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玄界灘・響灘・周防灘の灯台

下関市六連島
六連島燈台
むつれしま とうだい
下関市蓋井島
蓋井島燈台

ふたおいしま とうだい
下関市彦島竹の小島
潮流信号所
だいばはな とうだい
台場鼻燈台

下関市豊北町角島
角島燈台
つのしま とうだい
大分県姫島村
姫島燈台
ひめしま とうだい
北緯 33°58' 30", 東経 130°52' 13"
白色 円形 石造
40cmLB 単閃白光 毎10間に1閃光
310,000 カンデラ
光達距離 15.5 海里(約28km)
地上〜頂部:10.6m、水面〜灯火:27.9m
初点灯 明治4年11月21日
    
昭和44年4月 無人自動化
海峡の街のスター、下関市長は、大河ドラマに合わせて宮本武蔵に扮し、高杉晋作に扮して寸劇を演じるのはお好きだが、
歴史的、文化的な史跡や建造物を維持保存することはお嫌いと見えて、トンと省みない。
だから、何をやっても対岸の北九州市に負けてしまう。情けなくて嘆かわしい。下関市民の悲劇、だ。
灯台としての歴史は群を抜いているのに、西日本最古の灯台が、「日本の灯台50選」 にもれるとは、いやはや情けない。
ところで、はがれた塗装と幽霊屋敷のような旧信号所跡、草ぼうぼうの敷地の整備くらい、どうにかならないの? 
言って行く先は7管? 下関市?
可哀想な 六連島灯台。 いい 灯台なのに、ナァ。  (追補) 2006/11/04 現在、灯塔は塗装されています。
部先灯台と一卵性双生児でも、その後の育てられ方と、100年後の市政責任者の違いで、老後の姿はこんなにも変わる。
月とすっぽん、だ。
中国・四国・九州で最古の洋式灯台 ・ 六連島灯台。
西郷隆盛を伴って明治天皇が行幸した最初の灯台 ・ 六連島灯台。
下関市のかけがえの無い文化財であり、歴史的建造物 ・ 六連島灯台。
それなのに、この現状はなんだ!
六連島に、洋式灯台が建設されたのは明治4年だ。
中国・四国・九州で、古い灯台といえば、伊王島灯台 (明治4年・長崎) と佐多岬灯台 (明治4年・鹿児島) だが、
ともに、原爆と戦災で壊滅状態となり再建されているから、
西日本で最古の灯台は、この 六連島灯台 ということになる。
関門海峡の反対側に位置する 部埼灯台 (北九州市) は明治5年で、六連島に次ぐ。
慶応3年の大坂約定で建造が決まった 5灯台 の一つだから、日本の灯台の草分けでもある。
設計は勿論ブラントン。 部埼灯台とは一卵性双生児 だ。 何かとよく似ている。
関門海峡の水路は、沖合いに浮かぶ六連島の海域から始まり、部埼灯台と満珠島灯台を結ぶ線で終わる。
年間14万隻の船舶が六連島と下関間の響灘を航行する。
島の西側には石油タンク群が並び、精製地と消費地を中継する輸送基地にもなっており、海上交通の要衝だ。
下関駅の駅舎は、出初式が行われる日の未明、放火により焼け落ちてしまったが、
その下関駅から程近い竹崎港から片道20分で連絡船が六連島との間を4往復している。
離島の灯台、といっても、比較的容易に訪れることが可能な灯台だ。
蓋井島灯台は、黙して語らないが、日本の大陸進出を見つめてきた灯台だ。
大陸での成功を夢見た人は、この灯台に決然と別れを告げたことだろう。
戦いに敗れ、夢破れ、命からがら引き揚げて来た人は、涙に咽びながら見た、故国の、島の灯台だったはずだ。
蓋井島灯台の背後には高い山がある。
灯台としての適地は、むしろそちらだろうが、現在地に建てられた理由、目的はただ一つ。
この灯台の任務は、全方位を照らすことではなかった。
関釜連絡船 (下関と韓国 ・ 釜山) の強い要請に応えることだったのだ。
蓋井島灯台の 「一番」 は、 まず、本州最西端の灯台。
本土と離れた島で 「本州最西端」 といえるのか疑問に思うのだが、
燈光会が立てた周知版に、そう書いてあるのだから、そうなのだろう。
次に、日本の灯台で風力発電装置を導入した第1号灯台だ、ということ。
昭和26年から16年間が風力発電だ。 これは評価してよかろう。
北緯 34°05' 43", 東経 130°47' 08"
白色 八角形 コンクリート造
四等 郡閃白光 24秒隔て16秒間に3閃光
100,000カンデラ
光達距離 25.5海里(約47km)
地上〜頂部:15.3m、水面〜灯火:103m
初点灯 明治45年7月15日(石油蒸発白熱灯)
昭和26年6月8日 風力発電装置を開発導入   昭和42年 商用電力を導入。

灯台守が居た灯台は、道がシッカリついているから、たどり着くのは容易だ。
灯台の前まで、息せき切って登りつめた。 ところが、
灯台は、錐のようにとがった門扉と有刺鉄線で立ち入り禁止。 ウッソー!
灯塔や灯屋は撮れなくはないけど、肝心の 初点プレートが撮れない!
ところが、海上保安庁は粋なお役所なのだ。
錠前を取り付けた部分にも横に鉄棒が渡してあるから、
上中下の鉄棒の感覚は梯子よりも少し広い程度。 これなら乗り越えられる。
勿論、私は、してはいけないことはしない。 でも、勝手に手と足が動いた。
に、蓋井島 ・ 蓋井島燈台訪問記 を掲載しています こちら です
響灘に浮かぶ蓋井島の北には、
ブラントン設計で第1等レンズを備え、 日本の灯台50選に選ばれた血統書付きの角島灯台があり、
南には、慶応3年の大坂約定に基づく歴史的灯台で、 現存する明治期の灯台では4番目に古い六連島灯台がある。
関門海峡の東口に位置し、六連島灯台についで古い 部埼灯台 と 角島灯台、六連島灯台を並べて
私は、 「灯台のスター海道」 と呼んでいる。、勿論、私の狭い 灯台世界の中での話しだ。
その中にあって、蓋井島灯台もまた、遜色のない歴史と実績を持っている。
望見すれば、灯台が低い場所に建っていることが分かる
明治初期としては異例の高い灯塔にした所以だ
角島のベストシーズンは夏だ。
でも、人込みを観に行くのでなければ、オフシーズンに行くのがいい。
灯台脇の、旧吏員宿舎は資料館となっていて、懇切丁寧な説明で、灯台の基礎的な知識は身につく。
建物は山口県で最初の石造洋館だ。 やはり、英国人がすることはすごい。
見学者がいなかったせいで、暇をもてあましていたのか(失礼)、見学受付のオジサン(燈光会の人)がこれまた親切。
北風が吹き付ける寒い中を、建物から出てきて案内してくれた。
平成12年に角島大橋が開通して間がない頃、島を訪れたことがある。
そのとき、灯台の内部を見ることはできなかったが、平成13年に内部の見学が許可された。
全国で内部を見学できる燈台iは14基だ。
5年ぶりに訪れて、最上部のテラスまで登った。 御影石の螺旋階段も見事なら、塗装を施された腰板も立派。
御雇外国人は、細部にまで手抜きや妥協をしなかったと見える。
灯塔は御影石造りのままで塗装をしていないから淡い灰色だが、安っぽい塗装をしていないのも、角島らしくていい。
日本には燈台が 3300余ある。
そのうち、代表的な燈台でもほとんどは写真でしか観たことがないから偉そうなことは言えないいが、
高さといい、外観といい、均整が取れた角島灯台のスタイルは抜群だと思う。
明治9年、日本海側で初の洋式灯台が角島に建てられたのは当然だろう。
灯台は、明治政府最初の御雇外国人 ・ ブラントンが設計している。
彼が設計した灯台は全国に26あり、いずれも、現代の日本を代表する灯台だ。
北緯 34°20' 57", 東経 130°50' 36"
円形 御影石造
1等 閃白光 毎5秒に1閃光
1,400,000カンデラ
光達距離 18.5海里(約34km)
地上〜頂部:29.6m、水面〜灯火:44.7m
初点灯 明治9年3月1日
2001年4月29日より、一般公開開始。
東北の諸港から日本海〜瀬戸内海〜大阪へと結ぶ、西回り廻船の航路が拓かれたのは17世紀の後半だ。
船は、角島沖で進路を変えなければならないが、
最短距離で、角島をかすめるように操船すれば、船は勢い島に近づく。
角島沖は、暗礁が群れをなす名だたる海の難所だ。 座礁した船は数知れない。
天気は快晴。 無風。 多少汗ばむ程度だが、セーター越しに突き刺さる冷気が快い。
自転車をこいで25分。 とまれ、灯台にたどり着いた。
徳山から運んだ花崗岩で作った灯搭は白亜。
断崖上に独り屹立して、黙々と海を照らし、位置を知らせる。 人見るもよし、人見ざるもよし、我は照らすなり。
決然とした、その様が私を誘う。 今年は灯台巡りになりそうな予感。
翌朝は、島の北端、黒輝石の断崖に建つ千人堂を見物し、船着場に戻った。 
出航が 11:35 と確認し、貸し自転車屋へ。
姫島にはタクシーも、レンタカーも、勿論、無い。 あるのは貸し自転車のみ。
島の東端に建つ、姫島灯台が目的地だ。 往復13km 強。 姫島に来て驚くのは、港(5つある)と道路の立派さ。
離島振興法か何かの法で莫大な資金が投入されたのだろうが、とにかく至れり尽くせり。
往復13km 自転車をこいで、対向車1台、追い越していった車2台。
国東半島は信仰に篤い土地で、六郷満山三十三カ寺霊場めぐりなどもあり、
いたるところに霊場の案内板が設置されている。
当方、信仰心はトンとないから、霊場の親分格である両子寺を参詣すればイイや。
いつものショートカットの手抜き策で済ませようとする。
山を降りたら、姫島行きの船があるんじゃないか、と思いついた。 姫島に行こう!
宿の予約をしていなかったので、フェリーの上から電話する。 宿は取れた。
運ばれてきた料理を見て驚いた。 
魚も海老も、しばらくはイイヤ! というほど食べて1泊2色が1万円。 イイ思いをした。
北緯 33°43' 38", 東経 131°42' 09"
白色 円形 石造
4等 群閃白光 21秒隔て21秒間に4閃光
100,000 カンデラ
光達距離 20 海里(約37km)
地上〜頂部:12.2m、水面〜灯火:57.3m
初点灯 明治37年3月20日
最初にフランス製石油蒸発白熱灯を使用
昭和45年4月 自動無人化
昼前になって、急に家業が開店休業になった。
あれれ‥と思うと同時に、ドライブを思い立った。 この季節、南に向かうしかあるまい。
国東半島には行ったことがない。 じゃ、行くか。

解体撤去用の足場が組まれても、
工事が始まる日の朝まで
灯りを点し続けた! 私が見た最期の灯だ。

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 LIGHTHOUSE
 「わたしの」 燈台
 灯台地図
 灯台めぐり 目次
 玄界灘・響灘・周防灘の灯台
   島の灯台めぐり 1
   島の灯台めぐり 2
   岬の灯台めぐり 1
   岬の灯台めぐり 2
 燈台讃歌
 
 あの灯台に、いつか ・ 白州
は現在地です
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あの灯台に、いつか ・ 白州
は現在地です

海上保安庁がこれらの灯台を国民的資産として原形保存するために
努力している、というのがうたい文句だが、
その 「保存灯台」 の1基である台場鼻灯台が、いとも簡単に解体撤去された。
維持管理していくうえで海保の台所事情が苦しい、というのが本音、
北九州八幡港から潮流表示板を見るのに灯塔が邪魔、というのが建前だ。 何たることぞ

台場鼻灯台は、現役で現存する、日本で最古の煉瓦造りの灯台だ。
明治期に建設された灯台で現在もその役目を果たしている灯台は、
全国に68基ある。 これらの灯台は、地域のシンボルとなっているもの、
歴史的価値のあるもの等、文化資産として重要な建造物だ。

源平の合戦で、平家の拠点となったのは彦島で、彦島は橋で結ばれ陸続きになったが、れっきとした島だ。
彦島の先端に、これまた短い橋で結ばれた 竹の子島 がある。
地理的に、関門海峡の西口に当たる。
東口には、由緒ある 部埼(へさき)灯台があるように、西口の竹の子島にも灯台がある。
台場鼻灯台 という名称だが、そう呼ぶ人はいない。 「竹の子島の灯台」 がとおり名だ。
敷地内に、あれこれと建っているのは、部埼灯台と同じ。 灯塔、信号所、そして電光表示板だ。
姫島灯台は、室戸岬灯台に次いで2つ目の灯台めぐりをした灯台だ。
この頃は、未だ、「初点プレート」 を撮影してくることの (私にとっての)重要性を認識していなかった。
次の角島灯台もそうだ。
角島は片道1時間だから 「初点プレート」 を撮影するためだけに出かけたが
室戸岬と姫島の初点プレートを撮るには、2年間待たなければならなかった。 でも、しっかりと撮った!

明治の職人が
精魂込めて組んだ煉瓦は堅牢で、
学術的に興味があるらしい。
そんなこと、私の知ったことじゃない。
もっと大切なものがあるだろう!

島の燈台

北緯 33°56' 58", 東経 130°52' 25"
白色 塔形 レンガ造
単閃白光 毎4秒に1閃光
2,000 カンデラ
光達距離 14海里
地上〜頂部:11m、水面〜灯火:23m
初点灯 明治33年4月
備考 昭和54年10月 改築

このページの燈台たち

姫島(ひめしま)灯台 大分県姫島

角島(つのしま)灯台 下関市角島

台場鼻(だいばはな)灯台 下関市彦島

蓋井島(ふたおいじま)灯台 下関市蓋井島

六連島(むつれじま)灯台 下関市六連島

  島の燈台めぐり 2 へ続く
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