) 連成不動閃白光 毎15秒間に1閃光
閃光:180,000カンデラ 不動光:7,000カンデラ
光達距離 17.5海里(約32km)
地上〜頂部:9.7m、水面〜灯火:39.1m
初点灯 明治5年1月22日
前夜はワイン会で、さすがに眠くて朝寝をしたが、天窓から差し込む陽射しはやたら明るく、空も青い。
空が青ければ海も青いだろう。 灯台日和じゃないか!
公園だから、東屋やベンチとテーブルも、トイレも完備。 灯台入口の表示も、幅広い階段もある。
山陰のふるさとの燈台めぐりでは難渋したから、鼻歌交じりで登れる道は嬉しい。
山頂部は草原だ。 なるほど 「草山」埼灯台、か。
燈台の基部は四角推の盛り土で、草が植えられ、立派な階段もついている。
灯台を囲むフェンスもあるが、施錠してないから灯塔の壁を叩いて撫でる 「私の儀式」も可能だ。
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